生まれ堕ちて

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 老いとは素直になるための過程である。  守りたいものがあるだろう。  愛国心を持つ者は国だろうか。家族を持つ者は人であろうか。確かな信念を持つ者は心だろうか。いやいや。人間は一元的な生物ではない。一人の人間が守りたいと思うものなど無数に存在しているだろう。  けれど、守れない。己の可能な限りを尽くしたとて守ることはできない。永遠には。  それに気づき、己の限界を知っても守ろうとするものだ。  でも頭では解ってしまう。無理だと。  人によって異なり、己の限界を悟る時期は様々だ。それは、諦めない限りこの世には限界は存在しないからだ。新たな道は常に諦めの悪い者の前に現れる。それこそが、生だ。  ならば諦めなければいいのか? そうでもない。諦めてしまえば、肩ひじを張らずに済む。人からは軽蔑され、見下げ果たされることもあるだろう。それでも、心身の平穏を手に入れられるなら悪くない。  例えば、大きな借金をしつつも、家族の生活を守る父が居たとしよう。彼は仕事に対してはまじめで、己の身体が壊れるのもお構いなく、家族との会話も疎かにして働き続けた。  結果、大きな借金を返せずに、家族との大きな亀裂を生んだままに、崩れ落ち、寝たきりで誰かの介護なくしては生きられなくなった。どう足掻いても守られる側に陥ったのだ。  その父の息子はどう思っただろう。  息子の心は常に蔑ろにされていた。あらゆる点で父と考え方違う息子は常に憤っていた。殺したいほどに憎んでいた。 「もういいんだ仕事しなくて。休んでいいんだよ」  息子は常に反抗し、父が示す全ての道から外れることを選んでいた。いや、父を嫌っているから外れたのではなく、ただ、生きた時代、環境が異なったからこそ外れてしまっただけだ。 「どうして来る人来る人に怒鳴りつけるだ。どんな人だろうと助けて貰わなきゃならない状況だろ。無理に守ろうとしなくていいんだ」  息子は父のことを理解してはいない。家族において、するべき会話をしておらず、理解を構成する素材があまりにも足りないためだ。それでも、父の姿を見ること、理解しようとすることを諦めなかった。  だから、父の行動や言動に自らと似ている部分を見て、異なった生き方をしていても父に自身の姿を重ねていた。 「諦めてどうするんだ。やっと、解放されて自分の好きなことができるんだろう? 技術は進歩しているだ。その手だって自由に動かせる日がくるさ」  父は己の信念に執着し、それ以外を差別し、排除する傾向にあった。当然ながら異なる道を行く息子に苛立ちを覚え、憎んでさえもいただろう。 「心配はしていない。息子たちはよく育った」  それまでとは違う穏やかな家族との日々。長年の確執が少しばかり安らいだだけなのだが、当事者達にとっては掛け替えのない日々。その中で父は徐々に回復し、息子は父が再度立ち上がる夢を見ていた。 「いつものちょっとした風邪だ。あの腹膜炎に比べれば命の危険はないはず」  そう家族に話しかけ、自分を落ち着けた息子。その言葉が否定されたとしても、猶予はまだあるはずだと思っていた。 「………」  その日の内に集中治療室で人工心肺によって生かされている父の姿を見ることになった。そこで父が何か言ったが、息子は聞き取れず、共に訪れていた姉が聞き取った「水が欲しい」という言葉を信じた。  けれど、息子は父にそれを与えることはできなかった。  息子は後悔などしていない。それは互いに素直になって話す機会を多く取れたからだ。  父は己の身体が壊れるまで、決して素直になることはなかっただろう。だから、老いも諦めもただそこにあるだけで、十分に価値があるものなのだ。  これから再度立ち上がる道もあっただろう。けれど、父は十分に己の生を成し遂げたのだ。ならば、諦めに堕ち、老いに任せて死するのを止めるなど酷だろう。  そうだな。どうしても彼を呼び起こすというならば、せめて、天国のような世界を創り出して、そこに招待しよう。 「なぁここはアンタが見た夢の世界だろう?」  てな。
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