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翌朝、ミキは一人で散歩をしたのだと言って、屋敷を出た。メイドが幾人かついて来ようとしたが、気が利かないと追い返す。
ようは情報収集がしたいのだ。それで誰か着いてこられたら意味がないでは無いか。
庭に出てから振り返って確認したミキの元別荘は、やはりというか見事な屋敷に様変わりしていた。昔観光で見た異人館を思い出す。レンガ造りの壁に、鱗模様の屋根。煙突もついていたが、暖炉が無かった事を思うに、多分そういうデザインなのだろう。
屋敷を出たのが七時頃。
街に出てみれば、辺りには通勤途中らしきサラリーマンやOL。大きなカバンを抱えた学生らしき者達の姿がある。
――やはり、あの時代とあまり変化が無い。
全く無いわけではないのだ。例えば先ほど通り過ぎたパン屋は初めて見るし、ミキが眠りにつく前にあった公民館は周辺にあった住宅地も巻き込んで大きなスーパーに様変わりしていた。
ただ、百年という単位で考えた時、やはり街中の変化は鈍いように思う。
別にSFめいた世界観を想像していたわけでもないが、これが百年後の姿ですと提示されれば、ミキでなくとも『夢が無い』と感じてしまうだろう。それぐらいに代わり映えがしない。
大通りを進むのは相変わらずのガソリン車だし、自転車は電動車が特筆して多いわけでも無い。
やはり、担がれているのではないか・・。
ミキは親指の爪を噛んだ。とにかく情報収集に努めるべきだ、とアスファルトの地面をヒールでがんがんと叩きながら歩く。
馬鹿の相手はできない。
嘘をつかない者。
ミキの質問に素直に、きちんと正しく答えられる者。
それが最低条件である。
住宅街を突き進めば、丁度玄関の外に出ている5歳くらいの男の子が目に留まった。目に留まった理由は、子供の来ている幼稚園の制服だ。
真っ白いシャツにサスペンダー、チェックのズボン。あれはブランド物である。
男の子は自家用車であろう車の傍で、肩にかけたカバンをぶらぶら揺らしながら、突っ立っている。時折家の方を振り返るから、送ってくれる親を待っているのだろう。
ミキは子供の傍に歩み寄った。
「ねえ貴方、ちょっと聞きたい事があるのだけれど。」
子供はドングリのような眼を丸々と見開いてミキを見上げた。きゅ、と小さな手が肩掛けカバンの紐をと握る。
小さな唇がすぼまって、可愛らしい。
意外に思われる事が多いが、ミキは結構子供が好きである。自分が腹を痛めてまで生み育てる等と言うのは御免被るが、無条件に可愛い者を愛でるぐらいの常識はあるのだ。
特に自意識が出来上がる前の子供と言うのは、反応が素直で面白い。
「ねえ、今日って西暦の何年何月何日なのかしら?」
言っておきながら・・・流石にまだ応えるのは無理だろう、と理解もしている。相手は幼稚園児だ。
まあ別に正確さは求めていない。ただ、もしミキが何者かに謀られているのであるとしても、まさかこんな子供にまで情報が徹底されているとは思えない。
ちょっとボロになるような事でも口にしてくれたら十分である。
きっと可愛らしく戸惑いながら、一生懸命ミキの言葉の意味を考えてくれるのだろう。
悩む子供の姿というのが、ミキは結構好きである。
しかしその予想に反して、子供は得心したようにうなずいた。
「西暦2219年の5月20日です。」
抑揚のない言葉使いは、年齢にそぐわない以前に・・・屋敷のバトラー達を思い起こさせて、ミキは眉間に皺を寄せた。
「そう、間違いないのね。」
「はい。」
くりくりとした頭をゆったりと上下させる。その行動は幼い子供の様そのものだ。
「・・・・ここは○○県の、○○市○○区で間違いないかしら?」
「はい。正確には○○県○○市○○区〇丁目〇番地です。」
住所も、ミキの別荘があった街で間違いなさそうだ。
子供はどんぐりのような眼を瞬かせてミキを見つめている。まるで次の質問を待っているかのようだ。見た目だけならば、好奇心旺盛な子供のそれなのだが・・・。
「ねえ貴方、伊左名ミキって名前は聞いた事あるかしら?」
「はい、総主様からの伝達で伺っております。この世界をお救い下さる、尊きお方である、と。」
「伝達?―――ニュースとかではなくて??」
すると子供は首を傾げた。
「伝達は伝達です。あるいは通信。
ニュースとは時事的な事件、情報を発信する為のもの。
・・・・貴女には備わっていないのですか?」
『備わる』・・・何が、だろうか。子供は小さな眉を寄せて困惑顔だ。彼にとって、何かが『備わる』という事は当たり前の事なのだろう。
ただし、顔が困惑顔なくせに、声音は全く抑揚を感じないままだ。
まるで、聞かれたから答える。おかしな言葉があったから指摘する。――昔通っていた大学に、こんな話し方をする教師がいた事を思い出す。
「どうしたの?」
「あ、ママっ!」
子供がぱっと顔を輝かせる。先程までの抑揚のない歳不相応な声音はどこへやら・・・
玄関口に現れた女性の元へ、子供は喜色満面の表情と声で駆けていく。
「遅いよ~」と尖らせた唇から零れたのは、甘ったれのソレだ。
あまりの子供の切り替わりように、唖然としてしまったミキに、母親の方は訝し気な目線を向けてくる。さりげなく息子を背後に回す辺り、不審者と思われたらしい。
ミキとしては甚だ不本意である。
「可愛らしいお子さんね、大事になさいな。」
この母親と会話する必要も無し、手を振って踵を返した。
「はい、それが母親の役割ですから。」
背後から、抑揚のない女の声が返ってきた。
その後、適当に道行く人々を捕まえて、今は西暦何年か、何月何日か、と聞いて回れば、揃って皆同じ年月日を口にする。
適当に歩いて辿り着いた複合モールの電光掲示板にも、『2219/5/19』の文字。
日付の下には「7:50」。そういえば今朝ミキを起こしに来たバトラーが、総主とやらとの会合予定時刻は9時と言っていなかったか。そろそろ戻るべきかもしれない。――何より朝食がまだなのだ。きゅ、と空っぽの胃が縮こまった。
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