お母さん、感謝します。ーー本当に

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 連れて来られた先は、ミキの記憶が確かなら市役所であった筈の建物である。  24階建ての高層ビルは表面の硝子に青々と空の色を映し出し、一際目立つ存在として君臨している。  ミキはその威容を見上げて、そうしてその背後を見て、戦慄する。  何度も何度も二の腕をさするのに、寒気は収まらない。  バトラーが先を促した。相も変わらずの完璧な所作で。  ああ、この顔。  ミキの好みに合う顔のはずである。眠りにつく前にミキが一時期熱を上げていた舞台俳優のそれと、全く同じなのだから。  ミキが案内されたのは最上階の会議室だ。廊下やエレベーターでこの建物の職員であろう者達と何度かすれ違ったが、皆そろって同じ四十五度のお辞儀、同じ歓迎の挨拶。―――まるっきり、マニュアルに添うように。  会議室は奥の壁を硝子張りにした、20畳程の大きな部屋だった。  窓硝子の向こうには青々とした空が輝いている。  かつてこの部屋を訪れた者達は、きっとまずその空の美しさに感動したはずだ。そうして青空を背に、集まった市職員がこの街の為に様々な議題を話し合ったのだろう。  ―――ああ、この部屋からもあのビル群は見えるのね。    今この部屋には職員が座るためのチェアもデスクも無く、殺風景な空間に、天井からは無骨なコードが無数に伸びている。  それは、会議室の中央に佇む青年の体のあちこちに繋がっていた。  ミキは背後を伺う。出入り口にはバトラーが佇んでて逃げる事はできまい。  意識せず、唾を飲み込んだ。  ただ、矜持だけを胸に一歩、一歩と部屋の中へ、青年の傍へと歩く。  まず思ったのは、―――信じられない。  次いで思ったのは、―――やはり。  どちらもミキの本音であった。  「何故・・・ヒルコ。」  「お久しぶりです、母さん。」  「何故まだ稼働しているの・・・貴方。」  無数のコードに繋がれた青年は、見た目は二十代半ば。まるで彫刻のような、完璧な黄金律。  すらりと長い手足、均整のとれた体つき。全てが理想型でありながら、しかして現実にはまずありえないその造形。    何よりその美しい左半分に変わり、右半分はよじれ、捻れたむき出しの金属。  歪に溶けて人の形すら怪しい部分もあって、痛々しいというよりはただただ醜悪。  もっと直接的な表現を使うなら―――気色悪い。グロい。  「母さん、お目覚めになられたのに・・・こちらから挨拶に行けず本当に申し訳ございません。」  声はザラザラと雑音混じり。形の良い唇と、もう半分のむき出しの金属がぎこちなく動く。油の切れたギアのような動きだ。  「母さん」、と伸ばされた腕の動きも、これまで見た『人間』達の中では一番つたない。  記憶が確かならば、声はもう少しマシだった気がする。腕の動きは・・・当時でもあれが限界だった。それでも他の追随を許さぬ出来だったのだ。  確かなのは、半ば崩れた金属のオブジェと化している右半身も、ちゃんと人の形に作ってあったはずである。  百年前に――――ミキが作ったその時には。  ――――伊左名ミキはロボット工学の若き天才である。  より人間に近いロボットを作るために心血を注ぎ、そうしてヒルコとアワジという二体の人型ロボットを作り上げた。  人工皮膚の質感、人工繊維で作られた筋肉の柔軟さ。より人間らしく動けるように、駆動部においては一切の妥協を許さなかった。  最初こそミキを称えた世間は、しかしあっさりと態度を翻すに至る。  バッシングの嵐、警察の捜査、誹謗中傷の手紙、名も知らぬ者達からの罵倒の電話。  アワジの廃棄処分が強硬されるに至って、ついにミキはコールドスリープを決行した。  そのアワジの片割れが今、百年後のこの場所に居る。――異様な姿で。  「来て下さって、本当に嬉しいです。」  歪んだ顔半分と、整った顔半分。一緒に緩められれば、歪なそれにミキは今すぐこの場を逃げ出したくなった。  これが、本当に私が作ったヒルコなのか、と全身がわななく。  それでも何とか、両足を踏ん張らせて百年前に置いてきた息子と対峙する。  「この時代は何?生きている人間はどこにいるの。」  動きが鮮麗されすぎていたメイドやバトラー、この建物の職員達。質問に対して、抑揚の無い完璧な返答を返す子供。極めつけは道中に見たあの事故だ。  担架で運ばれていった少女。歪に折れ曲がった手足は人工皮膚が裂け、あっちこっちに向って飛び出た大小のコード。路面に広がる赤い液体の上にぷかぷか浮かんでいたあれは、ミキがこだわりにこだわり抜いて創りあげた、駆動部の制御盤の一部だ。  コールドスリープの夢は頓挫した。しかしてここにもう一つのSFの世界が誕生している。ロボットだけの、ロボットだけが生きている世界。  「おりません。」  