赤色を見ると、人を愛したくなる。

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赤色を見ると、人を愛したくなる。

 ――あぁ、またやってしまったのか。  微睡から覚醒したような感覚の後、視線の先には人体のパーツの山が築かれていた。中には、人体として面影が無いものもいくつかある――というより、そういったものの方が大多数を占めている――が、眼球や爪の剥がれていない指が視界に入るため、赤に塗れた残骸の築山が、元々は人の形を成していたことが分かる。  ――さて、どうしたものか。  こういったことは初めてではない。物心付いたときから、年に数回このような事態が起きているため、処理自体は行えるようになった。方策を考えていたのは、死体の山の処理ではなく、私自身のことだ。  そもそも、どうしてこのようなことになったのか。最初の頃は蟻を潰していたとか、そんなものだったはずだ。その行為は、多少なりとも残虐性があれど、幼子故の無邪気な残虐性であり、加齢と共に行われる倫理観の植え付けで、そういった残虐性は消えるか、あるいは薄まっていく。  ならば、私はそうではなかったのか、と言われると、多少違うということになる。私の場合は、加虐心とか好奇心ではなくて、気が付いたらやってしまっているのである。そこに理由はなく、敢えて言うなら、そこに蟻がいたから、というのが理由になる。そして、次第に蟻では満足出来なくなり、蟻から蝶々、蝶々から蟷螂へと変遷していき、齢十を超える頃には、犬や猫といったサイズまでになっていた。  ある日のことだった。殺した猫の内臓を取り出して綺麗に潰していると、小さな子供が目の前を過った。小さな子供といっても、その当時の私と大して変わらない体格だった。しかし、確かに私より小さな子供だった。その子供が私の目の前を通り、その子供の視界から私が完全に外れた瞬間、後ろから手で首を絞めて喉を潰した。ちょっとした自慢になるのだが、私は握力が生まれたときから強く、同年代では男を含めても一番力が強かった。大人と腕相撲をすれば流石に負けてしまうだろうが、自分より小さな子供の喉を潰すには十分だった。ぎゅっと首を絞め続けていると、次第に体は動かなくなり、ついには完全に死んだ。そのときの手の感触は今でも覚えている。「ふぅん、こんなものなのか」であった。  爽快感でもなく、罪悪感でもない。定規で線の長さを測るような、そんな感覚に近い。殺す対象が人になったのは、そこからだった。  そんな私の発作というべきか、殺人衝動は、生物を見たら起こるものではないということが、そこから数年して分かった。年に数回とあるが、定期的、あるいは定量的に起こるものでもなかった。  237,26,61。これは、とある色をRGB数で表したときの数字である。この限定的な波長が視覚で認知されたとき、私の殺人衝動が身体を支配し、人を殺してしまうというのが、ここ最近の研究で判明した。  つまり、私のこの殺人衝動、あるいは病気のようなものを簡潔に言ってしまえば、このような一文になる。  ――赤色を見ると、人を殺したくなる。  ◇  そんなことを考えているうちに、死体の処理は片付いていた。意識が別の方向へ向いていても、慣れた作業は行えるものだなぁ、と、自分の能力に感心していると、これから宇宙にでも行くのかという格好をした人物が立っていた。 「終わったか?」  ただでさえ、分厚い白の防護服を着ているから、どんな人物か分からないというのに、変声機を使っているため、いよいよもって男か女かすらも分からない。その人物は、マジックミラーのマスク越しに部屋を見渡して死体を確認すると、小さな鞄をこちらへ放り投げた。 「また仕事が入ったら連絡する」  鞄の中身は大量の札と、安っぽい携帯電話だった。報酬と連絡用の器具だ。それだけ言うと、その人物は踵を返し、エンジン音と共に去っていった。私もこれ以上ここに用はないので、私物の確認を終えると、何もない建物から歩いて出て行った。一瞬だけ立ち止まって振り返ると、塗料が変色したのか、コンクリートの壁は所々錆色であったが、特に何も感じなかった。