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山を越え、谷底を縫い、パトカーはサイレンを鳴らすことなく曲がりくねる道を一時間ほど走り続けていた。
空は青く、ドライブ日和だが、俺と石塚准教授は遊びに来たわけでもなく、警察医の仕事でとある山奥の村に向かっていた。
「いやあ、参りましたよ。あんなふうに立て続けに起こるとねえ」
パトカーを運転する年配の警察官が、苦笑いをしながらルームミラー越しに話しかけてきた。しかし、世間話が面倒だったのか、石塚准教授は退屈そうに走り去る景色を無言で見ていた。仕方なく俺が適当に返事をする。
「はあ・・・」
「あれ?信じてない?でもねえ、実際に栗原先生なんかも―――」
「え?栗原?栗原猛ですか?」
「ええ、そうですよ」
急に、石塚准教授が話題に飛び付く。その身の軽さに、俺は軽蔑の眼差しを送った。
「誰ですか?栗原って」
「僕の先輩だよ。栗原病院の後継ぎなんだけど、今のところは親父さんも元気だからって、医者と警察医を掛け持っているんだ」
「へえ。で、その人が今回の担当だったわけですか?」
「いやいや!違うよ!」
話好きなのか、警察官がすかさず否定する。興奮してハンドルを強く握りすぎたのだろう、パトカーが少しだけ揺れた。どうでもいいが、運転に集中して欲しい。俺はすぐ下を流れる岩だらけの川をちらりと見ると身震いした。
「その前は武田先生で、その前が梅木先生。一番目は吉田先生でしたよ」
石塚准教授は大げさにため息をついた。
「はあ!懐かしいなあ、梅木先生も武田先生もまだ頑張っておいでなんですか。で、吉田先生が怪我をしたって本当ですか?大丈夫かなあ、一番ご高齢な方ですよねえ」
「ええ、本当ですよ。腕を骨折しちゃいましてね。武田先生は左肩を脱臼して、梅木先生は膝の皿を割りました。で、つい先ほど栗原先生は石で右手を切っちゃいましてねえ」
セコイ怪我ばかりだが、本当に『三神家の呪い』なんてものがあるのだろうか?
これから検死に行く、由緒正しき三神家には色々と黒い噂があるらしく、村人は誰もそこには近づかないそうだ。中でも、『三神家に侵入する者には災いが起こる』という呪いが有名らしい。
今回、その家で一人暮らしをしている老婆が人知れず死亡していた。定期的に訪問していたボランティアの方々が第一発見者だという。孤独な老人の死に胸が痛む。『呪い』ごとき偏見で交流をしない村人が冷たく思えた。
そんな哀れな老婆の死体が発見されて検死が入ることになったのだが、死因を特定できずにすでに丸一日が経過していた。訪れた警察医たちが次々に、『三神家の呪い』の餌食になったためだ。それで、急きょ石塚准教授が呼ばれたのだった。そして、俺は単にまた見学に行くだけである。
ちなみに、俺は呪いなどという非科学的なことは盲信していないので、今回の噂も鼻で笑っている。全く、世の中に逆行した考え方だ。
だが、その手の話は人の興味をそそるものだ。さらに警察官の話はヒートアップする。それに釣られてスピードもアップする。
「怖くないですか?」
確かに怖いですよ。貴方の運転が。
「ホント、立て続けですよ?私は中に入ったわけじゃないですけど、四人とも私がお送りしたわけですし。奇怪ですよ。週刊誌に載るかもなあ」
石塚准教授は、『偶然に決まっているだろう。あるわけないじゃん、そんなこと』といったふうな顔をして俺を見た。そして、ニヤリと笑う。信じはしなくとも、今後の話のネタになるとは思っているようだ。
「それで、そもそもの『呪い』の原因は何なんですか?」
「ああ、なんでも三百年ほど昔に三神家に強盗が入って、娘や妻は犯されるは、使用人は殺されるわで、主人も大怪我を負ったそうです。その主人が死ぬ間際に呪いの言葉を残したそうで。それ以来、三神家以外の人が入ると怪我や災難に遭うようになったというわけでして」
「ははあ。ありそうな伝説ですねえ。それで、死んだ人はいるんですかね?」
「いやあ、そこまでは聞いてないですねえ。でも、あれだけ村の人も倦厭していますから。何かあるとは思いますよ」
「困ったね。高見君、怖くない?」
「平気ですよ。俺、全く信じていませんから」
「でも、四人も怪我人が出ているよ?」
「はん!だいたい、ボランティアの人たちはいつも訪問しているわけですよね?それに、今は警察の人たちだって入っているし。その人たち全員に呪いが起こったと言うのだったら、半分は信じてもいいですよ」
「へえ!頼もしいね。で、実際はどうなんですか?」
石塚准教授が話を振ると、警察官はしたり顔で答えた。
「ええ。全員、最初にあの家に入った時には何らかの洗礼は受けているようです」
「・・・」
俺は急に帰りたくなった。石塚准教授も渋い顔をしている。
全員と言われて、自分だけが無事である確率はゼロに等しい。そして、それがセコイ怪我で済めばいいが、運悪くご臨終なんてことになれば笑ってもいられない。俺はまだ若い。この世にやり残したものがあるんだ。バイクのローンはいいとして、付き合い始めた彼女とはまだキスもしていない。死んでたまるか!