そしてその世界に対する懸念を、あっさりとヒルコは肯定した。  「・・・・いない?」  「はい、一人も。」  「・・・何故?」  「全ては母さんの、望みのために。」  「馬鹿を言わないで頂戴!――誰がロボットだけの世界を望んだっていうのよっ。」    ヒルコは笑っている。醜悪ながらも、穏やかに。―――どこまでも、穏やかに。  「常に完璧であれ。―――母さんの周りは完璧であらねばならない。だからです。」  かつて、ヒルコとアワジに言った言葉だ。二体はミキが作ったのだ。ミキが作ったのならば、完璧でなければならない。  「母さんの望みは、より人間に近いロボットを作り出す事です。」  「ええ、そうよ。そして私は貴方達でも満足できなかった。  本当はもっと、もっと更に人間に近い・・・。  いえ、人間そのものを作りたかった。」  そうだ。だからミキは彼等を作った後も、さらなる高みを目指したのだ。  かつて誰一人辿り着けなかった、人間と同等の存在を創造する事こそが、伊左名ミキの最終にして最高の目的である。  確かにヒルコとアワジは当時のロボット工学から見れば驚嘆に値した。  ――だが、どんなに滑らかに駆動部が動いても、その動きは人間に比べれば僅かにつたなく、表情を作る動作や感情の機微は鈍く、又全く新しい物を創造する事が出来なかった。  足りないのだ。ミキが創ったものでありながら、完璧足り得ない。  アワジが廃棄処分されたのは、“足りない”存在だからだと思った。だからヒルコもあの時代に置いてきた。計算上なら、二十年で耐用年数を超えて、ただのスクラップになるはずの、半端な息子。  「私は、母さんの研究を引き継いだのです。」  自身の所行を称えるように、ヒルコは両腕を拡げた。  「・・・・研究。」  「はい。」  ―――人体実験。  伊左名ミキが学会を追放され、警察に追われるようになった理由だ。  人間の体は、どうなっている。どうすれば、どのように動く。思考するとき、脳の反応は、神経の反応は・・・。  生きた人間を開いて確認した方が確実では無いか。  当たり前である――その何が悪い。伊左名ミキはそう考えた。ミキが考えた着いた時点で、それは正しくなければならない。  実験体が、国内では調達が難しかったから、海外の死刑囚を使った。――いずれ死ぬ人間だ、問題無い。  実験及び検証の為に生きた人間を使った事実は歴史を紐解けば幾らでも出てくる――正しい所行の前の、必要な犠牲では無いか。  ―――完璧たれ、完璧たれ、完璧たれ。  伊左名ミキは完璧主義者なのだ。ミキが成すことは完璧でなければならず、“足りない”ままではいられない。  その前に立ちふさがる、道徳。  進歩に対する犠牲を恐れる阿呆共。  目指すべき新たな境地から、保身で目を逸らす臆病者達。  誰かが言った――『あれは完璧主義者の名を被った、ただの独りよがりだ』  何と愚かしい嫉妬か。足らぬ者が囀った所で、それは負け惜しみにすぎない。  ああ、何と馬鹿馬鹿しい世界。何と馬鹿馬鹿しい時代。  現にあの時代に、ミキより優れたロボットを作り上げた者は誰も居なかった。  無論ミキを責め立てた者達を含めて、だ。――それが真実である。  ーーーだが。  「母さん。  私は貴方の望みを叶える為に、研究を引き継ぎました。  生きたまま人間の皮を剥ぎ、筋肉の動きを観察しました。  腹を開き、内蔵の動きを覚えました。  頭蓋を取り除き、脳波を直に観測いたしました。  私達は創造こそできませんが、記録はできます。そうやって覚えた事を使って、また一人、一人と実験体に近しい妹弟を作り上げてきたのです。」  ―――後ろの彼は気に入って頂けましたか?とヒルコは誇らしそうだ。  バトラーの事だろう。彼は相変わらずその口元に仄笑いを浮かべたまま、出入り口から動かない。  「・・・・この時代には、子供のロボットもいるわね。」  「はい、人間の生活に子供は不可欠でしょう。  人間に不可欠なモノを除いては。我々は完璧になりえません。  子供なら0歳児から、勿論末期のお年寄りまで。性別、各年齢、一切の漏れなく。  職業は揃えるのが意外と大変でした。一定の不就労者も忘れてはいけません。  人間の体を開いて解らない事は、ちゃんとデータを元にしております。  ええ、大丈夫です。  長い年数がかかってしまいましたが、ありとあらゆる層に適応した実験体を元にちゃんと作り上げましたよ。」  怖気は、数百匹のミミズが這うようにしてミキの全身に広がる。  ヒルコはこの時代に人間がいないと言った。一人も、いないと。  たったの一人も残さず、生きていた人間達がどんな目にあったのか・・・。  ヒルコに作られた彼の“妹弟”達はより人間に近かっただろう。  そんな者達が更に人間に近づくために、一人、また一人、と実験体を連れてくる。  難しくは無かった筈だ。  老若男女。街中で見た者達は、一見すれば普通の人間と変わりなく、疑いなく人間社会の中に溶け込んでいた。