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このような話を聞かされても牧師様からしてみれば「全ての人を幸せにする」だなんてただの聞こえのいい理想論を述べているだけで、自分の利益のためだけに大言壮語を振りまくそこらの政治家たちと同じじゃないかと思われることでしょう。ええ、彼を見たことがなく、私のような語彙の乏しい俗人の情報からでしか彼を想像することのできない牧師様の立場に立てばそのような疑念はもっともでしょう。しかし、彼はそのような口だけが達者な舌先三寸の理想論者ではないのです。いつか彼はこのようなことを言っていました。
「理想とは決して現実になることのない頭のなかだけの桃源郷じゃない。砂粒のような小さな努力でもたくさん積み重ねていけばいつかは手の届く、理にかなった想いなんだ。」
全ての人を幸せにする、なんて夢のような理想でも、彼は実現可能な目標として見ていました。そして、彼はその実現のための努力を全く惜しみません。たとえその努力が理想に比べれば砂粒よりも小さなものだとしても。
それでは、彼が理想を実現するためにいかなる努力を重ねてきたのか。その一端をお話いたしましょう。
学校でのAの人望は非常に厚く、彼のもとにはたくさんの生徒が相談や悩みを持ちかけてくるのです。彼はそのすべてに適切なアドバイスや解決策を提示し、他の生徒たちを救ってきました。そして、数々の生徒たちの困りごとを解決しているうちに、学校では「Aに願い事を話すとなんでも叶えてくれる」などという噂が広まっていきました。生徒のうち何人くらいがその噂を信じているのかはわかりませんが、噂に伴って相談者は増えていき、その数は彼の席の前に列ができるほどになったのです。彼の前の席に座っている私は押しかけてくる生徒たちに圧迫されながらもその様子を眺めていました。見ている私からすれば大変そうだなと思っていたのですが、当のAはまんざらでもなさそうでした。
人数が増えてくると相談の内容もだんだんと自分勝手なものも出てきて、雑用や仕事をAに押し付けるものもいました。私はAにほどほどにしたほうがいいんじゃないかと忠告したのですが、Aは聞く耳ももたず、雑用も仕事も、そのすべてを完璧にこなしてしまったのです。
そして、ある日、とうとう無茶な「お願い」を持ちかけてくる人間が現れました。その生徒は隣のクラスの女子生徒で、彼女が持ち掛けてきたお願い事とは失くしたイヤリングを探してほしいというものでした。探しものならば今までにも何度か請け負っていたのですが、その「探し物」の条件がもう無茶苦茶だったのです。彼女いわく、そのイヤリングは母親のもので、数日前、勝手に持ち出して学校につけていったらいつの間にか落としてしまったらしいのです。しかも、どこで落としたのかもわからないので捜索範囲は家から学校の全域にわたるとのことです。母親にばれると怒られるから一緒に探してほしいと言ってきました。私は、そもそも学校にそういう装飾品をつけてくるのは校則違反なのだから自業自得だなと思っていたのですが、Aは当然のように二つ返事で請け負いました。
捜索には人手が多いほうが良いと考え、探し物には私も同行しました。しかし、イヤリングなんて小さいものを、場所も限定せずに見つけるなんて何人がかりで探しても、到底不可能だろうとも思っていました。しかも、失くしてから数日たっているのですからなおさらです。依頼してきた女子生徒でさえ、本当に見つかるとは思っておらず、駄目元でAに相談してきたようでした。しかし、Aだけは決して諦めておらず、私とAと女子生徒の三人は、放課後になると毎日、女子生徒の家と学校の間を何往復もしたり、学校内をくまなく探したり、グラウンドに這いつくばって目を凝らしてみたり、考えうる場所はすべて探して回りました。日が落ちて私と女子生徒がくたくたになって帰路についたあともAは探し続けていたようです。しかし、それでもイヤリングが見つかることはなく、そのうち女子生徒も諦めたようで、Aに依頼を取り下げに来たのです。
「もう見つからないだろうからもういいや。ありがとね。」
とのことでした。私はやっと重労働な探し物から解放されると思っていたのですが、Aは女子生徒が依頼を取り下げた後もイヤリングを探し続けました。Aは捜索範囲を広げたり、道の側溝を掘り返してみたりと、休みの日でも夜になるまで探し続けていたのです。私も度々その探し物を手伝っていたのですが、もう探し始めてから二か月が過ぎようとしていました。私はさすがにもう見つからないと思っていましたし、彼の根気強さに呆れてしまっていたので、彼にこう言いました。
「そろそろ諦めたらどうだ?女子生徒本人もあきらめてしまったのだからもういいじゃないか。」
すると彼は側溝の泥をスコップで掘り返しながら、こう答えました。
「冗談じゃない。本人が諦めてしまったのなら、なおさら他の誰かが幸せにしてやらなきゃいけないんだ。」
