赤い花

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 ちっちっちっ……。  静かな空間に規則的に鳴り響く音に閉じていた目を開ける。  椅子に座ったまま寝ていた体は固まっており、伸びを一つすると骨がきしむ音とがした。  時計を見上げると短針が3を指している。机の上には作り途中の花細工が一つ。赤いちりめん生地で作った花びらとがちょこんっと置いてある。あとはこれを重ねて、花を作り、こまごまとした装飾を付け加えれば終了である。  デザインを考えるのに数日。  花弁を作るのに数日。  いつもであればお店の生地を見たり、おいしそうなデザートを見るだけでデザインがぱっと浮かんだりするのだが、今回はそううまくいかなかった。  机の上に置かれた今回の花細工。それは近所に住む幼馴染へのものだ。三つ年上の彼女は太陽のようによく笑い、泣いて、大人になったというのに子どものようにはしゃぐ人だった。そして今度、結婚をする。  この前に久々に会った時にそれを告げられた。  いつものようににこにこ笑って、あっけからんと世間話のついでに「私、結婚するの」と。  その言葉を聞き漏らさなかった自分を偉いと思う。そして、ちゃんとそのことについて聞きなおした事も。「おめでとう」ともちゃんと言えた。  結婚式はお互い家族だけのささやかなものにして、彼女はすぐに家を出て彼と一緒に住むのだという。いつ家を出るかを聞いた俺は家に帰るとすぐに机の上にノートを広げた。  彼女に似合う花細工を作ろう。そう思ったのだ。  けれどいざ完成させようとすると手がこわばってしまう。  ちっちっちっ……。  時計の長身が動いていく。  ボンドの蓋を開けたまま寝てしまったせいで、白いボンドがやや透明になって固まってしまっている。これではくっつけることができない。未使用のボンドを机の引き出しから引っ張り出すと、その袋を開ける。  ふぅっと息を吐き、強張る手を一度強く握り占めてからゆっくりと開く。  幼馴染の彼女に恋をしていたかどうかと聞かれれば、おそらくしていたのだと思う。  けれど、それは恋とは言えないと自分では思っている。  彼女は自分にとって姉でもあるし、友でもある。恋人という一人の女性として見るほどの勇気が自分にはなかった。  だが、それでも大切な人であったことには違いない。  だからこそ、自分の恋慕をこの花細工にすべて込めて、気持ちを昇華させようと思った。  祝う気持ちもある。大切になってほしいと思うという願いもある。  けれど、これを作っている理由の一番が自分のエゴである、それに気づいてしまったせいで作業は滞ってしまっていた。  このエゴで作られた花を彼女は笑顔で受け取ってくれるだろうか。  自分の欲で塗れたこの花細工を彼女が身に着けるのだろうか。  そう考え始めたら、どうしてもダメだった。  一生懸命考えたデザイン。自分はきれいだと思った。彼女に似合うと思った。  だからこそ俺は作りかけたその花細工を捨て、余ったちりめん細工で小さいつまみ細工を作り始める。花弁を作り、出来上がったつまみ細工の花をボンドでピンの台に接着しようとする。が、うっかりピンで指を刺してしまった。  ぷくりと浮かび上がる赤と小さな痛みに少し笑う。  彼女への自分のエゴはこの痛み程度のもので、きっとすぐにこんな怪我をしたことさえ忘れてしまうだろう。  そう思いながら、出来上がった小さいけれどかわいいつまみ細工を簡素な紙袋に入れる。集中して作ったせいで目と体が疲れていた。3時の時と同じように伸びをする。  カーテンの外からはうっすらと光が部屋に差し込んできていた。  今日、彼女はここから旅立っていく。  日の出の眩しさに目を細めたが、ピンで刺した指の痛みはじんじんとまだ俺の中からは去ってくれそうになかった。
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