浦島太郎・翻訳風

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 ひとつ前の戦争で小金をたくわえた成金連中がその細君を連れて殺到するリゾートとしてこの島が名を馳せたころの面影なんぞ、青かびチーズみたいにぼろぼろに朽ち果てたボートハウス以外、なにひとつ残っちゃあいなかった。  とはいっても、沖合いでぼうぼうと燃えさかる船さながらに太陽が昇り、海鳥が気ぜわしく波打ちぎわの上でてんてこ舞いする時分、ウイスキー・ソーダのグラスを片手に浜辺をぶらぶらするのは愉快なものだ。 「ずいぶんと弱っているじゃないか、その亀は」  おれが子供のひとりに声を掛けると、そのいちばん歳かさで、痩せたスペルト小麦みたいな坊主が顎を突き出した。 「亀なんて役立たずだよ。フレッド伯父さんのようにさ。伯父さんは日がな揺り椅子に腰掛けて、咥えたパイプに火をつけもしないで海を見てるばかりなんだ」 「やあ。やあ。役立たず、役立たず」  小さな乱暴者たちは波に打ち上げられた亀を丸く取り囲んで(はや)し立て、めいめいに木の枝を振り、亀の甲羅を小突いた。まったく無軌道な若ものというやつは、御者を失った荒馬のように手に負えない。 「ひとつささやかな提案をさせてくれ」  おれはポケットの中から札を何枚かつまみ出すと、手品師が客にカードを吟味させるような仕草で掲げて見せた。 「君たちはこの金ですきなだけキャンディ棒を買うがいい。その見返りに、おれはその神さまに見捨てられた憐れな亀を手に入れるって寸法だ。悪くない取引だと思うがね」
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