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第3話「マグカップの欠片」
「悠木はブラックだよな?」
「え、なんで……」
「同窓会で見た」
桜介の頬がほんのり赤く染まる。桐人は満足げに口の端を上げ、できたてのコーヒーをカップに注いだ。香ばしい香りが、桜介の鼻腔をくすぐる。コーヒーの香りにはリラックス効果があるというが、桜介の心拍数はさっきからずっと上がりっぱなしだ。
仕事が終わるまで待っていろと頼んだのは自分なのに、いざ待っていられたらどうしていいのかわからなくなった。桐人の家の方が近いからと導かれるままについてきたが、よかったのだろうか。ずっと胸に抱いていた思いを伝え合ったのに、桐人はまるでそんなことなどなかったかのように振舞っている。
桜介は一度深く息を吸って吐いてから、ぐるりと視線を動かした。
桐人の生活空間に足を踏み入れるのは、高校時代から振り返っても今日が初めてだ。シンプルなワンルームのマンション。いかにも男性の一人暮らしらしく、生活に必要なもの以外はなにも見当たらない。アダルトグッズの会社で開発企画課の課長を務めている桐人。もしかして会社の商品がこっそりどこかに転がっていたりするんだろうか。そんなことを考えてしまう。
「お待たせ」
「ひゃ!」
恥ずかしい思考を覗かれた気がして、桜介は飛び上がった。桐人が差し出していたのは、焦げ茶色の液体を携えたマグカップだった。
「悠木?どうした?」
「あ、いや……」
曖昧に微笑み、ハートの欠片が描かれた水色のマグを受け取る。早速コーヒーを啜る桐人の手元が目に入り、桜介の胸がチクリと痛んだ。
「……彼女の?」
「え?」
「ペアだろ、これ」
ふたつ合わせるとひとつのハートになるマグカップ。桐人はさも今気づいたかのように目を見開いた。
「ああ、彼女ではないけど大好きな人の」
「そ、うか」
「だから、悠木の」
「え……」
「店で見かけてつい買っちゃって……いつも悠木とペアで使うとこ想像してたから、本物に使ってもらえて嬉しい」
「本物、って……」
「ついでに言うと、商品開発する時も悠木のことしか考えてないぜ」
「お、俺?」
「悠木に使ったらどんな顔するかな、とか」
「あ、ちょっ……」
桐人の手が、桜介のマグカップを奪う。
「どんな声、聞かせてくれんのかな……とか」
「うわっ!」
背中からソファに倒れた桜介を、桐人の潤んだ瞳が見下ろした。鋭い眼差しが今にも爆ぜてしまいそうな熱を降り注ぎ、桜介の心臓がさらに速い鼓動を刻み始める。
「好きだよ、悠木」
「あ、綾瀬……」
「ずっと、悠木だけを好きだった」
桜介は、子供のように泣き出してしまいそうになるのをグッと堪えた。昔からそうだ。桐人は、いつも桜介の欲しい言葉をくれる。その勇気と優しさに甘えてばかりだった。
「俺、も……」
「悠木?」
あまりに真っ直ぐな瞳から目を逸らしたくなり、桜介は唇を噛んでそんな弱い自分を叱咤する。今日こそは、自分の声できちんと桐人に伝えたかった。
「俺も、綾瀬が好きだった」
「……」
「もしかしたら、会った時から……ずっと」
桐人の目頭が、きらりと輝いた。ゆっくりと近づいてくる顔を、瞳を閉じて受け入れる。啄むだけだった淡い口づけがだんだん深くなり、僅かに開いた隙間からぬるりと桐人の舌が入ってくる。ほんのり苦い舌先を絡め合っていると、ふいに直接肌を撫でられ桜介はびくりと肩をいからせた。
「ごめん、驚かせた?」
「あ、いや……」
「だめ?」
上目遣いに問われ、桜介は答えに詰まった。どういう意味か、なんて聞かなくてもわかる。初めてじゃないし、自分だってしたい……と思う。それでも、素直に頷くのはどうしても躊躇われた。
「あの媚薬、ない?」
「は?」
「こんな恥ずかしいこと、素面じゃできない……」
真っ赤な顔で俯いて、おずおずと手を伸ばして頬に触れてくる桜介のいじらしい姿を前に、桐人は心の奥底から溢れ出てくる愛しさを堪えきれなかった。
「桜介」
包み込むように甘い声でその名を紡ぎ、
「好きだ」
桐人は、桜介の薄い唇を優しく奪った。
fin
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