第二話:無貌の貴公子

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 アシタルはローランドと共にお茶を淹れると、地下の司祭室へと向かった――。  そこは階段を降りた先、太陽の光の届かない場所だ。蝋燭の明かりだけがボンヤリと照らすのみで、後はほとんどが暗闇である。ともすれば魔物の根城、ダンジョンか何かと勘違いしてしまいそうだ。  司祭と領主はソファに腰かけている。フランシスに至っては、アンティークなカウチソファにのんびりと身を預けている悠々自適っぷりだ。むしろ領主ヴィクターの方が改まっているように見える。 「ヴィクター君がお母さんのお腹の中にいる頃から知ってるからねぇ~~~我輩は。いやはや、おっきくなったもんだ」  呆気に取られているアシタルの顔を見て、フランシスはくつくつと笑っていた。「君らも座りな」と促されては、アシタルはローランドと共に席につく。 「……」  ヴィクターは、おずおず座ったアシタルの目をじっと見澄ました――他人の顔をあまり見ようとしないエルドレッドとは大きな違いだ、と感じた。 「君が、アシタル」 「えっ……と、はい、領主様。私がアシタルです」 「バートと、そしてフランシス殿から話を聞いた。君に秘密裏の頼み事がある」 「あ、あ、あの、私、治せるのは怪我と病気だけで……!」  緊張からアシタルは答えを先んじた。エルドレッドとの関係のことだろうかと勘繰ったからだ――この手は人間関係のヒビを治すことはできない。もしかしたら治して欲しいのは肩こりかもしれないけど。いやそんなはずは。 「ああ。だからこそ来たのだ。……エルドレッドの病を治して欲しい」 「エルドレッド様の……ご病気? その、あの方が病だとは初耳なのですが……町でお見かけした時も、元気そうでしたし……」 「そうだろうな。倅の病については無用なトラブルを避ける為にも、一握りの者しか知らないことだ……ゆえにこうして一人で密かに来たのだよ。……それにあの病は、エルドレッドの健康を損ねるものではない」  ヴィクターは深い溜め息を吐いた。それから、おもむろに懐から一枚の紙を取り出す。シワだらけの紙を、丁寧にシワを伸ばして折り畳み直したものだった。  広げられたそれが、卓上に置かれる――アシタルは思わず息を飲んだ。  それは子供の絵だ。  三人の人間がつたなく描かれており―― その首から上は、三つとも、これでもかと真っ黒に塗り潰されていたのである。 「……エルドレッドは、生まれつき……人間の顔が『こう』見えている」  ヴィクターは目を伏せ、幼い絵を見つめていた。「おとうさん」「おかあさん」「ぼく」と、三つの黒いのっぺらぼうのそばに子供の字が書かれている――エルドレッドが幼い頃に描いた絵なのだろう。 (それで……エルドレッド様は……)  アシタルは幾つかの違和感に合点がいった。  エルドレッドが他者の顔に興味がないような素振りを見せるのも。人の顔を覚えていないような振る舞いをするのも。 (そもそも……真っ黒で、なんにも分からないから……)  エルドレッドがすぐに他者の外見を褒めるのは、見えないからこそ、それを悟らせないために先んじて言っていたのかもしれない。アシタルはそう感じた。 「我々も治療を試みたのだがね」  フランシスはカップに注がれた紅茶の水面を眺めながら、息を吐くように言った。「結果は出なかった」と。 「神聖魔法以外にも、試せるものは何でも試した」  言葉を続けたのは領主だ。しかし、その顔色が結果を物語っている。 「……次第にエルドレッド本人が、治療に辟易するようになってしまって、な。『こんなことに金をかけないでくれ』とまで言われてしまったよ。だったらせめてと、他者の顔が分からずとも苦痛なくやっていけるようにと……次期領主として多くのことを学ばせようと思ったのだが」 「『ほっといてくれ』『オヤジに何が分かる』って言われちゃったんだよね、ヴィクター君」  フランシスが慰めるように言った。