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ああ、牧師様、このような時間に押しかけてしまって本当に申し訳ありません。さぞ迷惑にお思いのことでしょう。しかし、牧師様、私は私のしでかしてしまったことを、もう一晩だろうとこの胸に秘めていることができないのです。誰かに話さなくてはならない、その焦燥感だけが私を突き動かし、この教会の懺悔室まで私を連れてきたのです。周囲のだれもが私の言葉に取り合ってはくれず、牧師様、あなただけがこの私の心の苦しみを取り除くことができるのだと、牧師様だけが私の魂を救済できるのだと、そうお考えください。私は私のためにこの告白を行うのです。ええ、はい、決して嘘など述べません。神に誓って真実のみを話すことをお約束しましょう。
さて、それではまずどこから話を始めたものでしょうか。私の犯した罪について事細かに、正確無比に説明するというのならば、まず私がこの世に生を受けたときから話を始めるべきなのでしょうが。ええ、わかっております。私としましても牧師様の貴重な時間をできる限り奪いたくはないのです。ですから、事の顛末は詳細に、しかし、簡潔にお話ししたいと考えております。
それでは、始まりはやはりあの時にするべきでしょう。今から一年と少し前、私のクラスに彼が転入してきたときから始めましょう。ええ、そうなのです。牧師様もすでにお分かりのとおり、私はこの町の学校に通う学生なのです。中学生か、高校生か、はたまたそれ以外か、詳しいことはできれば秘密ということにしてはいただけないでしょか。とても恥ずかしい考えではありますが、私は私という存在が明るみに出ることを恐れているのです。私は卑怯で弱い人間であります。どうか、このあまりに矮小な人間の卑劣な願いをお許しください。ああ、牧師様、ありがとうございます。はい、それでは話の続きを始めましょう。
始まりは彼が私のクラスに転入してきたところからです。彼が私の目の前に現れたその瞬間に私の運命は歪曲し、そして定まったと言えるでしょう。仮に彼のことをAと呼びましょう。本来ならば私のような人間が彼に対して呼び名をつけるなどあってよいことではないのですが、今回に限りこれからの話をスムーズに進めるために彼をAと呼びます。
Aは普通にオーソドックスな自己紹介を終えると、教師の指示で窓際の最後列、それでいて私の真後ろの座りました。私は人見知りな性格でして、初対面の人間とはあまり上手に話せないのです。ですから、この時には大した会話もしなかったように記憶しております。ただ、私のAに対する第一印象を語らせていただくのなら、まあ、普通な奴だなというだけのことでした。少し年齢に対して大人びた雰囲気を帯びているという程度でそのほかに特筆した何かがあるようには見えなかったのです。
しかし、この時の私の第一印象は的外れもいいところでした。私の眼は節穴であったと言わざるを得ません。彼ほどの人間を普通と表現するなど、自らの未熟を恥じるばかりです。
結論から語らせていただくと彼は決して普通などではありませんでした。いうなれば彼は完璧な人間だったのです。ええ、わかっております。完璧な人間などと、抽象的なことを言われても牧師様からしてみればまったくもって意味が分からないでしょう。完璧とはなにが完璧なのかと、そうお聞きしたいのでしょうう。しかし、私としましてもAをそれ以上に正確に表現する言葉を知らないのです。完璧な人間、私程度の卑近な人間にはそのような安易な言葉でしか彼を言い表すことができないのです。ですから、私はAのことを具体的な彼の行動をもってして説明いたしましょう。私のような人間から発せられる言葉では彼という完成された人格の十分の一、いや、百分の一すらも伝わることはないでしょうが。
しかし、彼のことを語らないことには物語を進めることができないのです。
では、手始めに彼と私の関係について。先ほども申しました通り、彼の席は教室の隅に位置する座席であり、私の後ろでした。そのこともあり、彼はよく私に話しかけてきました。ええ、私が人見知りといえども同級生に話しかけられれば問題なく会話は致しますとも。彼の話し方は彼の雰囲気と同様に落ち着いていながらもそのなかに知的さと自らに対する確固とした自信を感じさせる話し方でした。そのような話し方はしばしば人に見下されているという劣等感を感じさせますが、彼の話し方にはそのような嫌味な感じが一切なく、むしろ聞いていて心地よさすら感じさせるものでした。私がAのことを気に入るのにあまり時間はいりませんでした。数日もたてば、私とAの関係は友人と言って差し支えないものとなったのです。
さて、それでは彼の完璧さの一端について説明いたしましょう。彼は学力優秀、頭脳明晰、品行方正、文武両道、明鏡止水……、挙げていけばきりがありませんが、それでも彼を言い表すのに十分とは言えません。ですので、学生にとっての本分である「勉強」にまつわる彼のエピソードをお話いたしましょう。
私の学力も、自慢ではありませんが平均よりも高いほうだと自負しております。学力テストの順位でいえば常に一桁のなかには入っておりますので。いえ、牧師様、勘違いなさらないでください。私は、私の学力を牧師様に自慢したいのではないのです。そもそも、Aの学力に比べれば、平均より高い低いなど問題にもなりません。なぜならば、彼はテストというものにおいて誤答をしたことがないのです。ええ、彼は間違えたことがないのです。ケアレスミスの一度もありません。彼が転入してきてから一年間と少し、小テストなどを含めれば百回程のテストを行ってきたでしょう。しかし、そのすべてにおいて、彼の答案に百点以外の点数が書かれることはありませんでした。一度、彼の頭脳に挑戦しようとした教師がテストにおいて強烈な難問を出題したことがあるのですが、彼はその難問でさえ難なく正答して見せたのです。
私と彼はテストのたびに点数勝負をしたものですが、言うまでもなく私が勝利したことはございません。私は、実際に彼が学校において、授業以外で熱心に学習をしているところを見たことはないのですが、それほどまでの学力を得るために彼は血もにじむような努力をしていることと思います。あるとき、私は気になって彼に聞いてみたのです。
「なぜそれほどに勉強をするのか。」
彼がその時に何と答えたと思いますか?彼はこう答えたのです。
「全ての人間を幸せにするためだ。」
私のような人間は勉強など教師や親から言われるからやるものであり、そして、教師や親たちも勉強は「自分の人生のためになるから」などと言っておりますが、彼は違うのです。自分ではなく、人のために彼は勉強をしているというのです。私のような凡俗は考えもしなかった理由です。もし、彼以外の人間がそのような理由を述べたとしたら私は笑い飛ばしてしまうでしょう。そのようなことできるわけがないと。しかし、彼にはそれをできるだけの能力と覚悟があるのだと私は彼の言葉から察しました。結局私は彼の返答に気の利いたことなど何も言えず、ただ「そうか」とうなずくだけでした。
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