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アシタルはローランドと共にお茶を淹れると、地下の司祭室へと向かった――。
そこは階段を降りた先、太陽の光の届かない場所だ。蝋燭の明かりだけがボンヤリと照らすのみで、後はほとんどが暗闇である。ともすれば魔物の根城、ダンジョンか何かと勘違いしてしまいそうだ。
司祭と領主はソファに腰かけている。フランシスに至っては、アンティークなカウチソファにのんびりと身を預けている悠々自適っぷりだ。むしろ領主ヴィクターの方が改まっているように見える。
「ヴィクター君がお母さんのお腹の中にいる頃から知ってるからねぇ~~~我輩は。いやはや、おっきくなったもんだ」
呆気に取られているアシタルの顔を見て、フランシスはくつくつと笑っていた。「君らも座りな」と促されては、アシタルはローランドと共に席につく。
「……」
ヴィクターは、おずおず座ったアシタルの目をじっと見澄ました――他人の顔をあまり見ようとしないエルドレッドとは大きな違いだ、と感じた。
「君が、アシタル」
「えっ……と、はい、領主様。私がアシタルです」
「バートと、そしてフランシス殿から話を聞いた。君に秘密裏の頼み事がある」
「あ、あ、あの、私、治せるのは怪我と病気だけで……!」
緊張からアシタルは答えを先んじた。エルドレッドとの関係のことだろうかと勘繰ったからだ――この手は人間関係のヒビを治すことはできない。もしかしたら治して欲しいのは肩こりかもしれないけど。いやそんなはずは。
「ああ。だからこそ来たのだ。……エルドレッドの病を治して欲しい」
「エルドレッド様の……ご病気? その、あの方が病だとは初耳なのですが……町でお見かけした時も、元気そうでしたし……」
「そうだろうな。倅の病については無用なトラブルを避ける為にも、一握りの者しか知らないことだ……ゆえにこうして一人で密かに来たのだよ。……それにあの病は、エルドレッドの健康を損ねるものではない」
ヴィクターは深い溜め息を吐いた。それから、おもむろに懐から一枚の紙を取り出す。シワだらけの紙を、丁寧にシワを伸ばして折り畳み直したものだった。
広げられたそれが、卓上に置かれる――アシタルは思わず息を飲んだ。
それは子供の絵だ。
三人の人間がつたなく描かれており――
その首から上は、三つとも、これでもかと真っ黒に塗り潰されていたのである。
「……エルドレッドは、生まれつき……人間の顔が『こう』見えている」
ヴィクターは目を伏せ、幼い絵を見つめていた。「おとうさん」「おかあさん」「ぼく」と、三つの黒いのっぺらぼうのそばに子供の字が書かれている――エルドレッドが幼い頃に描いた絵なのだろう。
(それで……エルドレッド様は……)
アシタルは幾つかの違和感に合点がいった。
エルドレッドが他者の顔に興味がないような素振りを見せるのも。人の顔を覚えていないような振る舞いをするのも。
(そもそも……真っ黒で、なんにも分からないから……)
エルドレッドがすぐに他者の外見を褒めるのは、見えないからこそ、それを悟らせないために先んじて言っていたのかもしれない。アシタルはそう感じた。
「我々も治療を試みたのだがね」
フランシスはカップに注がれた紅茶の水面を眺めながら、息を吐くように言った。「結果は出なかった」と。
「神聖魔法以外にも、試せるものは何でも試した」
言葉を続けたのは領主だ。しかし、その顔色が結果を物語っている。
「……次第にエルドレッド本人が、治療に辟易するようになってしまって、な。『こんなことに金をかけないでくれ』とまで言われてしまったよ。だったらせめてと、他者の顔が分からずとも苦痛なくやっていけるようにと……次期領主として多くのことを学ばせようと思ったのだが」
「『ほっといてくれ』『オヤジに何が分かる』って言われちゃったんだよね、ヴィクター君」
