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「…わかっちゃうんだ。人の、心が」
車椅子の子の声と、誰かの…女性の声が重なって聞こえる。
直後、まるで引き出しを開けるように、記憶の蓋が開放されて、中身が噴出してくる。これは、あの子のものだろうか。
──二つの色の眼を持つ女。あの車椅子の子供の母親もまた、例外なく同じ虹彩を持ち、そして人ならざる力を持って生まれた。
アレの母は、言うなれば異端者だった。ただでさえ他人と違う眼を持った上に、超能力なんて眉唾なモノを引っ提げたばかりか、おまけに遺伝子に病気まで抱えている。
そんな存在に、家のただ一人の男子を取られ、加えて孕んだ子まで同じようなモノを持って生まれたとなれば、毒婦と皆が吐き捨てるような目で見るのは、仕方ないといえば仕方ない。
それを聞けば、納得がいかない、と栗色の髪の少女はひどく憤慨するだろう。当然と言えば当然の反応だ。
さっきまでずらずらと並べたそれらの話は全部が全部、他人の都合だ。本人がどうしようもない過ちを犯した訳でもない。
むしろ、ああして棺に収められただろう女のほうが、謂われなき謗りを浴びせられているふうにすら見える。
でも、仕方ないじゃないか。だって、『必要ない』から。『みんながそう言うから』、『みんながそう言うなら正しいから』。
私は思い出す。その母の最期を。其は金の瞳を憎んだ。憎まなければならない。だって、『みんながそう言うから』。
お前の、その眼はいらない。その異能はいらない。その身体はいらない。自分の持つモノの全てが悪だと、皆に言われた。すべては『必要ない』と言われた。だから、
──からだを火でくべて、灰になって、そして舞い散って。いなくなった。必要ないって、『みんながそう言うから』。
あの空の棺を思い出す。あれはみんなの総意だ。必要ないから。必要ないから。必要ない──、
じゃあ、私はなんだ? 唯一、母を必要とした私は、母が助けた私は、いったいなんだ?
私のこの脚の怪我は、命の対価だ。母とこの脚の傷を代償として支払い、私はこうして生きている。
されど、それは本当に採算は合っているのだろうか。周りの誰もが『必要ない』と定めたモノを、こうして抱えているのには、いったいどんな理由があるのか。
わからない。誰も教えてはくれない。みんなの目がその答えだと言わんばかりに。
『……汚らわしい』
──誰の声だ。
『……汚らわしい』
──何がだ。
『──の癖に』
…「 」が好きで、悪いのか。
『異端は消えるべき』
──ああ、実に小綺麗だ。
『……膿め』
──悪いか。膿は悪か。
「…不出来な」
──不出来は悪か。
「…どうしてできないの」
──同じではないものは、理解できないモノは消えるべきか。
──あらためて問うべきだ。この少女に。
「失望したでしょ?」
さあ、怖がるだろう。逃げたくなるだろう。不気味だって、石を投げたくなるだろう。なにもおかしくない。
他人とは違う存在は、人が持たないイレギュラーは、横一列じゃないモノは、気持ち悪いだろう。そんなの誰でも同じだ。
「…ねぇ」
…声が聞こえる。さあ、言ってしまえ。震えて、怯えて、私を傷つける言葉を吐くだろう。『みんな』とおなじように。
「あたしのお願い、聞いてくれる?」
「…いいよ」
…言うぞ。言うぞ。言うぞ。侮蔑を、嫌悪を。忌避を。なんでも来い。準備はできてる。
「あたしと、友達になってくださいっ」
──聞き間違えかと思った。耳が幻聴を届けているのか。常々イカれてる思っていたが、遂に本気で頭がおかしくなってしまったかと項垂れる。
目の前にいる栗色の髪の少女へ視線を上げる。この歳になってイマジナリーフレンドとは嗤わせる。都合が良すぎる。
そんな此方の動揺など知ったことかと言わんばかりに、彼女は私の顔を掴んで無理やり突き合わせる。
手のひらから確かな熱が伝わる。細い指が顎を包む。にわかに汗ばんで、幻想ではない、彼女は確かに『そこ』に居る存在だと高らかに吼えていた。
「なっ、にを…?」
「わかるんでしょ? 見れば」
…息が吹きかかり、喉の震えが直に見える距離。瞳の奥で何を映しているかさえ、他人にもわかる距離で、その女は言う。
「もう一回は言わないよ」
「……いいの?」
「?」
「……おかしな子で、いいの?」
視線は外していない。けれど、視界は瞳の熱さに比例して、徐々に曖昧な輪郭に変わっていく。
「プッ、アッハハハハ!」
うっすらと滲む姿の彼女は、ひとしきり笑った後、照りつける太陽を背にして、
「当たり前じゃん」
──さも当然のように、そう言い放った。
…私の胸の内は、不思議な気持ちだった。今までに味わったことのない、熱が湧き上がっていた。
「名前」
「え?」
「名前、なんていうんだっけ?」
「…あれ、あたし名乗ってなかったっけ?」
「うん。興味なかったし」
「ひどっ!」
…実のところ、私はその名前を知らない訳じゃない。だけど、こうして名乗りを受けることが、正しい形だと思っている。
「おっほん、あたしは珠沙華、岸珠沙華。よろしくね、えーっと…」
「──、────」
──頭にノイズが走る。「私」の耳が、いや脳髄がそのメモリーをクラッシュしている。
「──、うん。よろしく」
「うん。覚えといてくれると助かる」
「忘れるわけないでしょ?」
そう言ってにまーっとした笑顔を見せる、彼女の名前をひたすら反芻する。胸の奥に染み渡る、熱さが自然とつかえを取ってしまった。
…岸珠沙華。私の、唯一の生きる原動力だ。彼女の存在は、私の──、
「…ねえ。車椅子押してていい?」
その問いに、車椅子の子は……、
「うん、いいよ」
久しぶりに、本当に久しぶりに、心からの笑顔を見せて、答えた。
──その車椅子の子の、真心からの喜びを覚えながら、俯瞰する「私」は、彼女の轍に鉄の臭いが漂っていることに気がつく。
……時が、止まってしまえばいいのに。
──震わない喉から、そんな虚しい祈りが零れ落ちた。
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