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――ナッツとイチジクのムースに、香り高いチョコレートソースのコーティング。
お供はミルクたっぷりの深いコクの紅茶。
花柄が散りばめられたカップもお皿も可愛らしく、乙女心をくすぐった。
「……お、い、し、いーっ……!」
まさに芸術的な味わいだった。風味の繊細さにアシタルは舌鼓を打つ。
「でしょ? ここ、オススメなんだ」
向かいに座ったエルドレッドが、紅茶を片手にニコニコしている。
二人はシリウスフォール内のカフェにいた。流石は領主の嫡男、彼の顔を通りすがる誰も彼もが知っている。今も店員が、客達が、浮わついた声でざわついていた。
「紅茶のおかわりはいかがですか?」
そこへ、頬を赤くしながら女性店員が尋ねてくる。「それじゃあお願いしようかな」とエルドレッドは微笑みながら彼女を見やると、
「気配りありがとう、素敵な美人さん」
エルドレッドはずっとこんな調子だ。見かける者を男女問わずに「美人」だの「素敵」だの「可愛い」だの口説くのである。
エルドレッドの甘い声に、女性店員が恥じらいの笑みを浮かべた。
「きょ、恐縮です……! あの、エルドレッド様……」
「ん?」
「私のこと……その、覚えておられますか? 先週にデートをして頂いた……」
「ん……ん? あ、君だったの! いやあ、服が違うとまた印象も変わるねえ、働いてる君も素敵だよ!」
エルドレッドがからからと笑んだ。「お仕事がんばってね」の言葉に、女性店員は「はい!」と一礼して下がって行く。
(……?)
ふと、アシタルはエルドレッドに違和感を覚えた。先程からもうっすらと感じていたが、今のやり取りでそれが強まった。
(どうして、この人……)
人の顔を覚えていないのだろう?
道中に「エルドレッド様、私です!」と呼びかけた者や、彼に口説かれた者が「前にもそう仰って頂けたんですよ」と言う度に、エルドレッドは決まって「いつ会ったっけ? 毎日いろんな人と会うからさぁ」とはぐらかすのだ。
なかには「私、これでエルドレッド様に十回も口説かれちゃったわ」と自慢げな婦人もいたほどだ。
そういえばとアシタルがもう一つ気付いたことだが、エルドレッドはあまり、人の顔を見ないのだ。見るとしたら顔ではなく全身や服装で……顔をまじまじと見ることはない。
それなのに「可愛い」「美人」と外見を褒める言葉を口にすることが、なんだかアシタルには引っかかった。
(気にしすぎかな……)
エルドレッドは、他人にあまり執着しないタイプなのかもしれない。だからこそ、遊び人と呼ばれているのだろう。
「アシタルちゃんは神殿のお手伝いをしてるんだっけ」
と、エルドレッドがケーキをフォークで一口分に切り分けながら、アシタルに言う。カフェに来るまでの道中に、少しだけアシタルは自分のことを話したのだ。
「はい。田舎から上京して……住み込みでお手伝いさせてもらってます」
「凄いねぇ、がんばり屋さんだ。……あ、神殿といえばさ。うちが贔屓にしてる細工屋がいてね」
「バートさんのことですか?」
「そうそう。神殿にお世話になったみたいで。ありがとうね」
「いえ、私達は治癒師としての使命を全うしたまでです」
まあ、まだ私、正式にはヒーラー許可証を持ってないんだけど……とアシタルは心の中で付け加え。
「バートさんって、御領主一家のお抱え細工師だったんですね……!」
「そそ。真面目な人でねぇ……腕を怪我したなら、納期なんて延ばしてもよかったのに、『領主様からの御発注ですから!』って」
「バートさんが言ってた『納期が近い作品』って、領主様の……!?」
「そー、俺のオヤジねー。何を頼んだのかは知らないけど。なんか大事そうにしてるやつみたい? 俺、オヤジのこと興味ないからさ~」
素っ気ない物言いで、エルドレッドはケーキを頬張った。
「ここだけの話だけどさ、俺、オヤジ苦手なんだよね~。顔会わせたら『立場相応の振る舞いをしろ』って、とにっかく口うるさくて」
「あはは……大変なんですね、次期領主っていう立場も」
「次期領主……ねえ。ま、親の心子知らずって言うけど、俺からしたら逆だね、逆」
――オヤジには俺のことなんて分からないよ。
エルドレッドは窓からの景色を見ながらそう呟いた。
なんだか、アシタルにはその横顔が……とても寂しそうに見えた。
けれど、アシタルが声をかける前に、エルドレッドはにぱっと笑って向き直る。
「この後どこいこっか! 歌劇でも観に行く?」
「あっ……その、お言葉はありがたいんですが、私……そろそろ戻らないと。何も言わずに出てきちゃったので」
「そっかー……うんうん、じゃあまた遊ぼ!」
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