私は彼の説得は無理だと察し、その後、探し物を手伝うこともありませんでした。
しかし、彼はその数日後、本当にイヤリングを見つけてしまったのです。彼が女子生徒にそのイヤリングを私に行くと彼女は驚きながらも心底嬉しそうにしていました。何度も何度も頭を下げてお礼を言う女子生徒に対して、Aは得意げにするわけでもなく、
「当然のことをしただけだよ。」
と言うだけでした。
そのような他の追随を許さぬ高い志とそれを実現できるほどの能力と行動力を備えたAだからこそ、彼のことを快く思わない人間も確かにいました。私からしてみれば理解できないことですが、ありもしない彼の嫌味な部分を頭の中で創り出す大馬鹿者どもです。まあ、彼は容姿端麗で、女子から好意を寄せられることが多かったというのも、その愚か者たちの怒りを助長させていたのだろうと思います。彼は完璧ではありますが、完璧な人間だからこそ厭う人間もいるでしょう。出る杭は打たれるという言葉があります通り、Aは確かに出る杭ではあったでしょう。
しかし、Aは我々のような凡俗が打つには高すぎる杭でした。
ある日、私はAがそのような連中から人気のない場所に連れられ、暴力を受けている場面を目撃しました。ええ、暴力です。殴る蹴るなどの非常に単純で原始的なものでした。そのような理不尽な暴力に対してAがどうしていたか、牧師様は想像がつきますでしょうか。Aは何もしなかったのです。そう、一切何も。普通、顔などを殴られそうになれば反射的によけたり、防いだりするものですが、彼はそのようなことでさえ一切行わなかったのです。ただ連中に殴られるままにしていました。
勘違いしてほしくないのですが、Aは連中の力にがたがたと怯えて、亀のようにうずくまって何もできなかったのではないのです。そもそもAは格闘技にも精通しており、集団になって気が大きくなっただけの不良ともいえないようなただの凡俗どもなど何人束になろうと相手にさえならないでしょう。ですから、Aはやろうと思えばやり返すどころか倒し返すこともできたでしょう。しかし、彼は何もしませんでした。できなかったではなく、しなかったのです。彼は棒立ちで自分の身を守ろうともせずただ立って、連中の暴力をその身に受けていたのです。
その間、私がどうしていたのかですか?私もまた、彼と同じように、いえ、私が彼と同じなどというのは恥知らずな物言いではありますが、結果的には彼と同じようにただ何もせず、その光景を隠れて見ているしかなかったのです。ただ立って見ていました。しかし、それは決して、私が助けに入り、連中に暴力を振るわれることに怯えてのことではありません。私が怯えていたのは連中ではなくAでした。私はなすがままのサンドバックにされてもなお一切やり返しも、自らの身を守ろうともしないAのその様に怯えていたのです。ガタガタと震えていたのです。連中もそのAの様子を不気味に思ったのかもしれません。一通り殴った後にぶつくさと文句をたれながら、その場を去っていきました。
私は連中が立ち去るとすぐにAに駆け寄り、なぜやり返さないのかと詰め寄りました。なぜ防御しようとすらしないのかと。今思えば、まず第一声は「大丈夫か」と聞くべきでした。そして、ついで、「助けに入れずすまない」と謝罪をするべきだったでしょう。ええ、わかっております。しかし、言い訳のように思うかもしれませんが、その時の私はひどく慌てていました。正気ではなかったとさえ思います。一刻も早くAの行動の理由を知り、納得したかったのです。そうでなければ私はそのまま狂ってしまうとさえ思いました。Aは彼からしてみれば非道とさえ思える私を一切責めるようなこともなくこう答えました。
「僕が避けたりしたら彼らが怪我をしてしまうかもしれないじゃないか。」
私はぞっとしました。恐怖さえ覚えました。Aは理不尽に暴力を振るってくるあの連中の身体を慮り、さらには連中が怪我をする可能性の一切を排除するために自らの身を傷つけられることを善しとしたのです。そのような人間が彼のほかにいるでしょうか。敵対する他者を慮ることのできる人間ならばたくさんいるでしょうが、しかし、人間とは最終的には自分の身が可愛いものです。自分に味方する他者ならばまだしも、敵対する他者のために自らを危険にさらし、痛みと傷を負うことのできる人間はこの世界に一握りもいないでしょう。
もしかしたらAの行為を偽善だと罵る人間もいるかもしれません。暴力を振るうような連中は懲らしめ、諫めるべきだと。しかし、私はそうは思いません。私には彼こそが真の善であり、むしろ彼以外の人間はすべて偽善者だとさえ感じます。私は先ほどAに対して恐怖したと言いましたが、今になってはそれを畏敬と言い換えることもできるでしょう。私は彼を畏れて、そして憧れたのです。過ぎた願いではありますが、私も彼のような「本物」になりたいとそう思ったのです。
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