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――おおおおおッ、と男達の勇ましい声が響く。
模擬戦闘を繰り広げている若き新兵達の、どことなく力んで初々しい声だ。
「が、がんばれー、がんばれー」
アシタルはその傍ら、天幕の下で 折り畳みの椅子に座り、彼らを応援している。なお足は既に疲労困憊でパンパンだ。
エルドレッドによる『歌って踊れるヒーラー宣伝』はアシタルの想像以上に絶大だったらしく、彼女が応援の声を発する度に、「はいッ!」と気合いの入った声が返ってくる。
「……皆さん凄く熱心ですね」
応援しているのはちょっと小恥ずかしいが、これが皆の為になるのならとアシタルは声を張り上げる。
彼女の隣にはローランドが、護衛の為に控えていた。
「ええ、良きことです。アシタル様の応援の成果ですね」
「そ……そうですかね?」
アシタルは、こうも男だらけの空間にポイと投げ込まれることなどこれまでなかった。小さな頃は女の子とばかり遊んでいたし。
決して居心地が悪いというわけではないが(皆、唯一の女の子であるアシタルを気遣ってくれるし)、なんだかこそばゆいような心地はした……ので、膝の上で丸くなって眠っているモルトゥを両手で包んでもふもふしている。
「オルァアアーーーー!!」
訓練中の兵士の声に混じって、ひときわ大きいのはザカリーの声だ。
「気合い入れろオルァアアーーーー! 腹から声出せぇえええい!!」
「「はいッ!!」」
ザカリーは一度に大量の新兵らを相手取っていた。
彼の目からすれば、新兵の奮う武器など止まって見えるのであろう。
「どっせい!!」
大きなハルバードの一振るいで、新兵らが「うわー!」と蹴散らされていく。もちろん模擬戦なので殺傷力のない一撃だ。
「そんなんでドラゴンに勝てるかァアアーーーーーッッ!! 何度でもかかって来ぉいッ!!」
「「はいッッ!!」」
……兵士さんって大変だなぁ、とアシタルは眺めている。
転がされ、吹っ飛ばされ、土埃と擦り傷まみれになっても、歯を食い縛って立ち上がる。立てない者にはザカリーからの叱咤激励が飛ぶ。
それでもがんばり続ける新兵らの姿は、とても輝いているように見えた。
「そういえば、ローランドさん。お兄さんと……ザカリーさんと仲良しなんですね」
「ああ……そうですね。誇り高くてとても強くて。自慢の兄です。小さな頃はよく遊んだものですとも。楽しかったなぁ、決闘ごっこ……」
「け、決闘ごっこですか」
「お鍋の蓋の盾と、木の枝の剣で。いやー小さな頃からザカリー兄さんの強いこと強いこと。おかげで防御技術が鍛えられましたね」
「それでパラディンに?」
「兄は傭兵部隊として外に出ますから。だったらわたくしはシリウスフォールを内側で護ろうと」
「へえ……素敵ですね!」
とアシタルが笑んだところで、ザカリーが笛を吹いて模擬戦の終了を告げた。
途端に、兵士らが限界の疲労で次々と地面に倒れ込むのであった。
「お疲れ様です、お疲れ様です~~」
そんな彼らに飲み水入りの水筒を配りつつ、アシタルは傷の具合を見ていく。
「負傷した方はこちらへ――」
と、アシタルが手を上げた瞬間だ。
「「はい!」」「「はい!!」」「「はい!!!」」
あっちでこっちで挙手の嵐。
かわいい女の子に「がんばったねー♪」てナデナデしてもらって怪我が治るとか最高すぎる――全員がそう思っていたのだ。
が、実際問題、こんな大量の人間を治療するとアシタルがエネルギー切れを起こしてしまう。
「ローランドさん、この状況、どうしましょう……」
「ふむふむ、これは『トリアージ』が必要ですな」
「……トリアージ?」
「アシタル様……ヒーラーなら覚えておくべきことですよっ。トリアージとは、患者の傷の具合から治療の優先度を決めることです。」
「あ、本で読んだよーな……」
「今回は命に関わるような重傷者もいませんしね。練習もかねて、やってみましょうか!」
「はいっ!」
……なんだか凄く久々にヒーラーらしいことをしている気がする!
