今日も人は波を往く。

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「ここ、ですか?」  お婆さんの言った住所には、大きな建物がひとつ。困ったことに、ただでかい建物じゃなかった。 「…学校、ですね」 『学校、だね』  中高一貫の学校、それも、他ならぬ僕の通っている学校だ。校門まで来た途端、ハルは犬みたいに辺りを嗅ぎ回っている。 『あら、確かにいい匂いしない?』  そう言うお婆さんの顔の向ける方へ嗅いでみると、いい匂いかは兎も角、別のモノが漂っている。 「──お線香だ。そういえば、近くにお寺があったっけ」 『まあ、どおりで』  と、にこやかさを保ちつつ、こちらへ振り返り、綺麗な形の礼をするお婆さん。 『ここまででいいわ。ありがとうね』  頭を上げると、お婆さんは校門を抜けて、学校の敷地内へ入っていく。 「あー、ちょっと。受付は?」  呼び止めるも、お婆さんは迷いのない足取りで、どんどん先へ行ってしまった。そして、その行く先にふと疑問を覚えた。 「…? なんで旧校舎に?」  この学校、老朽化に伴い校舎の建て替えが行われたばかりだった。夏休みに入れば、旧校舎は建て壊される予定だ。 「…行っちまった。なんだったんだ?」  いまいち腑に落ちず、肩をすくめていると、ハルは相変わらずの朗らかムードを保ったまま言う。 『まあ、いいじゃないですか。期せずして問題解決です。これで君のお仕事は完了ですかね?』 ……? 待ってくれ。どういうことだ? 「おい、交差点の幽霊の話はまだ終わってないぞ」 『? 何言ってんの。さっきで未練はオシマイだよ。目的地にたどり着いたんだから』 ………待て、待ってくれ。その口ぶり、まさか、まさかなのか? 「お前、交差点の幽霊じゃないの?」 『え、そんなこと一言も言ってませんよ? 幽霊って結構引き寄せ合うんで、特に雨の日はスゴいんですよ? わたしにくっついてれば、自然と遭遇しやすくなるって寸法です』  なんだそれ。一言足りないとかそう言う次元じゃねえ。殆ど詐欺じゃないか? というか、やっぱりその言い分だと……、 『あれ、気付いてなかったの? あのお婆さんが、その交差点の幽霊だったんだよ?』 …やっぱり。事実を目の当たりにして項垂れる。 『何もお婆さんが特別じゃないよ? そこでジュース飲んでるのも、渡り廊下で壁ドンしてるふたりも、教室の窓拭きしてるのも、みーんな幽霊だよ?』  そう言って、彼女が指差す方をじっと見つめる。遠目からじゃ分かりにくいが、吹き抜ける木の葉がすり抜けたり、半透明だったりで人の其ではあり得ない現象が起きている。 『幽霊は特別じゃないよ。皆が見えないし触れられないだけで、皆そこかしこにいる。私がいた交差点も、わたし以外の幽霊は人混みに紛れてるんです』  僕は校門の外に出て、疎らになってきた街並みの人の流れへ徐に目を移す。ちょうど、またにわか雨が降ってきた。 ……目を凝らして見れば、車が行き交う車道に飛び出て遊ぶ子どもに、首にくっきりと縄の痕が残ってるリーマン、ナイフらしきものが背中に突き立てられてるイケメンなど、どう見ても死んでる人がごまんといる。 …なんてこった。次々と衝撃の事実を前に愕然として、腰が抜けその場にへたり込んでしまう。 「え…じゃあ、俺は──」 『あ、もっと身の上話聞けば良かったですか?』 「じゃあ俺はなんのためにパフェ奢らされたのはなんだったんだよ!!」  魂の叫びが、土曜の夕空に木霊する。その姿を、目をぱちくりさせて呆然と眺めるバカ幽霊がいた。 『え、そこ?』 「当たり前だ! なんだ1500円って! しかもおかわり! 映画二本観れるわクソァ!!」 『そんなぁ、結果オーライじゃダメですか?』 「ダメだよォ!」  がっくし、と擬音が聞こえてきそうな心持ちの僕の耳に、何やら唸るような虫の音が届けられる。 『…お腹、空きました』  ハルはうるうるとした小動物みたいな上目遣いをしてくる。だが、生憎と何度もタカられて黙ってられる程人間できてないのだ。 「なら体で払え」 『きゃっ、スケベ!』 「違うわ! 今度はお前の事情を洗いざらい吐かせてやる。そして記事にして晒してやる」 『ひえー、マスコミ怖い!』 「見出しは《腹ペコ幽霊現る》にしてやろうか!」 ──人混みに紛れて、逃げようとする幽霊と、怒れるパパラッチの追跡劇が、ここに幕を開けた。 ──うん、やっぱり。俺、高尾野浩暉は。人混みが、…特に、雨の…が嫌いだ。つくづく、そう思う。
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