否定肯定

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否定肯定

 否定的な意見が何故存在するか? それは危険を回避するためだ。  世の中には否定的な考え方が蔓延しているよな。  あれはだめ。これダメ。それも駄目と。  そうして、人は行動を束縛され、何もすることが出来なくなっていく。  それは実は正しい。少なくと否定的な意見が危険を回避するためのものであるなら、無思慮な行動を避けることによって、何らかの災厄、あるいは命が失われる可能性が低くなるからだ。  親が子へ、子が親へ、友が、恋人が否定を口にするのは紛れもなくその対象者の健全な生活を守るため。また、それが悪意に満ちていたとしても、その否定的な意見が道理を得ているなら、危険を回避するように作用する。  ならば肯定は必要ないか? それは有り得ない。  人はただ生きていれば、幸福でいられるか? そんなはずはないだろう。  何かしたい。心に響く、楽しいことや面白いこと。興味深く、知性や身体を、個性を刺激するもの求める。  ただ、それらは否定的に見られがちで、落ち込むよなぁ。なら、人の為、他者が笑顔になることをすればいいのではないか。そうして様々な娯楽を作り上げる。  その工程に必要なものは何か。それが肯定だ。  まずは自分を信じること。自分の想いを信じること。自分の価値を認めること。それは勘違いかもしれない。けれどそれでいい。この世は矛盾の世界だ。どんな物事も否定できるし、肯定もできるのだ。だから、全肯定したところで問題はない。  自分の面白いを肯定し、更なる面白いを創り出す。貴方が誇らしく掲げているものに色んな意見が飛び交うだろう。それらの全てさえも肯定し、更なる高見を目指すといい。  世の中には優しい否定が満ち溢れている。だから、全肯定して突き進んだところで、否定を忘れることはないはずだ。そうして創り出される物語は、己の心を痛めてまで、優しい否定を繰り出す者達の心さえも癒すことになるだろう。  そして言おう。 「生まれてきてよかったぁ」と。  己の生さえも肯定するために。
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