それだけ確認すると、今住んでいるアパートへと戻った。  こじんまりとしたアパートの、小さな部屋である。部屋には何もない。テレビや冷蔵庫もなければ、机も寝具もない。長く住むわけではないから、というのが大きな理由だが、必要と感じないからという理由もある。流石に屋根や壁は欲しいところだが、最悪、それらがなくとも我慢できるくらいだ。部屋の隅で寝転び、目を瞑ろうとしたとき、ドアを叩く音がした。私はそれを不思議に思った。この部屋にはチャイムが無いので、用があればドアを叩くか声を上げるかしかないが、そもそも、私に尋ねる人などいないので、誰が来たのかが分からなかった。仕事の依頼は先程渡されたような使い捨ての携帯電話で連絡されるし、新聞やNHKは数回来たら来なくなったし、家賃の徴収もつい最近行われたばかりだ。と、なれば、すわ、宗教の勧誘だろうか。  そこまで考えて扉を開けてみると、ノックの主は女性であった。そう視認するより先に、私の手がその女性の喉元へと伸びていた。原因は彼女の服装だった。薄水色のブラウスに、白いスカート、それから茶色のブーツ。ここまでなら、ただの初秋に似つかわしいファッションで説明がつくのだが、問題なのは、首に下げているネックレスだった。ルビーかガーネットか、宝石には詳しくないので仔細は分からないが、とにかく赤い宝石がネックレスの先に括られていた。つまり、発作の原因となる赤色であったのだ。反射的に伸びた手を、どこか他人事のような感覚で眺めながら、また引っ越し先を探さなければならない、と考えていると、ふと、違和感を覚えた。手に感触が無い、というよりも、これは、天地が回っている……。その思考の一瞬後には、背中に鈍い痛みが走っていた。痛みを感じて、漸く投げられたのだと理解した。硬い床に臥した私を、件の女性が覗き込んでいる。胸が高鳴った。かつてないほど心臓が跳ねている。初めての感覚だった。何をしても思うことは無かった私にとって、これは未知の体験であり、嬉しさで胸がはち切れんほどの経験だった。こんな気持ちは初めてで、その女性に、何とかして今すぐにこの気持ちを伝えられないかと強く思った。 「私は、貴女を、殺したい」  先ほど背中に叩きつけられた衝撃のせいか息が絶え絶えになっているが、何とかその言葉を絞り出した。ここまで、何かをしたいという感情は初めてで、童心を取り戻した気にさえなった。そんな私を一瞥すると、その女性は怪訝そうに眉を顰めた。 「私、貴女に何かしたかしら?」 「とても、素晴らしいものを、くれた。だから、貴女に、何かを、してあげたい。けれど、私が、出来ることは、殺すことだけ」  元来寡黙な気質であるため、ここまで口を開いたのは初めてかもしれなかった。今日は初めての体験ばかりだ。それにしても、口下手故にこの気持ちを完全に伝えきれることができないのが残念でならない。 「何かしてくれるというのなら、一つ頼みたいことがあるのだけれど」  彼女は凛とした表情のままで、口を少しだけ吊り上げた。まるで、悪戯を企んでいる少年のような笑顔だった。その表情の些細な変化すらも愛おしい。 「誰かを、殺すの?」  頼み、となれば仕事だ。私は業界ではそれなりに名のしれた殺人鬼であるので、今朝の依頼人と専属契約を結んでいるが、それ以外からも噂を聞きつけて依頼してくる輩もそれなりにいる。個人での殺人の依頼は珍しいことではないので、この女性も同じ口なのだろうと推測した。 「殺すんじゃなくて、死体の処理を頼みたいの」 「誰、の?」  私が業界で名の知れている理由はいくつかあるが、そのうちの1つに、処理が綺麗だという項目がある。殺人鬼というのは独自の美学を持った者が多く、その美学に拘るために死体の痕を消さない者も少なくない。死体を飾る者が大半のこの業界では、死体の処理まで請け負ってくれるかが、依頼するかどうかの大きなポイントになることが多い。ただ、当然ではあるが、死体の処理というのは殺したあとに行われるものであるので、死体の処理のみを頼まれるのは珍しいことであったので少し驚いた。 「私の死体よ」 「殺されて、くれるの?」 「違うわよ。もうすぐ病気で死んじゃうの」  彼女は不機嫌そうに溜息を吐く。