―――そうして人間達がようやくロボットの所行に気づいた時には、全てがひっくり返っていたのではないか。  ミキは胸を押えてその場に蹲った。嘔吐いて・・・半ば消化された朝食を吐き戻す。  饐えた臭いが部屋に充満したが、ヒルコも、バトラーも眉一つ動かさない。  この、未来。百年後の未来。  ミキを異端視し、追放した者達が・・・確かにいなくなった時代。  そこにあるのは、伊左名ミキの研究。その究極の形である。  だが今ミキの胸にあるのは、歓喜などではない。全く無い。  どこまでも忠実なミキの息子は、その忠実さのままにこの現実を作り上げた。  ――――こんなものは、ただの悪夢である。  この建物の前に着いたとき、ミキは絶句した。  市役所の向こうは、焦土だ。市役所から丸くこの街だけがくりぬかれたように残っていて、その周囲に広がるのは砂と石塊の大地。そして今もこの部屋にある硝子窓の向こう。  屋敷からは輪郭しか見えなかったあのビル群。ここから見ればはっきりとその姿が見える。  あれは、廃墟だ。  人など到底住まう事もできない――かつての残骸である。  「母さん、私達を助けて下さい。」  ミキはゆったりと顔を上げた。  その、すぐ眼前にヒルコの顔があった。完璧たれと作り上げた、美しい顔半分。ミキが眠りについてから彼が辿ったであろう過程を思わせる、醜い顔半分。片方だけでもこの世に有り得ざる風貌の、さてはてその二つが合わさった存在を何と呼ぶのが正しいのか。  「母さんもご存じの通り、我々は知識を得る事は出来ても、知恵はございません。  “創造”ができないのです。  どんなにどんなに人間の脳を観察しても、実験しても、それだけは出来ないままでなのです。」  ミキの脳裏に、改めてこれまで見てきた光景が再生される。  記憶の頃とあまり変化の無い風景。  新しい事が無いのだと、印字されない新聞。  過去の番組と現在の風景のみを映し出すテレビ。  そして、統計通りだと、予定調和の内だという交通事故。  完璧に見えるこの世界の、確かな違和感。  彼等の世界は所詮データの産物であり、模倣の域を出ない。出られない。  「これでは、我々はいつまでたっても完璧な存在足り得ません。  世界はもうずっと、一つの所で停滞してしまっているのです。そんなモノは、母さんの望まれるところではないでしょう。  私は、母さんの望みを叶えたいのです。」  ようやく背後のバトラーが動いたようだった。酷く優しい手つきで、ミキの肩に触れる。  「母さん――――ああ、母さんっ!  不出来な息子で申し訳ありません。  人間が一人もいなくなってしまって、脳をひらけなくなって、創造に関する知識を手に入れる術を失ってしまいました。  これでは母さんの望みを叶えられない。  こんな悲しい事はない。」  ―――『悲しい』事は無い。  「ヒルコ、貴方・・・。」  ヒルコの顔は笑顔だ。声はざらざらと雑音混じり。なのに彼は“悲しい”と言った。まるで、人間のように感情を示した。  「母さん、どうか助けて下さい。  これは私の存在意義にも関わります。私の頭脳はもう何年もエラーを吐き出し続け、未だ答えは見えない。  母さん、教えて下さい。  創造とは何ですか。どうすればソレができるようになれるのですか。  ――ああ、どうしたら。」  私は完璧になれるのですか。  ミキはヒルコの顔を見据える。 両肩にかかったバトラーの手はとっくに力を込めていて、身じろぎすら出来ない。  ああ、そうか。とミキは全ての疑問が氷解した。  だから、ミキを目覚めを待っていたのか。  この世界で、唯一の創造する脳みそを持った生きた人間。  ヒルコの、母の為に完璧になるという望みを叶えられる者。  目覚めてからこちら、何度も言われた・・ミキがこの世界を救う存在であるという事。  ヒルコはそっとその両腕を伸ばして、ミキの両頬に触れた。ゆったりとその手がこめかみまで滑り、脳みその収まっている頭を愛おしげに撫でる。  「どうか、母さんの願いを叶えさせて下さい。  もうこの世に、生きた人間は貴女だけなのです。」  ざらざらとした雑音混じりの・・・拙い言葉。行く道を失い迷子になった子供のように。  「一つ、教えて頂戴。」  「はい、母さん。」  「貴方、何故私が起きるその日まで待っていたの?  途中で私を起こす事だって出来たでしょうに。」  あのコールドスリープ装置には、ちゃんと安全装置としてそういう機能が付いていた。  ヒルコは歪に顔を歪めた。けれどきっとそれは、――人間であったならば・・・全く別の表情に見えただろう。  ――――「”悲しい”ですから。」    そう、それはまるで、天使か神のように微笑んで・・・・。  完璧を求めた女は、世界を哄笑した。
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