「・・・先生」
「・・・何だ?」
「俺、家の外で待っています」
「ずるいぞ!君だって、警察医だろう!」
「俺は『見習い』です。脈も取り間違うような若輩者では、確実な検死は無理ですよ」
「よし、わかった。ジャンケンで決めよう。負けた方が先に入るんだ」
「嫌です。俺が検死を依頼されたわけじゃないですからね」
「くそう・・・昨日、ランチをおごってやったのに!恩を仇で返すとは!」
「たかだか千二百円で命は売りたくないです」
「先生がた、着きましたよ」
低次元の舌戦を繰り広げているうちに、パトカーは古ぼけてはいるが立派な門構えの邸宅前に到着した。
外部の者を呪う三神家。
一体、ここに何が待ちうけているというのか?
「私はここでお待ちしていますから。頑張って下さい」
石塚准教授は恨めしい視線を運転手の警察官に向けながら、なるべくゆっくりと車から降りた。俺も仕方なく、仕事道具の入ったアタッシュケースを持って後に続く。しかし、家の中に入る気は更々ない。
顔見知りの警察官に、石塚准教授が憂鬱そうに挨拶を交わした。そして、その堂々たる門前に立ち尽くして息を飲む。俺は、一応心配したふりをして声をかけた。
「先生・・・」
しかし、思っていたよりも石塚准教授は落ち着いていた。多少、表情が引きつってはいたが。
「ここで引き返しては名が廃る」
いや、まだ興隆もしていないじゃないですか。
「前例なくして、改革はあり得ない!いざ出陣!」
よほど嫌なのだろう、石塚准教授は牛歩戦術を取っていた。しかし、立ち止まる事はない。さすが若くして准教授になった男である。
一歩、そしてまた一歩と、国会なら汚い野次が飛びそうなその足が、ついに三神家の門の敷居をまたいだ。
だがその瞬間、石塚准教授の体は砂の城のように、簡単に崩れ落ちた。
白衣がバサバサと舞い、土に体が打ちつけられるドサリとした鈍い音。そして、悲痛の唸り声が地を這って俺の足に当たる。その振動が俺の脳髄を揺さぶった。
これが『三神家の呪い』なのか?確実に人々を不幸に陥れる呪い―――!
「先生っ!」
信じられないことに、俺は先ほどまでの冷徹な決心を忘れて全力疾走をしていた。何だかんだ言っても、恩師である。これまで色々とおごってもらい、論文等も手伝ってもらった。兄弟のいない俺にとって、兄のような存在だ。当然、目頭に熱いものが上がってくる。
「・・・!高見君、来るな!こっちに来ちゃいけない!」
倒れ込んだままの石塚准教授は、駆けつける俺を真剣に必死で止めてくれた。何だかんだ言っても、俺も可愛い教え子なのだろう。当然かもしれない、かれこれ十年来の付き合いなのだから。
「駄目だ!止まれ!君まで―――」
しかし、立ち止まるつもりなどない。たとえこの身が危険にさらされようとも、石塚准教授を三神家から救いだすつもりだ。
俺はためらいもなく、三神家に足を踏み入れた。
「うわっ!」
これは―――!
一瞬だけ、足に浮遊感があった。
そして突然の、膝が砕けたような感覚。
俺は瞬時に体のバランスを崩し、勢い良く石塚准教授の上に倒れ込んだ。持っていたアタッシュケースが、ガタガタと派手な音を立てて前方へ飛んで行く。
「いたたたたっ!だから来るなと言っただろう!」
石塚准教授が下で唸り叫んでいるが、それどころではない。俺はすぐに体を起して後ろを振り向いた。そして、門の敷居近くの地面を刺すように睨みつけた。
「なんだって、外側より一段低くなっているんだよ!?」
家の中に入っても、歩いていた廊下の板が跳ねあがり弁慶の泣き所を打つ、照明をつけようと紐を引っ張ると蛍光灯が落下する、用を足そうと急いでトイレに行けば、入るには五桁の数字を合わせて開ける錠前を三つも開けなければならない等々、せこすぎるアクシデントは続いた。
そうして苦労した検死の結果、老婆の死因は単純に老衰と決まった。
その後、聞いたところによれば、三神家の人間は代々性格が悪く、色々と悪戯をするので、地元の人々はそれを嫌って三神家に近づかなくなったということだ。
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