その仕草からは、どこか諦念が感じ取られるが、不思議と鬱とした雰囲気は感じられなかった。 「それで、どうして、死体の処理を?」  彼女が私に殺されたくない理由は、何となく理解できた。けれど、死体の処理を頼む理由の方はまだ分からない。むしろ、こういった生存欲求が強い人というのは、遺品を多く残したがる傾向が体感的に強い気がする。事実、仕事でも多くの人を殺してきたが、最後まで抗う人ほど、金品などを身の回りに多く置いてあったりした。 「ま、色々あるのよ。そういえば、報酬はどれくらい払えばいいの?」 「相場は、5本くらい。でも、貴方なら、タダでいい」  1本が100万円。つまり、5本というのは500万円だ。依頼の難易度や注文の細かさによって報酬は前後するが、大体は5本くらいというのがこの業界での相場になっている。人の命は、片手の指で簡単に失われる。 「駄目よそんなの。といっても、私もそんなにお金は持っていないんだけれど……」  そこまで言うと、哲学者の如き思案顔から、悪戯を思いついた子供のような笑みに変わった。天使の誘惑か悪魔の誘惑か、どちらにせよこの世のものとは思えないほど蠱惑的な笑みであったのは確かだった。 「ねぇ、それなら。依頼料……体で払うってのはどう?」  月も星も雲に隠れ、照明がないこの部屋を、ただ暗闇だけが支配する。彼女は靴を脱ぐと肉迫し、私の肩に顎を乗せてきた。服一枚を隔てて身体が密着し、首筋から仄かに香る撫子の甘い香りが鼻を擽る。  数刻にも感じる刹那の時をそうしていると、首元に、ぬるりとした感触が伝わった。くすぐったいような、むずむずするような感覚に、我慢していた吐息が漏れる。それに機嫌を良くしたのか、舌を這わせたまま鎖骨の方へ伝っていく。そのまま下腹部に彼女の手が触れ、彼女の手が服の中へ侵入していった。私の服の下から腕ごと這い擦り上がり、胸を(まさぐ)る。指は胸を撫ぜたまま、腕が上へ移動していき、服が少しずつ脱がされていく。肩の辺りでつっかえると、バンザイをさせられた。  上体部の素肌が完全に曝されると、今度はズボンのホックを外され、芸術品でも扱うかのような手付きで丁寧に脱がされていく。服の着脱は毎日行っていることなのに、他人にされるとなると途端に羞恥が襲い掛かってくる。そのまま下着も脱がされてしまうと、今度は両手首を掴まれ、床に押し倒された。  先程襲い掛かったときに反撃されて地面に叩きつけられたのとは異なり、踵と膝で足を抑え込まれたまま膝を折りたたみ、ゆっくりと、それでいて力強く押し倒される感覚だった。彼女は私の上に馬乗りに跨ると、気風よく自分も服を脱ぎ、そのまま倒れこむようにしてのしかかってきた。今度は間を妨げる布一枚すらなく、柔らかな肌が直に擦れる。鼻が触れ合うくらいに顔を近付けると、指で顎を持たれて、そのまま口づけされた。フェザーキスだけで終わると思ったら、そのまま舌が口内に侵入してきた。突然の感覚に驚いて閉じようとする唇を舌で強引に抉じ開けて、舌を絡ませる。初めてのキスの味は、何だか妙に苦かった。舌が絡みつくと、煙草のような苦みがまず感じられ、次の瞬間には脳に電流が奔るような、蕩ける快感が脳を溶かす。ファーストキスは甘いだなんて耳にするけれど、全然違った。それからしばらくの間、水音が部屋に木霊して、小さな部屋に艶めかしい嬌声が漏れて夜に溶けていった。  ◇  肌寒さで意識が覚醒した。辺りは仄かに薄暗く、隙間風が凍みて身体が縮こまる。髪が裸体を撫ぜて、少しこそばゆい。汗をかいたからか、妙に身体が冷える。 「おはよう。よく眠れた?」  彼女は私よりも早く起床していたようで、裸体を隠そうとせず堂々とコップに注いだ水を呷っていた。その所作に、どことなく違和感を覚えた。 「……左腕、どうしたの?」 「あぁ、これ? 病気の症状よ」 「昨日までは、何とも無かった」 「そういう病気だからね」  違和感の正体は、左腕が全く動いていないことだった。どうやら力が全く入らないらしい。もっと詳しく知りたかったが、それ以上はあまり言いたくなさそうだったので、詮索は控えた。 「ところで貴方、今日は暇かしら?」 「うん。仕事は、入っていない」 「そ。じゃあちょっと付き合ってくれない?」  