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『なあ、お前ら、〝忘れられた神話〟って知ってる?』
そのスレの冒頭は、そんな一文で始まっていた。
書き込み主の名は『伝道師』。所謂ハンドルネームというやつだ。それもとびっきり厨二寄りの
最初の書き込みから約十分後に、レスが付いている。
『ここオカルト板だけど、何のRPGのスレ?』
レス主に名前は無い。名前が無いことを示す『名無しさん』という味気無い五文字が、レスの上部に載っているだけだ。
そのすぐ下に、『伝道師』からのレスが付いている。
『ゲームじゃないよ。都市伝説みたいなもの。
この世界のあらゆる宗教の元になったと言われてる創世の神話。
だけど紀元前に、世界に混沌を招くとかいう理由で抹消されたらしい。』
『伝道師』からのレスは異様に早かった。最初の『名無しさん』のレスからおよそ一分後。どうやらスレを立ててから、レスが付くのを画面の前で待っていたらしい。
次第に人が増えてきた。『伝道師』以外に名前は無い。赤の他人か、はたまた同一人物かも判然としないたくさんの『名無しさん』が、『伝道師』の書き込みを冷やかすようなレスを次々と付けている。
『それは初耳』
『都市伝説系でググっても出てこないけど?』
『お前が今作った設定じゃねーの?』
『厨二乙www』
『なんだワナビか』
『それとスレタイとなんか関係あんの?』
朔也は画面を上にスクロールし、もう一度スレッドタイトル――通称スレタイを確認した。そこには一際大きな赤い字で、こう綴られている。
『死んだ人間に会いたいやつちょっとこい』
そのスレッドが国内最大級と言われる某掲示板サイトに立てられたのは、今から四年前のことだった。目下朔也が見ているのは既にサイトから消失してしまったスレッドのログで、最初の書き込みの日付は二○○九年八月十三日となっている。
また『伝道師』からのレスが付いた。
『「アレセイア記 死者」でググればヒットするサイトがあるよ。
そのアレセイア記っていうのが忘れられた神話。
著者不明で、死後の世界、つまりあの世が実在することが
書かれたものだったらしいんだけど、それが悪用されまくったせいで消されたって話。』
朔也は即座にブラウザの画面をクリックし、新しいタブを開いた。検索サイトを開き、「アレセイア記 死者」と入力する。
検索結果の一番上に、それらしいサイトがヒットした。リンク名は、『アレセイア記~死者の国と禁忌の神話~』。どうやら個人の手によって開設されたサイトのようだ。タイトルだけを見ると、個人が趣味で公開しているファンタジー小説か何かだろうか、という印象を受ける。
しかし試しにサイトを開いてみると、すぐに初めの印象とは赴きが違うことが分かった。真っ黒に塗り潰された背景に浮かび上がる、白い文字。
『あなたは神を信じますか?』
見るからにオカルトサイトだった。画面に表示されているのはその一文と、『はい』、『いいえ』と書かれた二つのボタン式リンクだけだ。
朔也は神など信じてはいなかった。神はあらゆる人間に対して平等だとか、救いをもたらしてくれるとか言うが、そんなものは真っ赤な嘘だ。
もしこの世に神というものが実在するのなら、そいつは朔也にとってただ奪うだけの存在だった。神は人に何も与えてはくれない。与えたとしてもいずれはそれを奪う。そうやって奴は人が不幸に喘ぐのを眺め、嘲笑っているのだ。そう、それは神と言うより悪魔と呼んだ方がしっくりくる。
けれども朔也は、今だけはそんな神でも縋りたかった。もし世間が言うように、神が全能で慈悲深い存在であるならば、きっと自分を救ってくれる。
頭の片隅でぼんやりとそんなことを考えながら、朔也は迷わず『はい』のボタンを押した。するとわずかな読み込み時間を挟み、パソコンのモニターに新たな画面が表示される。
『あなたは90141人目の迷える子羊』
以前の朔也なら、その文言を見ただけで馬鹿にされたような気がして、舌打ちの一つでも漏らしていたことだろう。しかし今は違う。あくまで淡々とマウスのローラーを回し、画面をスクロールする。
やはり黒い背景にでかでかとサイト名が記されたトップページには、『アレセイア記とは』、『禁忌の術~死者蘇生法~』、『管理人のブログ』と書かれた三つのリンクだけが用意されていた。その上に小さく並んだ文字が、このサイトの最終更新日が二○○九年の十二月二十五日であることを示している。
脇目も振らず、朔也は『禁忌の術』と書かれたリンクをクリックした。一気に動悸が高なっていく。今は、一秒にも満たないページの読み込み時間すら惜しい。
画面が表示された。身を乗り出し、食い入るように眺めたその画面の冒頭には、やたらと勿体ぶった、それでいて説教くさい論調で長々と警告が書かれていた。朔也はその部分をまるっと無視し、更に下へ下へと画面をスクロールした。その先に、ようやく箇条書きで記された〝死者蘇生法〟の手順を発見する。
『この失われた秘法を信じるか、信じないかはあなた次第。
しかし、この秘法に縋る熱意と覚悟があるのなら、あとはすべて自己責任でどうぞ。』
手順の最後には灰色の文字で、そんな文言が記されていた。
更にその下に、白い文字で別の一文が添えられている。