フランシスが慰めるように言った。領主は額を押さえる。
「お前の為だと言っても、まるで言葉が届かない。……結局、まともに口を利かなくなってどれだけの日々が過ぎただろうか。言葉を交わすことになっても、いつもいがみ合うようなものにしかならない。……そしてあの通り、外を遊び歩く放蕩息子になってしまった。……父親として情けない限りだ」
領主の表情は薄い、しかしその表情にはハッキリと憂いがあった。
放蕩息子。一部の者は面白がるが、一部からは非難の声もある。いつか大きなトラブルになりかねない。
「このままではエルドレッドにとって生き辛くなる一方だ……どうにか、してやりたいのだが」
「そんなことが……あったのですね」
なんと声をかけたものか。アシタルは相槌の言葉を返してから、もっと気の利いた言葉があったんじゃないか……と己を省みた。
それから、エルドレッドの治療依頼について、アシタルは背筋を伸ばし直して領主へ向いた。
「領主様、エルドレッド様の治療についてですが……ごめんなさい!」
アシタルは深く頭を下げた。
「エルドレッド様の同意を得てから、でも構いませんか? 彼の了承もないまま、無理矢理、急に治してしまうと……それが領主様の依頼だからとエルドレッド様が知ると、その……本当に、お二人の関係が修復不可能なものになってしまうかな……とか……思って……ですね……すいません」
喋りながら、領主様になんて生意気なことを言ってるんだ自分は、とアシタルは脂汗がじわじわ滲んでくるのを感じた。
(ううっ、絶対怒られるッ……!)
生意気な田舎娘め、この領地から出ていけ――なんて最悪のシナリオがアシタルの頭を過る。
が、彼女の後ろ向きな想像に反して……返ってきたのは、柔らかなヴィクターの声だった。
「……天の御柱様が、どうして君に神秘の力を授けたのか。少し、理由が分かったような気がしたよ」
「あうう……すいません、生意気なことを言ってしまって」
「構わない。気に入ったよ。……エルドレッドへの打診は、アシタル、君に任せてもよろしいか。私がやるとこじれそうでね」
「はい、お任せ下さい!」
「ありがとう。……よろしく頼もう」
「全力を尽くします!」
意気込むアシタルに、ヴィクターが握手を求めた。少女はやっぱり緊張しながらも、領主としっかと握手を交わした。
「司祭として言いまーすアシタル君の派遣オッケーでーす許可しまーす」
一方で緊張感のキの字もなく、フランシスは紅茶をグビグビしながら手でオッケーサインを作った。軽い。さっきバートが重かっただけに高低差で耳がキーンとなりそうだ。
「というわけでアシタル君、今からヴィクターのお家に行ってらっしゃーい。がんばってきてね。……君の大勝負だ、ヘタこくんじゃないよ」
「はい、司祭様!」
「ローランド君も、アシタル君の護衛として同行しなさい」
「承りました」
では、とヴィクターが立ち上がる。
「日も沈めばエルドレッドは戻ってくる。……屋敷へ案内しよう」
「よろしくお願いします、領主様。……あ、道すがらでも、お屋敷についてからでも構わないので――エルドレッド様の話を、たくさん聴かせて下さい」
アシタルは真っ直ぐに、エルドレッドの父親を見つめた。
フランシス司祭も言ったように、これは大勝負だ。ただ治せばいいという話ではない。まずは、エルドレッドから治療の同意を得なければならないのだから。
その為には少しでも手がかりが必要だった。
(それに……)
うまくいけば、この親子二人の関係に入った亀裂も直せるかもしれない。
もちろん、エルドレッドの病を治したらそれでポンと親子仲直り、なんて都合の良い話は考えてはいない。だからこそ、努力せねばならないのだ。
全ての完全修復は難しくとも、せめて二人の笑顔のきっかけになれば……アシタルはそう思いながら、深呼吸を一つ。
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