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――少女アシタルが、シリウスフォール守護神『天の御柱』より、万能治癒の腕を授かってから数日。
あれからアシタルは、ローランドと共に鍛練をする傍ら、神殿に治癒を求めてやって来る者達への治癒を行っていた。
一気に多人数への治癒を行うと、エネルギー切れでアシタルが倒れてしまう危険性がある。なので一日に少人数ずつの治療が基本となっていた。
どんな傷や病も一瞬で治す、守護神より授かった奇跡の右腕――その噂はシリウスフォール内でも広がり始めており、神殿に足を運ぶ者は徐々に増えつつあった。
「ん~……」
神殿の屋上、アシタルは洗濯物を干しながら、神殿を見渡していた。
古びた石造りで、所々に緑が生えている。屋上を囲む壁は、まるで途中から割れて崩れたかのようだ。
天の御柱も言っていたが、ずっと昔に星落ちによって倒壊してしまった跡なのだろう。
「……天の御柱様の力が戻れば、壁がにょきにょき生えてくるのかな?」
ぱん、と洗濯したシャツのしわを振るって伸ばしつつ、アシタルは洗濯竿の上のモルトゥに問うた。
『うん、楽しみにしてるといいよ!』
「どんな風になるのかな~、楽しみ! きっとすごーく立派なんだろうなぁ……」
なんせ、天に届くほどの建物らしい。アシタルは神殿の本来の姿に思いを馳せつつ、空を見上げた――今日もいい天気だ。
と、その時である。
一陣の風がびゅうと吹いて――
「……あっ! 私のハンカチっ……!」
干してあったハンカチが風にさらわれ、ひらりひらり。向こうの方に飛んでいってしまうではないか。
「わー! こないだ買ったばっかりなのにーっ!」
慌てて取っ捕まえようとするも、風に舞うハンカチはあっという間に遠くの方へ……。
「モルトゥごめん、続き干してて!」
『きゅ!?』
「すぐ戻るからーっ!」
言うが早いか、アシタルはハンカチを追いかけて、神殿の外へと駆け出した。
ローランドとの鍛練が功を奏したか、アシタルはぐんぐんハンカチに追い付いていく。
ちょうど風も弱まって、白いハンカチはゆっくりと落下を始めていた。
「よっし、捕まえ――」
手を伸ばした、瞬間だった。
ハンカチはアシタルの目の前で、アシタルではない手によって捕獲される。
「……これ、お嬢さんの?」
そう問うてきたのは、豪奢な衣装に身を包んだ青年だった。品のある高貴な雰囲気――上流階級の者だろうか。
「あっ、はい! その、洗濯物が風で飛んでいっちゃって……ありがとうございます」
「お洗濯中だったんだ? お疲れ様、がんばっててえらいねぇ」
はいどうぞ、とハンカチを差し出しながら浮かべる彼の麗しい笑みは、まさに王子様スマイルで。顔の整った者が微笑む様は、さながら一枚の絵画のようだ。
(うわーーっ……なんというか、すごい……)
優しく気遣いまでしてくれて、ただハンカチを渡されただけなのにドキリとしてしまう。
そんな彼は、ふと自らの顎に手を添えると、アシタルを頭から爪先までを眺めていた。
「お嬢さんさ、まだ若そうに見えるけど……洗濯物をしてたってことは、誰かの奥さんだったり? 美人だもんねえ」
「ふああ!? いっ、いえそんな!? び、びじんって、え!?」
「あっはっはっ――ごめんごめん、ビックリさせちゃったよね。それで君って、フリーなのかな?」
「ふりー……とは……!?」
「彼氏とか旦那さんとかいる? ってコト」
「いえ……いません……です」
「あ、ほんと? よかったー」
「えと、えと、ご用件がおありで……?」
「今からデートしようよ!」
「ふああい!!?」
いきなりとんでもないことを聞かれて、背筋がピーンと伸びるアシタル。
(私……私、ひょっとして、ナンパ……されてる……ッ!?)
都会やばい。ナンパなんてアシタルには生まれて初めての経験だった。
あたふたするアシタル。青年はニコニコと微笑んでいたが……ふと、片眉を上げる。
「あれぇ? もしかして君、俺のこと知らなかったり?」
「え……と、はい、すいません……」
言葉通りだった。アシタルがシリウスフォールに来て一年、彼女は専ら神殿でお手伝いや勉強やらに勤しんでいたので、顔は広くないのである。
が、アシタルの「知らない」という返事に青年は楽しそうに笑うではないか。
「そりゃあいい! お互いまっさら、前情報なし! 楽しいじゃないか! ふふ。俺はね、エルドレッドって言うんだ。お嬢さんは?」
「エルドレッド、さん。……私は、えーと、アシタルです」
……ん?
エルドレッド?
「エルドレッド、って、えッ。も、も、もしかして、その、次期領主の――」
アシタルは、住み込み手伝いのシスター達が噂していたのを聞いたことがあった。
シリウスフォール領主嫡男、次期領主、エルドレッド。
つまり将来的には、このシリウスフォールで一番偉くなる人である。
「ん? 流石に名前は聞いたことあったのかぁ。ま、そのエルドレッドさ。よろしく、アシタルちゃん!」
エルドレッドがいたずらっぽくニッと笑った。アシタルは対照的に狼狽しっ放しである。
「よろしくお願い申し上げますですございます御恐縮ですーっ……!?」
敬語がハチャメチャになっている。と同時にアシタルは思い出していた。シスター達の、エルドレッドの噂のことだ。
――花狩りの貴公子。
それがエルドレッドの異名。
甘いマスクと甘い言葉で、女の子達を骨抜きにしてしまう伊達男。
シリウスフォールの遊び人、薔薇色の放蕩息子、レディキラー。
その彼にナンパされるなんて!?
「えと、私ッ、お洗濯物の途中でっ……」
あんまりにも畏れ多くて遠慮するアシタルだが。
「いいじゃんいいじゃん! いつも家事がんばってるんでしょ? 今日ぐらいサボっちゃってさ、俺とパーッと遊ぼ?」
エルドレッドは人懐っこい動作でアシタルの隣に並ぶと、促すようにその背にぽんと手を触れた。
「おいしいケーキのお店、知ってるんだ。一瞬に行こうよ、お茶するだけでいいからさ!」
なんて強く誘われてしまうと――相手が領主の子息であることもあり――ノーが言えないアシタルであった。
訂正する。もう一つ理由がある。アシタルは純粋に小腹が空いていたのである! ケーキが! 食べたいのである!
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