『どうかあなたが、愛する人と再び巡り会えますように。』
朔也の手は、無意識のうちにプリンターへと伸びていた。夢中で電源を入れ、用紙をセットし、問題のページでブラウザの印刷ボタンをクリックする。
動悸は、やはり早いままだった。これでやっと、やっと美世に会えるかもしれない。失ったすべてを取り戻せるかもしれない。そのためになら、どんな犠牲も払ってみせる。どんな障害も乗り越えてみせる。美世は朔也のすべてだった。彼女さえ取り戻せるのなら、もう何も怖くない。
ようやくプリンターが動き始めた。白い用紙が音を立てて吸い込まれ、中でヘッドが左右に動いている音がする。
その間に朔也は例のサイトのトップページへ戻り、今度は『管理人のブログ』というリンクをクリックしてみた。別窓でリンクが開く。やはり背景は真っ黒だ。ブログのデザインは実にシンプルで、記事やカテゴリ別リンク、カレンダーなど、必要最低限のパーツしか並んでいない。
朔也はそのうちの最新記事だけに目を通した。最後の記事は、やはり二○○九年の十二月二十五日で止まっている。記事のタイトルは『hallelujah!』。本文にはこう記されている。
『今日は神に感謝したい。ついに私の夢が叶う時が来た。最高のクリスマスプレゼントだ。
今夜、私はこの世界に別れを告げる。歓びを抑えきれない。連絡を受けてからおよそ一時間が経過した今も、記事を打つ手が震えている。
恐らくサイトの更新は今日が最後になるだろう。と言っても更新を続けていたのはこのブログだけだから、大して問題は無いと思うが。唯一、ブログに寄せられる質問や意見に返答できなくなることだけが心残りだ。どうしても気になることがある人は、過去記事やコメント欄に答えがないか探してみてくれたまえ。
とにかく、私は今日、この退屈な世界に別れを告げる。今夜の待ち合わせが楽しみだ。
これまで地道にアレセイア記の研究と伝道を続けてきた甲斐があった。やはり、この世に神はいる。そして神とは真実を知る者、あるいはそれを知ろうとする者にのみ祝福をお与え下さるのだろう。
それでは諸君、良いクリスマスを。』
初めてサイトを訪れた朔也には何のことだかまるで分からなかったが、更に画面をスクロールしていくと、その記事には大量のコメントが付いているのが分かった。その数は軽く三百を超えていて、朔也は興味本位にコメント欄へのリンクをクリックする。
記事に寄せられているコメントの大半は、読む価値も無い冷やかしや中傷の羅列だった。しかしその中に、ちらほらと気になるコメントが混じっている。
『きちんと手順どおりにやってるけど、何度試してもうまくいかない』
『このサイトに書いてあることが本当なら、誰か成功した人いませんか?』
『死んだ彼氏に本当に会いたい。嘘でもいい。誰か成功法教えて』
『この人殺し』
多くの冷やかしの中に混じったその〝人殺し〟という言葉が気になり、朔也は画面をスクロールしていた手を止めた。
一体何故そんなコメントが書き込まれたのか、今の朔也には見当もつかない。このブログの主が殺人でも犯したというのだろうか。しかし他に、そのような事実を匂わせる書き込みは無い。
それでもその一言が引っ掛かり、朔也は更に下へ下へと画面を送ってみた。コメントは日付が古い順に並んでいる。下へ行けば行くほど日付は新しくなり、いつの間にか最近の日付にまで辿り着く。
二○一二年九月二十二日、コメント番号340。今から半年前のコメントだ。
『儀式に成功した者です。だけど今、儀式を行ったことを激しく後悔してる。
このサイトに書かれてることは全部本当。だけど書かれてないことの方が多い。お陰で自分は死ぬ思いをした。今、生きてるのは奇跡だと思う。
生還した人間だからこそ言わせてもらう。儀式を実行しようとしてる人がいるなら思い留まった方がいい。あなたは今、すべてを失ったと思ってここに来てるかもしれないけどそうじゃない。本当にすべてを失うのは、儀式の後だ。それから後悔しても遅い。』
ドクン、と心臓が大きく鳴った。何度もそのコメントを読み返しながら自問する。本当にすべてを失うのは、儀式を行った後? 違う。今の俺には本当に何も残ってない。何も。
だから今更失うものなんてない。そう自分に言い聞かせながら、震える手で更に画面を進めた。案の定、問題のコメントに対する反応が続いている。否定的なコメントばかりだ。〝そんな餌で俺様が釣られクマー〟、〝どうせ釣りだろ?〟、〝釣り乙〟。似たようなコメントばかりが並んでいる。が、やがてそれらのコメントに対する返信が現れる。
『釣りだと思うなら自分でやってみれば?
ここに俺が儀式に成功したときの方法を書いておく。それからこのサイトに載ってないことも補足しておく。本気でやろうと思ってる奴は、それを見ても本当にやるかどうか決めてくれ。
それでもやるって言うなら、俺は止めない。』
思わず、椅子がガタリと鳴った。朔也は再び食い入るように画面に見入った。
電気を消した暗い部屋で、パソコンのモニターだけが皓々と朔也を照らしている。
机に置かれた美世の写真が、朔也に笑いかけていた。
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