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<”闇”を”病み”とする発想は、秀逸というしかない。日本語特有の語呂合わせ理解にしても、非常に興味深い。
なぜなら、たとえば、人を”強く憎む””ひどく恨む”などは、怨霊の条件であるわけだが、本人の理性、自由意志で、それを止めることができるかどうか。もし、本人でも制御不可能なほどの憎悪ということであれば、それは、今の時代でいえば”精神障害”と言っていいのではないだろうか。つまり、”病み”なのである。
日本の怨霊浄霊論の暗黙の前提として、その”怨念の闇”も、”本人の自由意志で制御できるもの”があるのは間違いないだろう。しかし、実際問題、そうなのだろうか。私は、精神医学の素養のない門外漢だが、怨霊に成るほどの怨念を持つのは、実際的に考えれば、心が壊れた、脳の神経細胞回路に障害が発生してしまった状態と考えるべきなのではないか。
そうなると、善導すること、怨霊本人の自由意識による悔悟、反省、つまり更生は不可能であると考えざるを得なくなる。だからこそ、逆に怨霊は、”退治”されるしかそれを無くす方法がないという結論に成り、だからこそ、ヒーローによる怨霊封印か、怨霊殲滅の死闘、武勇伝にならざるをえない。
人々は、まさにそのようにこの問題を理解しているのではないだろうか。
だが、逆に、日本語の語源的に、まさに”病い”を”闇に飲まれた状態”として忌避するしかなかった古代の長い歴史の中から生活経験的に培ってきた発想というのも、否定は出来ない。
なんであれ、”病”と”闇”の共通因子を古代日本人が持っていたのは、偶然かもしれないが、もっと評価していいのではないだろうか>
”書籍のネット配信・販売”という新機軸の”電子書籍””幻魔文庫”を始めた東丈は、いつになく熱を込めて原稿を打ち込んでいく。
彼は、初老の超常現象研究家である。若くして、志高くこの稼業を選んだのだが、正直、日本では西欧のように超常現象研究が大学といったアカデミーの正式な学問として定着することは、あきらめるしかないかもしれない。
もっとも、”大学のオカルト研究会からの延長なのだから、文句は言えないかも・・”というのが、彼の思いなのだが。彼のなかなか鬱屈した内面とは別に、周囲は、マイペースのどこか茫洋とした正体不明の超絶美形評論家という立ち位置を彼に与えたのだった。
”幻魔文庫”だけの限定リリース第一弾を執筆開始したのだった。題名は、まだ、仮だが”新・幻魔の標的”としようと考えている。では、”幻魔の標的”という前作があったかといわれれば、”NO”と答えるしかない。そうなのだ、”この世界”では、”幻魔の標的”という書籍は、ついぞ、存在したことはないのである。
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