意気込むアシタルは、新人衛生兵らと一緒に早速トリアージに取りかかる。
まあ今回は危機的な重傷者もいない、大まかに「歩けるか否か」「負傷した部位を動かせるか否か」で判別することにした。
その結果、ほんの数名であるが、転倒の際に筋を痛めた者や、どうやら骨にヒビか剥離が起きた者といった、比較的重傷の者をアシタルの手で治癒することになった。
「っ……」
傷を直視するのは未だ慣れない。
それでもアシタルは、彼らがまだまだ訓練できるようにと、その痛みが消えるようにと、右の手を――シリウスフォール守護神、天の御柱の権能を用いるのだ。
「大丈夫、すぐに治りますからね!」
患者に心配させまいと、明るく元気に微笑んで。
アシタルが右手で彼らの傷に触れ、優しく撫でれば、傷はなかったことになる。あらゆる痛みが一瞬で消える。治癒というより、奇跡と形容すべきだろう。
「え……え!? 痛くない……治ってる!」
「す、凄いっ……!」
「これが噂の、神の右腕……!」
兵士達がどよめいている。治療された者が「ありがとうございます!」と頭を下げる。
「どういたしまして。訓練、一緒にがんばっていきましょうねっ」
ちょっと照れ臭い気持ちになりながらも、アシタルは向けられる感謝ひとつひとつに丁寧に答えた。
兵士達は、「はいっ!!」と砂埃で汚れた頬を赤くしながら強く頷く。
すると。
「ほっほぉぉおお! そぉれが例の神の腕かァ!!」
覗き込んでいたザカリーが、どでかい声で感心を示す。
「わあビックリした……そうですね。まだ使い慣れていなくて、使いすぎるとダウンしちゃうんですが……」
「うわースゲーなぁスゲーなぁ欲しいなぁぁ、それあると戦況変わるぞマジでマジでマジで、うおおおお欲しいいいいちょっとうちの部隊所属にならない?」
「ええっと……兵隊さんになるのは、ちょっと、私には向いてないかなって! 私、臆病ですし……」
「傷や血ィ見るのもダメみたいだしなぁ」
「え……あはは……バレてました?」
「ザカリーアイは千里眼ンンン!! お前はぁ、なんだろなぁ、共感する力がつえーのかもなぁ?」
「共感する力……」
そう言われてみれば、確かにそう……なのかもしれない、とアシタルは省みる。
エルドレッドと出会った時に感じたことをふっと思い出した。顔が分からない彼の『違和感』に気付けたのも、ザカリーが言うように共感力が強いからだろうか?