コクリと頷いて肯定の意を示すと、彼女はバッグから何か手帳のようなものを取り出して開いた。 「それは、何?」 「これはね、死ぬ前にやりたいことを書き留めているの。見る?」  お言葉に甘えて彼女の肩越しに手帳を覗き込むと、いくつかの文章が箇条書きで記されていた。そのうち、『煙草を吸う』と『セックスをする』には斜線が引かれていた。 「女同士でも、セックスって、言うの?」 「もちろん。今は多様性の時代よ?」  ふふん、と彼女は何故か勝ち誇った笑みを見せた。 「よし。それじゃあ今日は潰れるまでお酒を飲むわよ。ところで、貴方ってお酒は強いの?」 「飲んだことが、無いから、分からない」 「それじゃあ飲み比べね。ふふふ、今夜は寝かさないわよ?」  そう言って、挑発的な笑みで『お酒を飲む』に車線を引いた。  ◇ 「うぇぇ……これも無理ぃ……」  結論からいって、彼女はお酒が苦手だった。アルコールの分解処理能力が弱いとかではなく、単純にアルコールの味が受け付けないみたいだった。酎ハイなどのアルコールっぽさがあまり感じられないようなものでも無理らしく、焼酎やワインなど、色んな種類を試してみたが、どれも無理なようだった。  バイオレットフィズという菫色の綺麗な色合いをしたカクテルをちびりと舌で舐めると、苦虫を噛んだような顔で舌を出してグラスを遠ざけた。 「うぅ、煙草が不味かったから、お酒はかなり期待していたのに……」  ショックを受けて嘆く彼女とは反対に、私はアルコールは体に合っているようで、色んな種類を購入したが、そのどれも美味しく頂けている。一番のお気に入りはマルガリータというカクテルだ。柑橘系の爽やかな味が結構好みなのかもしれない。  購入した分を粗方飲みつくしたところで、眠気が襲ってきた。通常の睡魔とはまた違った感じの眠さで、酔っているせいか世界がフワフワする。彼女は匂いだけで酔い潰れてしまい、私の肩を枕にして座ったまま器用に眠っている。私も瞼の重みに逆らえず、ゆっくりと目を閉じた。  ◇  彼女の死ぬまでにやりたいことリストを消化しながら一緒に過ごして数日が経った。私の膝に頭を乗せて、ただ甘えているだけのように見える彼女は、自分の意志ではもう指一本動かすこともできない。痛みや苦しみはなく、筋肉の弛緩に近い感覚だそうだ。四肢の感覚は既に無く、瞼を開ける筋肉も働かないらしく、ずっと目を瞑っている。最初に邂逅したときの毅然とした態度はそこに無く、とても穏やかであった。 「……手帳の最後のページ、開いてみて」 言われたとおりに手帳を開いてみると、最後のページには、色んな文章が書かれていて、そのほとんどが斜線で消されている。黒色でぐちゃぐちゃになった白い空白には、小さな文字で、星を見て死ぬ、という一文だけが残っていた。  ここから一番星が綺麗に見えるのは、海岸だ。10分も歩けば着くくらいに近くにある。さっそく彼女を背負って家を出た。彼女の身体は酷く軽かった。速足で目的地へと駆けていく。あそこの砂浜には仕事道具を隠すためによく通っているので、道のりは大丈夫だ。  速足で向かったため、5分とかからずに着いた。潮の匂いと、べたっとした風が頬を撫ぜる。波打ち際まで下りていき、そこで彼女の身体をそっと下ろし、膝の上に乗せて座らせる。目は開いていないが、胸が上下している。穏やかな呼吸だ。暫くぼうっと海を眺めていた。 「寒く、ない?」 「…………えぇ、大丈夫よ」 「砂で、墓を作る?」 「…………嫌よ、墓は嫌いだもの」 「星、綺麗だね」 「………………そう……ね」 「月も、綺麗」 「…………………………」 「…………………………」 「…………………………」  波の音だけが繰り返される。空が白け始めた。彼女の胸に手を当てると、とても静かだった。暫く彼女の身体を抱えるようにして抱きしめた後、砂浜から隠しておいた薬を取り出し、その雫を足元からかけていった。彼女のカラダが、踵から徐々に霧散していく。土へと還っていく彼女に、墓標の代わりに口付けをすると、その薄桃色の唇は少しだけ赤らんで、一瞬だけ赤色になった。
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