第二話:無貌の貴公子

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 ――少女アシタルが、シリウスフォール守護神『天の御柱』より、万能治癒の腕を授かってから数日。  あれからアシタルは、ローランドと共に鍛練をする傍ら、神殿に治癒を求めてやって来る者達への治癒を行っていた。  一気に多人数への治癒を行うと、エネルギー切れでアシタルが倒れてしまう危険性がある。なので一日に少人数ずつの治療が基本となっていた。  どんな傷や病も一瞬で治す、守護神より授かった奇跡の右腕――その噂はシリウスフォール内でも広がり始めており、神殿に足を運ぶ者は徐々に増えつつあった。 「ん~……」  神殿の屋上、アシタルは洗濯物を干しながら、神殿を見渡していた。  古びた石造りで、所々に緑が生えている。屋上を囲む壁は、まるで途中から割れて崩れたかのようだ。  天の御柱も言っていたが、ずっと昔に星落ちによって倒壊してしまった跡なのだろう。 「……天の御柱様の力が戻れば、壁がにょきにょき生えてくるのかな?」  ぱん、と洗濯したシャツのしわを振るって伸ばしつつ、アシタルは洗濯竿の上のモルトゥに問うた。 『うん、楽しみにしてるといいよ!』 「どんな風になるのかな~、楽しみ! きっとすごーく立派なんだろうなぁ……」  なんせ、天に届くほどの建物らしい。アシタルは神殿の本来の姿に思いを馳せつつ、空を見上げた――今日もいい天気だ。  と、その時である。  一陣の風がびゅうと吹いて―― 「……あっ! 私のハンカチっ……!」  干してあったハンカチが風にさらわれ、ひらりひらり。向こうの方に飛んでいってしまうではないか。 「わー! こないだ買ったばっかりなのにーっ!」  慌てて取っ捕まえようとするも、風に舞うハンカチはあっという間に遠くの方へ……。 「モルトゥごめん、続き干してて!」 『きゅ!?』 「すぐ戻るからーっ!」  言うが早いか、アシタルはハンカチを追いかけて、神殿の外へと駆け出した。  ローランドとの鍛練が功を奏したか、アシタルはぐんぐんハンカチに追い付いていく。  ちょうど風も弱まって、白いハンカチはゆっくりと落下を始めていた。 「よっし、捕まえ――」  手を伸ばした、瞬間だった。  ハンカチはアシタルの目の前で、アシタルではない手によって捕獲される。 「……これ、お嬢さんの?」  そう問うてきたのは、豪奢な衣装に身を包んだ青年だった。品のある高貴な雰囲気――上流階級の者だろうか。 「あっ、はい! その、洗濯物が風で飛んでいっちゃって……ありがとうございます」 「お洗濯中だったんだ? お疲れ様、がんばっててえらいねぇ」  はいどうぞ、とハンカチを差し出しながら浮かべる彼の麗しい笑みは、まさに王子様スマイルで。顔の整った者が微笑む様は、さながら一枚の絵画のようだ。 (うわーーっ……なんというか、すごい……)  優しく気遣いまでしてくれて、ただハンカチを渡されただけなのにドキリとしてしまう。  そんな彼は、ふと自らの顎に手を添えると、アシタルを頭から爪先までを眺めていた。 「お嬢さんさ、まだ若そうに見えるけど……洗濯物をしてたってことは、誰かの奥さんだったり? 美人だもんねえ」 「ふああ!? いっ、いえそんな!? び、びじんって、え!?」 「あっはっはっ――ごめんごめん、ビックリさせちゃったよね。それで君って、フリーなのかな?」 「ふりー……とは……!?」 「彼氏とか旦那さんとかいる? ってコト」 「いえ……いません……です」 「あ、ほんと? よかったー」 「えと、えと、ご用件がおありで……?」 「今からデートしようよ!」 「ふああい!!?」  いきなりとんでもないことを聞かれて、背筋がピーンと伸びるアシタル。 (私……私、ひょっとして、ナンパ……されてる……ッ!?)  都会やばい。ナンパなんてアシタルには生まれて初めての経験だった。  あたふたするアシタル。青年はニコニコと微笑んでいたが……ふと、片眉を上げる。 「あれぇ? もしかして君、俺のこと知らなかったり?」 「え……と、はい、すいません……」  言葉通りだった。アシタルがシリウスフォールに来て一年、彼女は専ら神殿でお手伝いや勉強やらに勤しんでいたので、顔は広くないのである。  が、アシタルの「知らない」という返事に青年は楽しそうに笑うではないか。 「そりゃあいい! お互いまっさら、前情報なし! 楽しいじゃないか! ふふ。俺はね、エルドレッドって言うんだ。お嬢さんは?」 「エルドレッド、さん。……私は、えーと、アシタルです」  ……ん?  エルドレッド? 「エルドレッド、って、えッ。も、も、もしかして、その、次期領主の――」  アシタルは、住み込み手伝いのシスター達が噂していたのを聞いたことがあった。  シリウスフォール領主嫡男、次期領主、エルドレッド。  つまり将来的には、このシリウスフォールで一番偉くなる人である。 「ん? 流石に名前は聞いたことあったのかぁ。ま、そのエルドレッドさ。よろしく、アシタルちゃん!」  エルドレッドがいたずらっぽくニッと笑った。アシタルは対照的に狼狽しっ放しである。 「よろしくお願い申し上げますですございます御恐縮ですーっ……!?」  敬語がハチャメチャになっている。と同時にアシタルは思い出していた。シスター達の、エルドレッドの噂のことだ。  ――花狩りの貴公子。  それがエルドレッドの異名。  甘いマスクと甘い言葉で、女の子達を骨抜きにしてしまう伊達男。  シリウスフォールの遊び人、薔薇色の放蕩息子、レディキラー。  その彼にナンパされるなんて!? 「えと、私ッ、お洗濯物の途中でっ……」  あんまりにも畏れ多くて遠慮するアシタルだが。 「いいじゃんいいじゃん! いつも家事がんばってるんでしょ? 今日ぐらいサボっちゃってさ、俺とパーッと遊ぼ?」  エルドレッドは人懐っこい動作でアシタルの隣に並ぶと、促すようにその背にぽんと手を触れた。 「おいしいケーキのお店、知ってるんだ。一瞬に行こうよ、お茶するだけでいいからさ!」  なんて強く誘われてしまうと――相手が領主の子息であることもあり――ノーが言えないアシタルであった。  訂正する。もう一つ理由がある。アシタルは純粋に小腹が空いていたのである! ケーキが! 食べたいのである!
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