領主は額を押さえる。 「お前の為だと言っても、まるで言葉が届かない。……結局、まともに口を利かなくなってどれだけの日々が過ぎただろうか。言葉を交わすことになっても、いつもいがみ合うようなものにしかならない。……そしてあの通り、外を遊び歩く放蕩息子になってしまった。……父親として情けない限りだ」  領主の表情は薄い、しかしその表情にはハッキリと憂いがあった。  放蕩息子。一部の者は面白がるが、一部からは非難の声もある。いつか大きなトラブルになりかねない。 「このままではエルドレッドにとって生き辛くなる一方だ……どうにか、してやりたいのだが」 「そんなことが……あったのですね」  なんと声をかけたものか。アシタルは相槌の言葉を返してから、もっと気の利いた言葉があったんじゃないか……と己を省みた。  それから、エルドレッドの治療依頼について、アシタルは背筋を伸ばし直して領主へ向いた。 「領主様、エルドレッド様の治療についてですが……ごめんなさい!」  アシタルは深く頭を下げた。 「エルドレッド様の同意を得てから、でも構いませんか? 彼の了承もないまま、無理矢理、急に治してしまうと……それが領主様の依頼だからとエルドレッド様が知ると、その……本当に、お二人の関係が修復不可能なものになってしまうかな……とか……思って……ですね……すいません」  喋りながら、領主様になんて生意気なことを言ってるんだ自分は、とアシタルは脂汗がじわじわ滲んでくるのを感じた。 (ううっ、絶対怒られるッ……!)  生意気な田舎娘め、この領地から出ていけ――なんて最悪のシナリオがアシタルの頭を過る。  が、彼女の後ろ向きな想像に反して……返ってきたのは、柔らかなヴィクターの声だった。 「……天の御柱様が、どうして君に神秘の力を授けたのか。少し、理由が分かったような気がしたよ」 「あうう……すいません、生意気なことを言ってしまって」 「構わない。気に入ったよ。……エルドレッドへの打診は、アシタル、君に任せてもよろしいか。私がやるとこじれそうでね」 「はい、お任せ下さい!」 「ありがとう。……よろしく頼もう」 「全力を尽くします!」  意気込むアシタルに、ヴィクターが握手を求めた。少女はやっぱり緊張しながらも、領主としっかと握手を交わした。 「司祭として言いまーすアシタル君の派遣オッケーでーす許可しまーす」  一方で緊張感のキの字もなく、フランシスは紅茶をグビグビしながら手でオッケーサインを作った。軽い。さっきバートが重かっただけに高低差で耳がキーンとなりそうだ。 「というわけでアシタル君、今からヴィクターのお家に行ってらっしゃーい。がんばってきてね。……君の大勝負だ、ヘタこくんじゃないよ」 「はい、司祭様!」 「ローランド君も、アシタル君の護衛として同行しなさい」 「承りました」  では、とヴィクターが立ち上がる。 「日も沈めばエルドレッドは戻ってくる。……屋敷へ案内しよう」 「よろしくお願いします、領主様。……あ、道すがらでも、お屋敷についてからでも構わないので――エルドレッド様の話を、たくさん聴かせて下さい」  アシタルは真っ直ぐに、エルドレッドの父親を見つめた。  フランシス司祭も言ったように、これは大勝負だ。ただ治せばいいという話ではない。まずは、エルドレッドから治療の同意を得なければならないのだから。  その為には少しでも手がかりが必要だった。 (それに……)  うまくいけば、この親子二人の関係に入った亀裂も直せるかもしれない。  もちろん、エルドレッドの病を治したらそれでポンと親子仲直り、なんて都合の良い話は考えてはいない。だからこそ、努力せねばならないのだ。  全ての完全修復は難しくとも、せめて二人の笑顔のきっかけになれば……アシタルはそう思いながら、深呼吸を一つ。
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