生き返り(一)

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生き返り(一)

 松原数馬は人よりも頭一つ分大きい体を縮めるようにして舟に乗り込んだ。  堀江の渡しを往復する渡し舟は、五人も乗ればもういっぱいで身動きがとれなくなってしまう。  嘉永二年(一八四九)九月。海から川を渡って吹き付ける風は幾分か冷たい。その代わりに空はよく晴れて日の光がありがたかった。  数馬は、他の者の邪魔にならぬよう長刀と脇差しを両腕に抱えて端の方に座る。葛西村で江戸の俳諧師を呼んでの句会に招かれた、その帰りであった。  数馬は江戸川を挟んで葛西村の対岸、堀江村に住んでいる。堀江村は現在の千葉県浦安市に当たるが、江戸時代以前は行徳(ぎょうとく)と呼ばれる地域の一部だった。特に数馬が住む行徳の南側、海に近い漁村である堀江(ほりえ)村、猫実(ねこざね)村は下郷と呼び習わされている。  強い川風に煽られて渡し舟は幾度も左右に大きく揺れた。川の中程に浮かぶ妙見島を左手に見て、舟はゆっくりと下郷へ向かっていく。  年老いた船頭は慣れた手つきで櫓を操っている。何かの唄を口ずさんでいるようだが、耳元で鳴る風の音にかき消されてしまい、よく聞こえない。 「先生、知ってっか?」  すぐ隣にいた百姓のおやじがニヤリと笑って数馬に耳打ちした。数馬のことを「先生」と呼ぶのは数馬が自宅で寺子屋を開いており、この百姓のおやじ・源八の息子・龍吉も数馬の寺子屋に通っているからである。 「船頭のじいさんナ、生き返りだんべね」 「生き返り……」  言われて数馬は改めて船頭の横顔を見た。見覚えがあるような気がするがすぐには思い出せない。数馬が首を傾げていると源八は続けて言う。 「ほれ、先生も知ってんべ。大蓮寺裏の清吉じいさんよ。耄碌しとった……」 「ああ、あの」  数馬は頷く。しかし、頷いたもののすぐには得心できなかった。  清吉じいさんは三年ほど前からぼけ始めた。道をヨタヨタと歩きながら大声で何か訳の分からないことをブツブツとしゃべっていた姿を数馬は覚えている。その時の清吉じいさんの顔は青黒くげっそりとやつれて、目の焦点も合わずに視線をやたらキョロキョロとさせていた。清吉じいさんはとうとう今年の春から動けなくなり、寝たきりになっていると聞いた気がする。  今、目の前で舟を操っている船頭は、確かに人相をよく見れば清吉じいさんに瓜二つである。しかし、背筋がしゃんと伸び、血色の良い顔をしてハキハキと櫓を漕ぐ船頭と、耄碌してしまった清吉じいさんとが数馬の頭の中で上手く結びつかなかった。 「清吉じいさんが死んだという話は聞かないが」  数馬も声をできるだけ低くして源八に言った。 「身内で葬式やってる最中にね、生き返っちゃったんだと」  源八はクク、と喉の奥で笑う。 「生き返って病もぼけも治ったんだと。良いのう。おらも体が悪くなったら一遍死んでみて治してみんべえ」  舟はやがて堀江村の渡し場に着いた。農作業の道具を抱えた百姓達が一人一人、船頭、いや清吉じいさんに銭を渡して降りる。堀江の渡し船を使うのはもっぱら百姓だ。江戸川の向こうに堀江村の飛び地がある。川向こうに土地を持つ百姓達はいちいち舟に乗って飛び地の畑を耕しに行かなくてはならないのだ。 「清吉じいさん」  数馬は他の者が舟から降りるのを待ってから立ち上がり船頭に話しかけた。船頭は振り返って、人の良さそうな顔をくしゃりと崩して笑った。やはり清吉じいさんだ。 「生き返ったと聞いたよ」 「へぇ、おかげさまで」 「少し話を聞きたいのだが良いかい?」  数馬は渡し賃よりも幾分か多い銭を清吉じいさんの日に焼けた掌の上に載せた。  清吉じいさんはニコニコと笑いながら、へぇ、と頷いた。
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