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第6話「雨やどり」
「えっ、木崎と?」
声が裏返った。
慌てて咳払いで誤魔化し、情報提供してくれた女性社員に会釈する。
逸る鼓動を鎮まらせたくて、わざとエレベーターに乗らなかった。
エアコンの届かない蒸し風呂のような非常階段を、一段ずつ踏みしめるようにゆっくりと降りていく。
十二階分をすべて降り切る頃には、脈拍は落ち着くどころかますます乱れていた。
花戸直也は、谷村渉と付き合っている。
エレベーターホールで待ち合わせ、一緒に昼食をとりに出るのが日課だ。
周囲には秘密の関係だが、花戸は、谷村の新人時代の教育係だった。
部署が離れた今もふたりが一緒にいたところで、変な勘ぐりをする者は誰もいない。
ひとりを除いて。
木崎真彦。
花戸の同期で、なにかというと花戸と谷村の行動を結びつけようとしてくる人物。
その木崎が、最近やたらと谷村に絡んでいる。
今週に入ってから、一度も谷村と昼休みをともに過ごせていない。
谷村は、ひと言でまとめてしまえばイケメンで、その上、人付き合いも上手い。
休憩時間をともに過ごす相手候補として引く手数多でも不思議ではないが、あの木崎と?
全然タイプの違うふたりだし、お互いに苦手意識を持っていると思っていた。
心が、ざわざわする。
*
薄茶色のビニール袋を、大粒の雨がパタパタと叩きつけてくる。
突然降り出した雨は一気に勢いを増し、花戸のスーツに色濃いシミをいくつもつけた。
通り過ぎた店先は、どこも雨宿りのサラリーマンですでにいっぱいだ。
バス停の屋根の下にようやくひとり分の空きを見つけ、花戸は小走りで駆け込んだ。
軽く頭を振って水滴を飛ばしていると、隣にいた先客がふとこちらを見た。
「花戸?」
「木崎!」
「なにやってんだ、こんなところで」
「コンビニ帰り」
今しがた手に入れたばかりの弁当が入った袋を掲げてみせる。
すると、木崎が眉間に皺を寄せた。
「コンビニ? こんなとこまで?」
花戸はギクリとした。
オフィス街のここには、ざっと見渡しただけでも角という角にコンビニの看板が見える。
それでもわざと最寄りのコンビニを通り過ぎたのには理由があった。
歩く距離を伸ばせば、ふたりとすれ違うかもしれないと思ったからだ。
「木崎は?」
「ん?」
「一緒だったんじゃないのか。その……た、谷村と」
「ああ、一緒に昼飯食ってきた」
「そ、そうか。なに、食いに行ったんだ?」
「蕎麦」
「へ、へえ。美味かった?」
「それなりに。なんだ、花戸も食べたかったのか?」
「い、いや、そうじゃなくて……さ、最近よく一緒にいるよな」
「一緒?」
「た、谷村と……」
「ああ。谷村ってかわいいよな」
あまりにしれっと言われ、花戸はただ目を見開くことしかできなかった。
木崎は、無表情のまま徐々に弱まってきた雨の筋を見つめている。
かわいい?
谷村がかわいい?
それは正しい真実だ……が、
「た、谷村はだめだ!」
「うお?」
咄嗟にひっ摑んだ水色のネクタイを、強く引き寄せた。
鼻息がかかる距離にまで顔を付き合わせ、大事なことが雨の音にかき消されないよう、
「谷村は俺のだ!」
叫んだ。
「だからっ……」
鼻の穴を膨らませる花戸を視線で制し、身体をずらした木崎の向こう側に、
「だそうだぞ、谷村」
口元を覆って小さく震えている男がいた。
「た、谷村!?」
「お疲れ様です、花戸さん……」
谷村は、頰から鼻の頭まで、顔のすべてを桜色に染めていた。
その姿を、花戸は呆然と見つめる。
なんでここに。
いや、違う。
ここにいて当たり前だった。
木崎と蕎麦を食べて帰る途中に雨に降られたのなら、一緒に雨宿りしていたに決まっているのだ。
「お、雨止んだ。んじゃ、またなー」
「あ、ちょ、木崎!」
伸ばした手は、宙を掴んだだけだった。
「花戸さ……」
「別れる!」
「はあ?」
「木崎に俺が谷村のこと好きなことバレた!だから別れ……ん、むぅっ」
喚いていた花戸の唇を自身の唇で塞ぎ、谷村は額と額をそっと合わせた。
「大丈夫。木崎さんからは広まりません」
「な、なんでそんなこと言え……」
「木崎さんはあんたが好きだから」
「えっ?」
「だから花戸さんに嫌われるようなことはしない」
花戸の長いまつ毛が、素早く揺れた。
「ちょ、ちょっと待て。木崎はお前が好きなんだろ?」
「はあ?なんスかそれ」
「だって最近ずっと昼休み一緒に……」
「仕事の話ししてただけスよ。来月、営業ラインとの共同プレゼン案件があるんで」
「あ、ランチミーティング……?」
「そうッス」
途端に花戸の首が燃え上がり、瞳に薄いヴェールがかかった。
大きな手で慰めるように花戸の髪を乱し、谷村は愛おしそうに笑う。
「まさか妬いた?」
「……妬いた」
「えっ……」
「だって、谷村は俺のだ」
雨上がりの空の下、欲にまみれた視線が交わる。
「ああ、もう……」
「谷村?」
「今夜は寝かせられないスから。覚悟、しといてください」
花戸は潤んだ瞳を瞬き、そして破顔した。
fin
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