お母さん、感謝します。ーー本当に

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 コールドスリープの技術が開発されたのは、2119年のアメリカであった。元々全く別の用途で発明された技術が、偶然に偶然が重なって、人体にも安全に使用できると判明した時、世界は歓喜もし、期待もした。映画や小説の中だけの、娯楽の域を出なかった夢が現実となって見えてきたのだ。  人々はSF時代の到来に胸高鳴らせ、開発者達を称えた。    そんな世間の騒ぎを特に気にするでも無く眺めていた伊左名ミキが、いざ自分がこそ使う事を決めて・・・そうして実際実行してみたらば・・・。  ――長い眠りから目覚めてまず、彼女が思ったのは、・・・(開発責任者出てこいっ!)だった。  足が動いたら、ポッドの蓋を思いっきり蹴り飛ばしていた事だろう。しかしコールドスリープ用のポッド内は冷え切っていて、寒さ故に体は全く動かない。まだ体の解凍も不十分なようで、骨の芯までも凍っているように感じる。  寒い、とてつもなく寒い。ガタガタと体が震えてきた。――不愉快極まり無い。  臨床実験はちゃんとやったのか。  何度も回数を重ねて、検証して・・・・。  研究者であるミキの頭の中で、開発者達に対する罵詈罵倒と共に、様々な実験プロセスが組立てられていく。  きっと開発者とやらは阿呆だったのだろう。あの時代に、無尽蔵に湧いていた馬鹿共の、その一端。    実験が中途半端では、中途半端な結果しか生み出さない。連中もその典型だったのではないか。  ミキは中途半端が嫌いだ。何事も徹底的に、完璧に。――そうだ、私こそが。  は・・・。と息を吐いた。吐き出された息はポッドの中で真っ白に染まって、顔の前にある、丸くくりぬかれたはめ込み窓が白く濁る。  狭いポッド内も不快だ。コールドスリープのタイマーは何年後にセットしたのだったか。まだ鈍く重い頭がゆるゆると回転を始める。  だが答えを出すよりも早く、ポッドの蓋がスライドして開いた。  複数の足音と共に、ミキが身を預けているポッドの周りをぐるりと囲んだのは、年齢、性別、様々な人間達だ。  感情の浮かばぬ幾つもの目が、ミキへと注がれる。今更、ミキは自分が全裸である事を思い出し、悲鳴を上げようとした。  しかし未だ凍りついた喉はまともな音を発せずに、「ひぃいあぁっ」という間抜けな吐息が零れただけだった。ーーつくづく、最悪である。  確かにコールドスリープの説明書には、無着衣を指示されていたが・・・開発者共はきっと露出狂の変態だったのだろう。  おかげで大恥だ、とミキは再度開発者達を頭の中で罵った。  見下ろしてくる人間達はざっと十人程。軽く数秒はこちらをじっと見つめ続けていたが、・・・おもむろにその腰を曲げた。全員、同時に。  傾き四十五度の、見事なお辞儀だった。  そうしてその輪の中から一歩、初老の男が前に出てくる。  「おはようございます、伊左名ミキ様  お目覚めを心待ちにしておりました。」  上質なスーツに、真っ白いシャツ、白手袋。ドラマにでも出てくるバトラーそのものの出で立ち。  細面の顔立ちは、若い時分にはかなりモテたのではなかろうか。目尻と口元に皺を刻んだ今だって、歳を重ねた者特有の色気がある。  声には抑揚が無かったが、口元には仄かな笑みを浮かべていて、その笑みもまた様になるのだ。まるで熟練俳優のような男だった。  ――好みの顔だ。・・・ミキは少しだけ機嫌を直す。  男は隣に立つ女に命じて、女はその手に持っているバスタオルをミキの体に被せる。ふんわりと柔らかく、心地良い。タオルを被せてくれた女は、ミキの体を覆う水分をとんとんと絶妙な手つきでタオルに吸わせていく。  さらに周りの者達も粛々と動き出し、ポッドの周辺に暖房器具を設置し、タオルを交換し、と甲斐甲斐しい。  三度目変えられたタオルは蒸しタオルだった。皮膚から熱が浸透してくる。思わず「ふっ」と吐き出した吐息で、大分喉の調子も戻って来たのだと知れた。  試しに指先を動かしてみたら、何の問題も無く動く。  首を巡らせて、改めて周りの者達を観察する。  ミキの世話した者達は、己の役割が終わるとまた定位置のようにポッドの周りを囲って四十五度のお辞儀。  最初にタオルを被せてくれた女が、衣類の入った籠を恭しく差し出した。ちら、と見ればなかなか上質そうな衣服である。「ふ、ん」とミキは鼻を鳴らした。上機嫌さは、隠しきれてはいなかったが。  シルクのワンピースシャツ、カシミヤのセーター。合成繊維など一切使っていない事は、触れればすぐに解った。  「貴方達は誰?」    ようやくまともに動いた唇が一番の疑問を問いかける。  「わたくし共は伊左名ミキ様に仕えさせて頂く者です。」  「仕える?」  「はい、伊左名様はこの世界を救ってくださる方とお伺いしております。尊ぶべき方である貴女様が、少しでも不自由無きよう、我々は誠心誠意勤めさせて頂く所存です。」  世界を救う、とは大きくでたものだ。  ――まだまだ疑問もあるが・・・ミキは「ふふん」と笑って、そうして衣類の籠を持つ女に、服を着たいのだけれど?・・と鷹揚に視線を送る。  そうすれば女は当たり前のように衣服を開き、袖をミキの腕に通し、ボタンを留めて、と・・てきぱきと整えていった。
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