お母さん、感謝します。ーー本当に

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 屋敷に戻ると、バトラーが運転手を伴って、車を用意してミキの帰りを待っていた。曰く、朝食は車の中に用意してある事、総主が待っているという事。  ミキは高級志向だが、車までは手が出せなかった。単純に、キャッシュの借り入れ限界額を超えていたのだ。全くもって腹立たしい話である。  故に、百年前のミキの車は一般的な軽乗用車で、車には全く詳しくない。  それでも真っ黒く細長い、かつ低い車体の車の名前が世界一有名な自動車メーカーの代物である事ぐらいは理解できた。    運転手の男も、腰から体を曲げて45度のお辞儀。  バトラーは扉を開けてくれてミキを中へと促すと、自身は助手席へと腰を下ろした。  ここまでくれば、なるようになれ・・・である。  総主が何者であれ、対面すれば真実は明らかになるだろう。少なくともミキは、詰問を緩めるつもりはさらさら無かった。  これが真実であれ、狂言であれ、イニシアチブを相手に握られるというのは、ミキにとって侮辱以外の何物でもないのだから。  振動も無く、静かに車は発車する。広々とした車内は、足の置き場に困る事も無い。  提供された朝食は・・・  新鮮なレタスと艶のあるトマト、脂身の乗ったスパムを贅沢に挟んだクロワッサンサンド。  野菜ジュースにスプラウトのサラダ。ヨーグルトに備え付けてあるのは三種類のフルーツソース。  クロワッサンの香ばしい匂いが車内に充満して、焼き立てなのだとすぐに解った。  自然、唾液も分泌されてミキは素直にその朝食を口に運んだ。――美味しい。    ――少なくとも、現状でミキを粗雑に扱う様子は全く無いようである。  まずはそこに免じてこちらも多少の妥協を見せてやるべきか。唇の端に滲んだスパムの肉汁を舐めとりながら、ミキは思う。  最も食べ終わってしまえば、先ほどまでの上機嫌もどこへやら。  完璧主義者は常に周りも完璧に、と思い直してしまうのだが。  窓枠に行儀悪く頬杖をついて、ミキは車窓の外を眺める。  見知った建物、見知らぬ建物。道行く大人、子供。  記憶との相違は大なり小なりあろうとも、決して特筆する程の事は無い。  歩道をランドセル背負った子供たちが、きゃあきゃあはしゃぎながら駆けていく。  コンビニから新聞を脇に抱えたサラリーマンの顔は妙にくたびれていた。  主婦らしき女達が道の脇に集まって何やら談笑している。  ミキのお気に入りのケーキ屋。名前も知らないブティック店、ボロアパートがあった辺りはおしゃれなマンションに建て替えられている。  「ねえ、百年でちょっと変わった建物が建ったりとか・・・  あるいは生活で物凄く便利になった事とか・・・  そういう変化は無いの?」  「わたくしの把握している限りでは、ございません。」  「そう。」  想像通りのバトラーの返事。  ・・・そういうものなのだろうか。――百年というのは。  別にそちらの方面で期待していたわけではないが、やはり『期待外れ』を感じてしまう。    「本当に百年経っているのよね?」  「はい、ミキ様がお眠りになられてより、昨日お目覚めになられたのが丁度百年目でございます。」  車窓から、何か日付の解るものは無いかと体ごと寄せるも、いざ探すとなるとなかなか見つからない。  べたりと頬を窓にくっつけた様は少々間抜けだっただろう。  前を伺えば、しかしバトラーも運転手も行く先を見るばかりでこちらの行動を気にも留めていないのが癪だった。  そうこうしている内に、何度目かの信号で車が停止する。  信号機すら、記憶の形のまま。機能を考えれば変わりようが無いのかもしれないが、いっそニューヨークのようなちょっと変わった信号にでもなっていれば面白みがあったかもしれない。  周りの車は軽乗用車、乗用車、トラック。  ほとんどが国内車だ。流石に国内三大自動車メーカーのマークは解る。  また、車がゆっくりと発信する。  正直、景色を見るのも飽きてきた。ちょっと遠くの方へと視線を移せば、屋敷から見えた高層ビル群が視界に入る。この車が向かっているのもそちらの方向のようで、近づくにつれて昨日は輪郭しか見えなかったそれが、ゆっくりとその内側の姿をも鮮明にする。  あのビル群もミキが眠りにつく前にあったものだ。あの辺りはオフィス街で、あの高さのビルが密集していた。―――そう考えれば、ビルの数は減っているのではなかろうか。  ああ、あれ?  そういえば、そういえば。  ビルの向こうには山脈があったはずだ。この街は一方を山脈に、もう一方を海に挟まれるようにして存在していた。その山影は何処へいったのか。  自然なんて興味も無かったから、街中ばかり見ていて全く気付かなかった。  ―――ビルとの距離が、さらに近づいてくる。  「・・・・・・・・ねえ。」  と、今度は車が急停止。  シートベルトを着けていなかったミキは、前の座席の背もたれでしたたかに顔を打った。  「ちょっとっ!!」   「失礼いたしました、前方で交通事故です。――お怪我はありませんでしょうか?」  「はぁっ!?」  どこのどいつだっ。・・・とミキは窓を開けて身を乗り出す。数台車を挟んだ前方に、その惨状があった。  不自然に向きを変えて、歩道側の植木にボンネットを突っ込んでいる白い乗用車。  路面に転がる通学カバン。真っ赤な液体が道路の上を広がって、ボンネットと植木に挟まれた、中学生らしき少女の体半分が覗いている。乗用車から慌てた様子の男が飛び出してきて、少女の状態を確認している。    さらに少女の同級生らしき子達が駆けつけて来て、少女に必死に語り掛け、周りからも大人達が集まってきて、車を動かし、少女を救い出し、心臓マッサージをする者、救急車を呼ぶ者・・・。    「・・・・ちょっと、事故よ。」  「はい、事故でございます。」  「事故よ、事故が起こったわ!」  興奮したミキの声は、現状を思えばふさわしくなかろう。しかしそれは、相変わらず抑揚のない口調で応えるバトラーも同じだ。運転手の男も無表情である。    「これ、明日の新聞に載るわよね。」  「いえ、載りません。」  「載らないっ?だって事故よ!?子供が一人轢かれたっていうのに。」  バックミラー越しに見えるバトラーの顔は全くの『静』。  「失礼ながら、何かおかしな点がありますでしょうか?」  「・・・・っ。」  「交通事故、とは車社会において珍しかな事ではありません。  かつてこの国では年間に60万を超える交通事故が起きていた、とわたくしの知識ベースにはございます。  また、死者は6千人に登ったとも。  その数字は、今でもきちんと年間で管理、遵守されております。  故に何ら真新しい事、特筆すべき事でもございません。  新聞という情報媒体は、常に最新かつセンセーショナルな事柄を発信する為の物。  で、あるのならば年間同じ事が行われている以上、記載される必要性はございません。」  救急車とパトカーが、サイレンを鳴らしながら到着した。白い乗用車は道路わきに寄せられ、ようやく車の流れが再開される。  ミキは・・・・。  ミキは後部座席の背もたれに、倒れるように全身を預けた。  唇が戦慄く。  両腕をさすっても、震えは止まらない。    事故現場をミキの乗った車が通り過ぎる際、ミキはそれを見た。  担架で救急車に運ばれていく、事故の当事者。脚が片手片足が有らぬ方向に曲がっている、その姿。  ミキはその姿を、はっきりと目に映した。  ――――そうして、全てを理解した。
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