死神の禁忌(二)

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死神の禁忌(二)

「冷や冷やしたぞ」  作衛門が言った。  刑場の人混みの輪の中から逃げ出した二人の死神、左之吉と作衛門は、今、三途の川を渡る小舟の上にいる。地獄の岸辺から、現世に繋がる三途の川を横切り、その向こうの対岸へと二人は向かっていた。舟の上に立ってギイギイと軋む音をさせながら櫓を漕いでいるのは骸骨姿の渡し守だ。 「あの場であんな事を言えるのはお前くらいだ」 「何も言わねぇ方がどうかしてるぜ。皆、閻魔大王に怯えすぎだ。だから良いように使われた挙げ句に消されちまうんだ」  左之吉は鼻で笑った。角張った顎に太い眉。どこか愛嬌のある顔立ちだ。 「消された奴らもそうさ。なぜ抗おうとしない? 人間だって死ぬ間際に、死にたくねぇと言って泣き叫ぶ。ところが、今日消された死神の奴らと来たら、ただぼんやり座って首刈り鎌の前に黙って首を差し出していやがった。間抜けすぎるだろう」  左之吉の声には、憤りと嘲りが含まれていた。 「死神の運命は閻魔大王の掌のうち……そう思いこんでいるからな」 「馬鹿な話だ。俺も死神だが、その前に俺は俺だ。たとえ消されるにしても運命とやらには抗うさ」  左之吉は前を向いてきっぱりとそう言い切る。作衛門はそんな左之吉を眩しげに見つめた。 「随分と威勢の良い事を言うんだなぁ」  作衛門はうっすらと自嘲の混じった笑みを浮かべる。 「俺も他の奴らと同じだよ。死神の運命に従って、ただ従順に魂を運んでいるだけだからな。お前のように堂々とお上に逆らうような真似は怖くてできない。だが……」  作衛門は一呼吸置き、そして、真っ直ぐに顔を上げる。 「もし俺が消されるような時は、せめて最期にひとあがきくらいはしてみたい……お前の言うように」  左之吉は作衛門の肩を叩いて笑った。 「お前は消されないだろう。消されるようなヘマはやりそうにない」  確かに作衛門はヘマなど踏みそうにない、慎重な死神だった。言われた通りのことを言われるままにこなし、上にも周りにも逆らうようなことは決してしない。  それに対し、左之吉は自ら進んで問題を引き起こすような地獄一の厄介者だ。上役に対しても、書記官・小野篁に対しても不真面目な態度をとり続けており、時に反抗的ですらある。そして、本人もわざわざ反抗することを楽しんでいるようなところがあるので余計に手に負えない。  真面目に勤めに励んでいる死神ですら罪を負い消されてしまうことがあるのに、面倒事ばかり起こす左之吉が消されずに死神を続けられているのが不思議だ、と皆が口を揃えて言う。そこは本人の要領の良さと言うべきか、決定的な「罪」となる一歩手前で毎回踏みとどまってはいるのだ。  舟は三途の川の対岸の船着き場に着いた。  左之吉は勢い良く飛び降りる。後ろを振り向くと、作衛門はまだ舟に乗ったままで降りる気配がない。 「このまま仕事か?」 「ああ」  作衛門は頷いた。舟に乗って三途の川を遡れば現世に行くことができる。死神であれば現世まで歩いて行くこともできるが、便宜を考えて舟を使う者が多い。特に、海や川で死んだ者を迎えに行く場合はなおさらだ。 「行徳沖に」と作衛門は言った。左之吉はすぐに場所が思い浮かばなかった。 「江戸より東側にある漁村の沖合だ。葛西村よりも向こうの……」  そこに迎えに行くべき魂があるのだろう。 「そうか。気をつけて行けよ」  左之吉は、再び岸を離れようとする舟に乗った作衛門を見送る。 「ああ、そうだ」  作衛門は急に何かを思い出したように岸辺に向かって声を出した。 「英太郎のやつは達者か?」  作衛門は左之吉の同居人のことを聞いた。 「しばらく目玉を買いにいっていない。今度行くと伝えておいてくれ」 「わかった。伝えておく」  左之吉は軽く手を上げて答えた。 「目玉の用事がなくっても、来てくれりゃあ、あいつは喜ぶよ」  舟は徐々に遠ざかる。最後の左之吉の言葉は作衛門に届いたか分からない。骸骨の船頭の漕ぐ舟は意外に船足が早く、川の流れをぐんぐんと遡り、次第に小さくなり……そして不意に消えた。舟は現世に行ったのだろう。  左之吉は作衛門は見送ると、青草の茂る堤を登った。小高い堤の道に沿って川上のほうへゆっくりと歩いていく。道の向こうには、「目玉売り屋」がある。そこが左之吉の帰るべきところであった。
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