「そーゆーアンテナがつえーから、神様にも会えたのかもなぁ」
「どうなんでしょうね……? でも、なんだか、……ありがとうございます。血や傷が苦手なこと、ずっとダメで嫌で克服したいって思ってたんですけど、」
共感する力が強いからだ、と……能力として褒められたのは初めてで。
アシタルは心がむずむずするような嬉しさを感じたのだ。
「まーーーーそれはさておき、ヒーラーやるなら血や傷でビビっちまうのはどーにかしろよぉー!!」
「で、ですよねー」
ゲラゲラ笑うザカリーに背中をべしべし叩かれる。アシタルは体をグラグラさせながら苦笑を浮かべた。
その向こう側では、擦り傷程度の兵士達の治療が進んでいく。尤もこちらは治癒魔法を使うのではなく、洗浄や傷口の保護といった応急処置だが。逆に言うとその程度の治療で十二分、ということである。
一段落もすれば、食事の用意だ。
野営地はワイワイと活気付き、大きな鍋からはいいにおいの湯気が立ち上っている。
……が、アシタルは治療をちょっと張り切りすぎてエネルギーを消耗してしまい、そのせいでとても眠たくなってしまった。
アシタルは今、彼女専用の天幕内で横になっている。天幕の入り口を守るのは、完全武装のローランドだ。厳めしい鎧――しかも隊長ザカリーの実弟が門番ならば、野郎共のアプローチ精神も露と消える。
「ん~~……」
アシタルは寝返りを打った。
そのことで、お腹の上で寝ていたモルトゥがぽろんと落ちてしまう。
「きゅっ……」
落下の衝撃で目覚めるモルトゥ。
ぷるぷると顔を振って、それから漂ってくる夕飯の香りに鼻をひくひくさせた。
『アシタル! ごはんだよ!』
モルトゥはきゅーきゅーとアシタルのほっぺたに前足を乗せる。
「んんん……あと五分……」
『お腹すいてるでしょ?』
「す……す……空いてる!」
アシタルはガバッと身を起こした。神の腕を使うとエネルギーを消耗する、すなわちお腹が減る。
「ごはんンン゛!!」
我が子を食らうサトゥルヌスめいてモルトゥにかじりつくアシタル。完全に寝ぼけている。
『きゅわわーーーー!! たたたたた食べべべべ食べないでぇええ!!』
「う゛っ! 口の中に毛が……ボゥエッ」
もしゃもしゃの舌触りに、アシタルはようやっとしっかり目が覚める。我に返れば、彼女の手の中には涎でベショベショになってしまったモルトゥが……。
「ああっ! モルトゥ!? いったい誰がこんなことを」
『君だからね……』
「!?」
とまあ、モルトゥを拭いてあげて、寝癖を直して……とアシタルがゴソゴソしていると、天幕の外のローランドが気付いたようだ。
「アシタル様、お目覚めですかー?」
外から聞こえてきた彼の声に、アシタルは「はーい」と返事をしながら天幕から出た。
「おはようございます。……夕方ですけどね!」
「どうも……わりとガッツリ寝ちゃいましたね私?」
「お疲れ様です。さ、お食事の時間ですよ」
「ごはん!」
――本日のメニュー。
塩漬け肉と芋と根菜の豪快煮込み。堅パンと一緒に召し上がれ。
拠点からそう離れた場所ではないこと、新兵の数はそんなに大規模ではないことから、食料は豊富だ。嗜好品としてのヌガーキャンディまでついている。
「……わあ! おいしそう……!」
アシタルは目を輝かせた。
いわゆるミリタリー飯はもっとこう、武骨で質素なものかと思っていたのだ。
「我等が守護神、天の御柱様に感謝して……この恵みが我等の糧になりますよう」
ローランドが神に仕える神聖騎士らしく、食前の祈りを捧げる。
兵士達、そしてアシタルもそれに倣った。
――どんな時でも、どんな場所でも、お腹は空く。
「おいふぃい……おいふぃい……」
アシタルは空腹が満たされゆく心地に表情を蕩けさせていた。
厚切り肉を口一杯に頬張れば、脂の旨味がじゅわりと優しく広がった。『肉を全力で頬張る』、このことがもたらす『生きている』快感。塩味がまた、今日一日がんばった体に染み渡るのだ。細胞ひとつひとつが喜んでいる。
もちろん野菜だって負けてはいない。厚切りのそれらは素材の味が生きていながらも、嫌な青臭さは感じない。肉の脂が染みて、なんともなんとも甘いのだ。
肉には野菜の旨味が、野菜には肉の旨味が、それぞれ染み込んでいた。
「明日からは自給自足な」
――そんな時だった。
――爆弾発言だった。
「「え?」」
一同の目が、発言者であるザカリーに集まる。彼はヌガーキャンディをもちもちと頬張っていた。
「だからァ、明日からは自給自足な! あそこに森があるだろぉン? 明後日の夜まで、そこで自給自足ッッ」
――な、なんだってーーーー!?
「がんばれよッ!」
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