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「ハカセ、タイヘンです!」
うらぶれた四畳半の和室、私は萎れたセンベイ布団で目が覚めた。枕だけ異様に高級品だったが、漂う加齢臭に顔をしかめる。
ここは、私の寝室だ。見慣れた風景。日に焼けた畳。乱雑する資料。狭い場所でないと眠れないから特別に造ったんだっけ。布団も柔らかいと眠れないからペラペラの布団だ。
……そんな周囲の視覚的情報よりも。
この天才科学者バビニクに「タイヘンです」と言ってきた者へと私は顔を向ける。
枕元で正座しているのはロボットだった。
それがロボットだとは一目で分かった。
人間の見た目をしているが、オシャレでナイスデザインで機能美ギラギラな外見。うーんグッドデザイン。なぜならそれをデザインして造り上げたのは自分だからだ。
そう、このロボットは私が作った最初の傑作だ。
名前はイチゴウという。イチローかイチゴウかで凄く悩んだものだが、『号』がついてるのはなんとなくカッコイイのでイチゴウになった。
「ああ、イチゴウ……おはよう。タイヘンって何が?」
「……何でしょうね!?」
イチゴウは自分であんなことを言っておいて、驚いたように目を丸くした。「いや知らんよ」と上体を起こした私は目を擦った。
「イチゴウ、今は何時だ? 学校に行かないと……」
「今は10時23分41秒です。学校にはもう行かなくてもいいんですよ」
「マジ? じゃあ二度寝するわ」
「ハカセ! 寝過ぎは頭痛のモトですよ!」
折角布団に潜り込んだのに、イチゴウは無情にもそれを剥ぎ取ってしまうのだ。
布団の中でせっせと温めた空気が全部逃げていく……。
「とりあえず顔を洗ってきて下さい、自分はご飯の用意してますから」
イチゴウは立ち上がって部屋から出て行く。あの子には私の夢と浪漫を詰め込んだ助手兼万能ロボットだ。特にあの情緒の豊かさは凡人には再現できまい。
やっぱり私って天才だわ。私は遠慮のない自画自賛をしながらゴソゴソ起き上がる。洗面所へ向かう。
……そういえば視点がなんだか低いような?
あと肩こりと腰痛が消えてるし、視界もクリアだし、体が軽い。
私が寝てる間にイチゴウがコッソリとマッサージでもしてくれたんだろうか?
そんなことを思いながら、私は洗面所の鏡を見て――驚愕したのだ。
私が見知らぬ美少女になっていた。しかも服はセーラー服だった。
「なんじゃこりゃあああああああ」
「ハカセ! タイヘンですか!?」
私の絹を裂くような悲鳴を聞き付け、イチゴウが割烹着のまま洗面所に駆け込んでくる。
一方で私はと言うと、かつてない事態にそれはもう狼狽していた。
「いや、ほら! 私! 美少女! 銀髪赤目セーラー服! JK!」
「あー。そっすね」
「いやいやいやいや! 私はもっとほら、男で! 年齢も結構ある! ダンディズムな! ロマンスグレーな! イチゴウお前! 何か知ってるか!?」
「うーん、ちょっとよく分からないです」
「ていうか主人の見た目が変わってたら何か言え!?」
「えーと。とりあえずご飯を食べながら話を整理しましょうか」
イチゴウが遠回しに「落ち着いて下さい」と言っている。ひとまず私は口を噤んだ。
それから顔を洗って居間へ……その時間のおかげで私は狼狽を幾らかクールダウンできた。
「自分もよく分からないんですよね」
ありふれた民家の居間。イチゴウは私専用のお茶碗に白米をよそいながら、肩を竦めた。
「よく分からない、とは?」
「確かにバビニクハカセがもともと白髪交じりでシワのある成人男性だった記憶はあります。なぜ、いつから少女の外見になったのか……というのがなんだか曖昧なんですよね」
「しかしお前、私の外見を見ても驚いたり疑ったりしなかったな。バビニク=美少女という認識が既にあったということだ」
「確かに……」
「お前は私の美少女化について何か知っているのは間違いない。ロボットの記憶が曖昧ということは、何か故障でも起きているのか? あとでちょっくら解析してみよう」
「先に朝ご飯を食べて下さいね」
「うむ」
今日の朝ごはんは炊き立てご飯と味噌汁と魚の煮つけとホウレンソウのおひたし、ヨーグルトとフレッシュな牛乳。
ちなみにこれ、スーパーに買い出しに行くのが面倒な私が「プランクトンからそれっぽい見た目と味の物質を生成できるようにしよう」という考えから発明した装置から形成された、完全栄養食である。
