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挨拶
クラウド達がトラピスト-1dに到着する、2ヶ月前‥‥
弓のように細くしなる月の光が。
遥か38万kmの彼方から地球に届き、この庭先を薄っすらと照らしている。
その縁側に腰掛けて、クラウドは瞬く星空を眺めていた。
『楠で作られた縁側』『枯山水の石庭』
この家は西暦2900年を越えた現代でありながら、2000年近く前から続く『日本家屋』の伝統を踏襲している。
この家が作られた当時はそうした日本様式に関する資料が乏しく、古文書館などを周って当時の写真や書籍をかき集めるなど、随分と苦労したらしい。
「よぉ、クラウド。久しぶりだな」
背後から声がする。振り返ると、そこに居たのは五縄藤吾‥‥クラウドの叔父であった。
「ああ、叔父さん。すいません、突然やって来てしまって」
クラウドが立ち上がろうとすると、藤吾がこれを手で押し留めた。
「気にするな。まぁ座れ。サクラは今、子供を寝かしつけてるから来れねぇけどな‥‥」
サクラはクラウドの姉に当たり、藤吾の妻でもある。
「最近、どうもガキの寝付きが悪くてな。流石のサクラも寝不足でバテ気味だよ‥‥」
苦笑いを浮かべながら、藤吾がクラウドの横に座った。
「そうですか‥‥大変ですね」
クラウドが少し俯く。
「何、心配はいらねぇさ。元から体力だけなら人一倍あるヤツだ。それはお前も良く知っている事だろう? なぁ、『クラウド』」
「‥‥此処は国際宇宙開発機構じゃないですから、火星に居た時のように認識名称で呼ぶ必要はないですよ?」
クラウドが、少し困った顔を見せる。
フェニックスに所属する職員は本名ではなく、バースネームと呼ばれる愛称で識別される規則なのだ。
連帯感を高めるためだと、説明されている。
「はは‥‥オレはともかく、お前はまだフェニックスの所属だろうが? だったら、その方が自然だろうよ。
それにしても‥‥火星か‥‥懐かしいな。あそこに居たんだよな、オレ達はよ」
ふたりが見つめる夜空の先に、まるで紅玉石のように火星が赤く輝いている。
国際宇宙開発機構。
それは衰退が避けられない地球を越えて、人類を永続させるために宇宙進出を行うための組織である。
クラウドや藤吾、サクラ達はかつてその組織の一員としてテラ・フォーミングされた火星に居住していた。
しかし、成功しつつあった人類移住を否定する者達の手によって、火星は火の海に飲まれてしまう。
クラウド達は何とか火星からの脱出に成功したが‥‥火星移住計画はその全てを失った。
藤吾は火星基地を失う直前に負った怪我が原因で、地球に戻っている。
しかし、クラウドは火星が使用不能になってからもフェニックスに留まる道を選択し、主に月基地での任務に就いていた。
「‥‥姉は、まだ暫く掛かりそうでしょうか?」
不安げに、クラウドが尋ねる。
「あ?ガキか? そうだな、最近は夜昼が逆転しててよ。寝付きが悪ィと小1時間は掛かるな‥‥お前、時間が無いんだろ? 『伝言』があれば聞いといてやるよ」
藤吾はクラウドの方を見ようとせず、夜空を眺めてる。
「伝言‥‥ですか」
クラウドが呟く。
「少し込み入った話なんですが」
「ふん、心配すんな。大方は分かってる。サクラも『それ』を理解しているから、顔を見るのを嫌がってんのさ。今生の別れみたいでよ‥‥」
「え‥‥?」
思わず、クラウドが聞き返す。『それ』は、フェニックスでも最高機密のはずなのだ。
「『秘密』ってなぁ、どうしたって漏れるもんなんだよ‥‥此処に居ても、人づてに情報は伝わってくるんでね。
‥‥お前、探索隊メンバーに選ばれたんじゃないのか?‥‥行くんだろ、『トラピスト-1d』に」
「‥‥ご存知でしたか?」
思わず、クラウドの頬が引き攣る。
「ああ、まぁな。お前がワザワザ地球まで『降りてきて』オレ達の前へ挨拶にやって来る理由なんざ、それくらいしか思い当たらないからな。‥‥ふん、『未知の惑星』か‥‥」
やはり、藤吾はクラウドの方を見ようとしない。
いくら、トラピスト-1dが『地球に近い環境を持つ惑星』だとしても。
現状では『ほとんど何も分かっていない未知の星』なのだ。その探査がどれほど危険なミッションなのかは、想像するに難くなかった。
フェニックスが一時帰郷を認めるのも『もしかすれば』という事態が、決して低い確率ではない事を意味していると言えよう。
「‥‥いいか、絶対に死ぬんじゃねぇぞ? 妙な功名心は捨てろ。生きて帰る事を最優先して考えるんだ。いいな?」
「‥‥はい」
短く、しかし力強く。クラウドは大きく頷いた。
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