第二話:無貌の貴公子

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第二話:無貌の貴公子

 治癒魔法とは――  この世界に数多存在している『神』という高位存在から、祈りや詠唱を介して権能の一端を譲り受け、治癒という奇跡を発現する魔法――神聖魔法の内の一つである。  治療する傷病の程度が甚大なほど、つまり治癒魔法が大規模になるほど、消費される魔力は大きくなる。  その特性上、強力な神を介したり、その神の勢力圏である方が魔法の効果は高まる。  シリウスフォールの守護神『天の御柱』は、その力が弱まりつつあった。  ゆえに『天の御柱を介した治癒魔法』の効果もまた弱くなっているのが現状だ。  特に速効性において顕著で、シリウスフォールでは通常、何度も神殿に『通院』してもらって治癒魔法を繰り返さねばならなかった。  さて、アシタルがその天の御柱から『何でも治せる奇跡の右手』を授かってから、次の日。 (今日から……! 私の、ヒーラー活動一日目……!)  名目上は手伝いだが、治癒の力を使って、つまりは憧れのヒーラーとして、困っている人を助けられるのだ。  がんばれば正式にヒーラー許可証ももらえるかもしれない。アシタルは張り切っていた。 「――『では、本日もがんばりましょう。苦しむ者に手を差し伸べることが、我々ヒーラーの役目です』」  司祭フランシスの言葉……を伝言というメモとして預かったローランドが、朝礼の締めとしてそれを読み上げた。司祭は吸血鬼、太陽が出ている間は休眠している。  ローランドが伝えた司祭の言葉に、シリウスフォール神殿所属のヒーラー達が「はい!」と声を揃えた。アシタルもその一人だ。  神殿の門が開けば、朝から列を成して待っていた幾人かの領民がやって来る。  アシタルは名目上は手伝いということで、ローランドの隣にいた。彼も治癒魔法を用いることができるヒーラーの一人なのだ。  そこへ通されたのは一人の男である。 (あ、この人……)  アシタルには見覚えがあった。  一昨日辺りから来るようになった者で、細工師をやっているとか。納期が迫っているのに、うっかり階段から落ちてしまって利き腕を負傷した……というケースだったはず。  名前は確か―― 「バートさん、おはようございます」  アシタルは彼――細工師バートに挨拶をした。  バートは表情に焦燥を浮かべたまま、「あぁ……」とクマのある目でアシタルの方を向く。 「君は……いつも神殿の庭の花に水やりをしている……」 (あ、私の印象ってやっぱりそういう……)  まあ仕方ないのだが! ヒーラー見習いですらないし! と心の中で呟きつつ、アシタルはバートへ「どうも……」と肩を竦めつつ笑った。 「それで、バートさん。傷の具合は?」 「まだ……指が動かしにくくて……今日も治癒をお願いします。早く仕上げないと……早く仕上げないと……ううう駄目だ早く仕上げないとさもなくば死ぬしかないッッッ」  怪我以上に、バートはかなり精神的にやられているようだ。もともと神経質な人柄らしく、顔から血の気がどんどん引いていく。 「お、落ち着いて下さいバートさん! 何事も命あってですよ!」  無事な方の手で頭をガシガシ掻きむしるバートを、アシタルは必死になだめる。 「細工師業のできない私など無価値の極みです生きてる廃棄物です駄目なんです!」  そう早口でまくしたてるバートは随分と生真面目……というか『重い』職人のようだ。だからこそ、クライアントと交わした納期という約束を破ることが耐えられないのだろう。  ふうふうと肩を震わせつつ、バートはローランドの方へと向いた。「では」とローランドはアシタルに目配せをする。 「アシタル様、できますか?」 「え?」  騎士の言葉に、細工師は目を丸くする。  まあ、当然だろう。バートはアシタルのことを、ヒーラーではなく下働きか何かだと思っているようである。 「あの……あの、え?」  バートは困惑した様子で、ローランドとアシタルとを見比べた。  アシタルのことが気になるのは他のヒーラー達も同じようで、ちらちらとアシタルの方に気を配っている。 (うっ……そんな風に見られると、緊張してきちゃうなぁ……)  アシタルは唾を飲みつつ、自分の右掌をそっと見た。  もし治癒の力が働かなかったら……そんな不安も過るが、自分を助けてくれた天の御柱様を信じよう。  アシタルは、バートの瞳をじっと見澄ました。 「大丈夫! ……です。私が治します、バートさん!」 「でも君は……」 「信じて貰えないかもしれないですけど、私――神様から、凄い力を授かったんです。まあ、騙されたと思って見ていて下さいよ。五秒で済みますから」  精一杯、アシタルは自信たっぷりにそう言い切った。たとえハッタリでも、今はこうやって振舞った方がバートもいくらか安心してくれるだろうとふんだからだ。  淀みないアシタルの物言いに、バートは一瞬、呆気に取られたようだ。 「そ、そんなに……言うのなら……」  しどろもどろにそう言って、逡巡の後、バートはおそるおそると負傷した右手を差し出してくれる。骨が見事なまでに折れてしまった部位で、痛々しいほどに腫れ上がっている……。  まだ出血や酷い傷口がないので、アシタルは傷を直視することができた。心臓はドキッと跳ねたが。  深呼吸の後、アシタルはバートの傷に、神より賜った右の掌をそっと重ねた。彼の苦しみが消えることを祈って、優しく撫でる――。 「――……どうですか?」  手を離しながら、アシタルはバートに問うた。昨日、自分には使ったが、他者に使うのはこれが初めてだった。 「……、……あ、……!」  バートはゆっくりと利き手を動かして――表情に驚愕を浮かべた。 「……手が動く。痛くない、治ってる! 治ってるッ!!」  驚きと感動がこもったバートの歓声は、神殿中の目線を彼へ、そしてアシタルへと集めた。  ざわざわと神殿が色めき立つ。 「今の見た!?」 「バートさんの治療はあと数回の魔法行使が必要だったはず――」 「詠唱もなかったぞ!」 「す、凄い……!」 「今の、本当に魔法!? ありえない!」 「一体何がどうなってるんだ!?」  あれだけの傷を、一瞬で、魔法発動に必要な詠唱もなく。  ありえざる事態に、ヒーラーも患者達も目を白黒させていた。 「静粛に、皆様どうか落ち着いて下さい」  そんな騒ぎを静めたのはローランドだ。懐から書簡を取り出す。フランシス司祭のサインが、血のような赤いインクで記されていた。 「フランシス司祭より伝言を預かっております――『これが読まれているということは、アシタル君の奇蹟がもたらされた後ということだろう。アシタル君の右腕には、我らがシリウスフォール守護神、天の御柱様の御権能が授けられている。その力は、御覧頂いた通りである』」  ローランドがフランシスに代わってそう言うと、人々は「おおっ……!」と声を上げた。疑う者はいなかった。現に目の前で『奇跡』が起きたからである!  その直後だ。自分も治して欲しい、自分もだ、と人々が一斉に手を挙げる。にわかに神殿内が賑やかになる。 「わわわ……っ! え、えーと、順番、順番です!」  こんなに大きなリアクションになるとは思っていなくて、アシタルは狼狽えた。 「あ、あの!」  周囲の賑やかな声に負けぬ声量で、バートがアシタルを呼ぶ。 「……これで納期までに作品を仕上げることができます、本当に――本当に、ありがとうございますっ!!」 「いえいえ。お大事になさってくださいね。あ! それから、製作も応援してますっ」 「ありがとうございます。本当に……なんとお礼を申し上げれば良いのやら」  涙すら浮かべて繰り返される感謝に、バートがよほど大切な仕事を任せられていたのだろうことを、アシタルは察した。  なんにしても――先ほどの痛々しい傷が綺麗に治り、喜んでいる姿を見るのは、治癒した者として喜ばしいことだ。 「どういたしまして。これも天の御柱様のおかげです」  アシタルは微笑みと共にそう返すと、治療を待つ者達へと振り返った。  この腕の力があれば――皆を治療できる。皆を助けることができる。 「さあ、私に任せて下さい!」
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