これでもうスーパーに行かなくてもいいし、好きなものを好きなだけ生成したり料理したりできるスグレモノ。
なお世界に普及させようと思ったが、農業や畜産など食物関係の人間がまるっと失業するおそれがあること、貧しい国が急に力を付けて世界情勢がひっくり返る危険性、というなんやかんや大人の事情で個人所有に留まっている。
「うんウマイ。『ナンデモツクレール』は問題なく起動しているようだな」
「流石ハカセ、天才です。おかげさまで世界が滅んでもハカセの食事には困りませんね」
「そうだな、大災害などの『もしも』見越して作ったフシはある…… なんだと?」
まだ咀嚼が足りていないホウレンソウをウグッと飲み込み、私は顔をしかめた。
「今、なんて言ったお前?」
「ですから、『ナンデモツクレール』のおかげで、世界が滅んでもハカセの食事には困らないので良かったなーって」
「世界が滅んだ?」
「はい。いつ滅んだのかちょっと自分も分からないんですけど」
まるで平然と言うイチゴウとは対照的に、私は返事もできないでいた。
イチゴウにはジョークを言う機能もついている、だが、こんなタチの悪い――少なくともエイプリルフールめいた嘘による冗談は言わないハズ。
「おま……お前そういうのは先に言おう!?」
「ハカセ、口元にお米粒がっ」
「今はそうじゃないよね! まったくファニーな奴め!」
言い返しながら私はお米粒を取った。
その瞬間である。
ドカーン、と大きな音がして、研究所がビリビリと揺れた。
「な、何の音だ? 核でも落ちて来たのか?」
「ハカセ、タイヘンです! ロボットが攻めて来てます!」
「ロボットだとぉ!?」
「先程の爆音は敵性ロボットのロケットランチャーによるものと思われます!」
「ええい次から次へとなんなのだ! 迎撃だ、迎撃だ! イチゴウ行くぞ! お前に武装を搭載してやる!」
食べかけの朝ごはんをそのままに、私は腕によりをかけて、ありったけの武装とそれを使いこなす為のプログラムをイチゴウに搭載してやった。
そう、私は天才科学者だ。ロボットを作ったり、なんやかんや発明品をガチャガチャやっていた記憶がある。手が全て覚えている。これは確かなことで間違いない。
だが手を動かしながら、違和感は募る。
『自分もよく分からないんですよね』
イチゴウがそう言っていたが、私も目覚める前の……つまり昨日以降の記憶が曖昧なのだ。つまりは記憶喪失になっている。
一体何が起きている?
分からないことが立て続けに起きすぎて、頭が痛くなりそうだ。
いや、今は謎の敵性ロボットをどうにかせねば。目の前のことから解決せねば発狂しそうだ。
「よしできたぞイチゴウ! 行け! 無礼な連中を蹴散らしてしまえ!」
「了解です、ハカセ!」
そして……
……屍山血河死屍累々とはまさに。
やって来たのは大量のロボット歩兵だった。手に手に銃火器を構え、ザッザッザッと足音を揃えて歩いていた姿はさながら軍隊そのもの――だった。
今はことごとく物言わぬスクラップの山。私のイチゴウに敵うロボットなんてこの世にいないのだ、エッヘン。
「……このロボット、どこから来たんだ……明確に敵意があったが、なぜ……」
私はイチゴウが操る『空飛ぶギロチン』で首がチョンパされたロボットを観察していた。
ちなみに空飛ぶギロチンとは『血滴子(けってきし)』のことである。鎖の先に刃付きのカゴみたいなのが付いていて、相手の首に被せて断頭する暗殺兵器だ。
とまあ、その断頭されたロボット達だが、問答無用の敵意全開、事前警告も何もなしに襲いかかって来たのである。
いや、それよりも。
イチゴウも先ほど言っていたこと、だけれども。
「なぜ……世界が滅びている? 人間はどこにいった……!?」
私は灰色の瓦礫の中で立ち尽くした。
研究所の外の世界。ありふれた街並みは、全て廃墟になり尽くしていたのだ。
人間の影も何もない。
――世界は滅んでいた。
「何が、どうなっている……!?」
天才にすらも想像できなかった光景は現実で。
膝を突いた私に、「膝を擦り剥きますよ」と両手と追加副腕に武装を持ったイチゴウが歩み寄って来た。
情報の濁流と、混乱とショックで、私は気が遠くなった――……。
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