#4

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 家に着くなり涼火は自室のパソコンへ直行した。という命題が真であるように行動したかったが、雨に濡れた制服を着替えないわけにはいかない。涼火は藍色のパーカーと黒のショートパンツに着替え、今度こそパソコンの前に座った。  あの屋敷とは似ても似つかぬ住処。ほんの十数分前まであの広くて懐かしい魂の故郷に触れていただけに、この家への失望がより苦々しく感じる。あと四時間ほどで叔母が帰ってきて、夕食をとる。叔母の事は嫌いではないがすごく好きでもない。何もかもが半端だ。あの屋敷に一人で、あるいは朱と住めたらいいのに。  そういう妄想を現実へ変換するためにも、涼火はネット上でのあの屋敷についての情報を探る事にした。あそこへ住んだ家族が早々に立ち去る事になったとか、怪しい何者かが出入りしているとか、そういう不穏な噂はクラスメイトから聞いたものであり、ネット上であの屋敷についての話は聞いた事がない。  あのギャリギャリ男は何者なのか? どういう理由とどういう手段によってあの場で人を殺していたのか? なぜその死体をそのまま放置しているのか? 独り言あるいは通話で口走っていた内容の詳細は? あの足の模型は? 知りたい事はたくさんある。  自分の生まれ育った家がネットのオカルト界隈で話題になっていたら胸熱だし、色んな情報も入ってきそうだ。そういう期待を込めて涼火は検索バーに自分の住んでいた地名、問題の建物を打ち込んだ。 『桜花市 屋敷』  エンターキーを押した一秒後、両キーワードに引っかかる結果が表示された。一番上に出てきたのは、廃墟や空き家専門の、心霊スポットをまとめたサイトのようだ。 「マジであるのか……」  さっそくクリックして見てみる。赤と黒のわざとらしいホラー調のウェブサイトだ。記事には県内の寂れた建造物の情報が密集している。各スポットに危険度という指標が割り当てられ、本当なのか大げさなのかわからないような解説文が掲載されている。涼火の元家は下の方にあった。あまり有名ではないらしい。  危険度は五分の二。死体が転がっていたにしては低い。管理人は死体に出くわしていないという事か。解説文を読もうとした時、左手の数センチ先に置かれたスマホが鳴った。電話だ。画面には朱の名前が表示されている。 「はーい。どした?」 『ネット見たか?』 「今見てるとこ。そっか、あんたの方が駅から家近いもんね。私が着替えてた頃にはもうとっくに読んでたか」 『ああ。でもロクな情報ねーぞ。せいぜい二十歳前後の男二人がたまにあそこに出入りしてるって事ぐらいだ。片方は車椅子に乗ってるってよ』  聞きながら涼火はパソコン画面を読む。確かにそういった文章がそこには書かれていた。 「車椅子……怪我人? 障碍者? 怠け者?」 『いや知んねーけど』  涼火は、何か重い物を引きずるようなあの耳障りな音を思い出した。ギャリギャリ男という勝手に付けたあだ名の由来であるあの音だ。ガタンガタンとガタつくような響きとも言える、そんな音だったのを覚えている。 「あの時の音ってさぁ、車椅子引きずる音だったのかな?」  スマホの向こうで朱はうーんと唸った。 『それっぽく聞こえるっちゃ聞こえるけど……だとしたら車椅子の主はずいぶんぞんざいに扱われてんだな。絶対めっちゃ揺れるだろ』  ……車椅子に乗っているのがどういう者であれ、あの男の喋りは独り言でも通話でもなく、もしかしたら車椅子の相棒との会話だったのかもしれない。いや、会話というには一方的だったが。 「まあとにかくまた行ってみようよ。現場に赴かなきゃ情報が少なくてどうにもなんない。ネットは役立たずだし」 『お、いいねえ。じゃ明日も行くか? 放課後に』 「そうだね、次いつまたギャリギャリ男が現れるかわかんないし……できるだけ頻繁に覗いとくべきかも」 『よし来た』  車椅子を引きずる男と死体と断末魔の男がいた。そんな洒落にならない危険が目に見えている場所へ、できるだけ頻繁に行こうと提案できる涼火も涼火だが、乗り気で同意できる朱もまた変わり者だ。  何なら今また行ってみてもいいが、この雨だし、去ったばかりのギャリギャリ男が再びあの場に現れるとは考えにくい。もっとも、彼がどういう目的であの屋敷を訪れているのかもわかっていないのだが。  今日のところはゲームでもして過ごす事にして、涼火は夕食までゲーミングモニターの内側で巨大な怪物を屠り続けた。ベッドの側面に寄りかかり、指を手品師のように柔軟に操ってコントローラーを酷使する。白いカーテンの隙間から覗く空は緑がかった灰色だ。  雨はなかなか粘った。雷なのか空腹なのか判断し難いような音も轟いている。あの放課後から何時間も経った今でも、叔母の美恵に雨に関する心配をされる羽目になった。 「今日大丈夫だった? 雨……」  殺された上に刻まれてさらに揚げられた鳥のいい香りが立ち上る食卓につくと、叔母は天気の話をし出した。 「だーから大丈夫だって。傘持ってるって言ったじゃん。あと何千回言わす気?」 「うーん、そうだけど」  彼女は理由が無くとも、理由を錬金してでも姪の事を心配しないではいられないらしい。涼火がたとえ成人しようと、成人してからどれだけ経とうと、成人してから八十年くらい経とうと、きっと涼火をいつまでも子供のように扱うのだろう。  成人してから八十年経ったら叔母は生きていない。というか自分も。  ただ、強めに反発するとその反動で思い出す。叔母が毎日こうして夕食を作ってくれるのは過保護の範疇にしろそうでもないにしろ、感謝している。叔母の帰宅は決して早くはなく、手っ取り早く外食やコンビニ弁当で済ませたくなりそうなものだが、涼火のためにいつも料理をしてくれる。 「あーそうそう、今日おじいちゃんとおばあちゃんの家に寄ってね」  叔母はテーブルにつく前に立ち止まり、冷蔵庫から何か持ってきた。 「雨月堂のこしあん饅頭くれたのよ。涼火は元気にしてる? って言ってたよ。今度電話でもしてあげなね」 「はいよ。……ありがと」  饅頭を受け取り、涼火は一秒間の激しい葛藤の末、そう付け加えた。叔母はそれを饅頭への礼だと受け取ったらしく、何気なく微笑んで椅子に座った。  忘れがちだが、叔母の事は憎んではいない。どちらかと言えば好きと言うべきか、少なくとも家族としての愛着は感じる。過保護に対してあまり反発するとたまに罪悪感に包まれるのだ。だからこういう何気ない場面で、あんたの事は決して嫌いではないという意思表示をする。そしてそれは軽く流してほしい。 「涼火はこしあんとつぶあんどっち派?」  向かいの叔母が雑談を開始した。 「……どっちも好きだけど強いて言えばこしあん……?」 「そっか。私はまぁ同じぐらいかな。でも雨月堂のこしあんはなめらかで美味しいって言うよね」 「それは有り難いね。こしあんは安っぽい奴だとパサパサして黒板消しみたいだから。つーか唐揚げ食べながら餡子の話って」  まあ天気の話よりはマシではある。天気や気温の話ほどつまらない話題はないし、残念ながら天気や気温の話ほど頻繁に繰り出される話題は他にない。
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