懺悔

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 さて、牧師様、ここからが本題なのでございます。今まで私の長々とした話にお付き合いいただき誠にありがとうございます。さぞ退屈だったことでしょう。しかし、ここから先の話こそが物語の核心であり、本日、私が牧師様のところに迷惑にも押しかけてまでお話ししたかった懺悔なのでございます。そう、これは懺悔なのです。これまでの話は私が罪を犯すにあたった経緯をわかりやすくするために説明した与太話に過ぎないのです。私の懺悔はここからなのです。  しかし、ご安心ください。私の話はすでに佳境へと差し掛かってきています。いうなればクライマックスとでも言いましょうか。ああ、いえ、クライマックスなどと表現してしまってはいささか誇張のしすぎでしょうか。私のこれからの話は決して華々しいものではなく、盛り上がりを見せるようなものでもないのですから。クライマックスと呼ぶに値しません。ただただ私の話が終幕するだけなのです。大団円を飾ることなく、気持ちのいいオチを迎えることもなく、終わるだけでございます。でも、それは仕方のないことなのでしょう。  なぜなら、私はどこにでもいるような、ただのつまらない人間でしかないのですから  卒業式の前日、私はAの家を訪ねました。ちなみに私がAの家を訪ねるのはこれが初めてでしたが、住所については以前Aから話には聞いていたので特段迷うこともなくたどり着くことができました。Aは学校の人気者でしたから卒業式の日には私との時間はあまりとれないだろうと考え、この卒業式の前日がAと二人で話せる最後の機会になると思ったのです。Aは卒業後にはすぐに世界に旅立って行ってしまうのですから。  私がインターホンを鳴らすと出迎えてくれたのはAでした。Aにはその日会いに行くことは言っていませんでしたので、Aは突然の私の来訪に驚いていたようでした。私が「話したいことがあって来たんだ」と伝えると、Aは嫌な顔一つせず、快く家に上げてくれました。家にA以外の人の気配はなく、両親は出かけているようでした。まあ、卒業式の前日だから私たちは休みなのであって、その日は普通に平日でしたから両親は仕事に出ていたのでしょう。  私はAの部屋に案内されました。Aの部屋は何の変哲もない普通の部屋でした。特に何があるという程の特別なものがあるわけではなく、特に何かがないというほど無機質な部屋でもありませんでした。机があり、椅子があり、本棚があり、ベッドがある。散らかっているわけではないけれど、隅の隅まできれいにしているわけではない。標準の学生の普通の部屋でした。しかし、その普通さが逆にAの異常さを際立たせているようにも思えます。  私は、部屋とは持ち主の人格を投影するものだと思っております。好きなものや好きな色などの好みや、潔癖なのかだらしないのかなどの性格も反映して部屋とは形作られるものであるはずです。部屋とはその人だけのプライベートなものであり、その人の心を映し出すものなのです。しかし、Aの部屋には個性というものが全くもってなかったのです。Aの特異な人格に似つかわしくない普通な部屋。まるで全国の学生の平均をとって作ったような部屋でした。Aは本当にこの部屋で生活しているのかと疑いを持つほどに普通の部屋だったのです。  ああ、少し話が脱線してしまいましたね。申し訳ありません。いえ、Aの部屋の話は本筋には直接関係のない話なのです。ただ、私がAの部屋を見たときに抱いた所感でございます。まあ、しかし、Aの異常さを説明するという点で考えてみれば遠回りでこそあれ、無駄話ではありません。  ええ、それでは話を本筋に戻しましょう。どこまで話しましたでしょうか?ああ、そうですね。私はAの部屋に入り、私とAは卓机を挟んで向かいあう形で座りました。しかし、とりあえず向かい合って座ってみたはいいものの、私たちは何を話すということもなく無言になってしまったのです。私が「話したいことがある」と言って来ているのだからAとしましては私が話し出すのを待つことしかできないわけですが、私のほうも抑えきれない気持ちに任せて衝動的に押しかけてきてしまったものですから、考えをまとめてきてはいなかったのです。  しばらく私たちは無言のまま互いの顔を見合っていました。Aは私を急かすようなこともせず、ただじっと私が話し出すのを待っていてくれたのです。Aのその気遣いは大変うれしかったのですが、しかし、どれほど時間をかけても考えをまとめることができなかったので、結局、私は出てくる考えをそのまま言葉として口から押し出すことしかできませんでした。気持ちをそのまま口にしたものですから細かいところは覚えておりませんが、私は大体このようなことをAに言ったと思います。 「なあ、A。旅に出るのを考え直してはくれないか。別に卒業後すぐに世界を見て回る必要はないじゃないか。僕たちはまだ子供なんだから、もうちょっと大人になってからでもまったく遅くないじゃないか。子ども一人で海外を旅するなんて両親も心配するだろうし、僕だって君のことが心配だ。それに、僕は君が行ってしまったら悲しい。とても悲しいよ。きっと毎日泣いてしまう。行くのをやめろとは言わない。しかし、先延ばしにしてはくれないか。もう少しだけでもいいから僕と一緒にいてはくれないか。なあ、A。どうか、どうか僕を置いていかないでくれ。」  私がAに言ったことはこのようなことだったと記憶しております。実際には同じようなことを繰り返したり、関係のないことに脱線したりしてもっと長々しく喋り倒していたのですが。要約すると、このようなことを言ったのです。これが私の偽らざる本心だったのです。まあ、Aのことが心配だというのは建前ではございますが。Aは心配に及ぶような人間ではありませんから。しかし、それ以外はすべて私の本心なのでございます。話している私の声は涙声だったように思います。もしかしたらすでに泣き出していたかもしれません。しかし、Aは長いうえにあまり要点を得ない私の話を遮ることもなく、ただ黙って聞いていました。何も言わずただ聞いていました。そして、私の話を聞き終えるとAは今にも泣きだしそうな私にただ短くこう言ったのです。 「え?なんで?」    私は呆気にとられてしまい、何も言えませんでした。今にもこぼれそうだった涙も驚きのあまり奥に引っ込んでしまいました。確かに私の話は要点を得ないものではありましたが、それでも私は途切れ途切れでも、少しずつでも、懇切丁寧に説明したはずなのです。私にとってAを失ってしまうことがどれほどの絶望であるかを。どれほど深い悲しみの渦の底に沈めることになるのかを。言葉足らずではありますが、Aに説明したのです。説得したのです。しかし、それはまったく伝わっていませんでした、いえ、この言い方は正しくありませんね。Aには伝わっておりました。Aがいなくなってしまうことによって私が悲しむことも絶望することも、完璧に伝わっていたのです。  つまり、Aにとっての疑問とは「自分がいなくなることによってどうして私が悲しむのか」ではなく、「私が悲しむ程度のことがどうして自分の行動を取りやめる理由になりうるのか」ということだったのです。  私は勘違いをしておりました。私はAに比べれば凡俗な人間ではありますが、それでもAにとってかけがえのない友人なのだと、Aは私を親友として認めてくれていると、そのようなまるで見当はずれな勘違いをしていたのです。しかし、実際は彼にとって、私など些末なただの一人の人間でしかありませんでした。いえ、私だけではありません。彼にとっては親も友人も教師も、全ての個人はその程度の存在でしかありません。なぜなら、彼は「全ての人間を幸せにする」ために生きているのですから。彼にとっては隣に座る友人も世界のどこかにいる、名前も知らない誰かも、等しく幸せにするべき人間であり、そこに差などはないのです。人間に一切の差をつけない、それこそが彼の完璧さの根源なのだと、いまさらになって理解しました。頭がくらくらしました。視界がぐにゃりと歪みました。私のなかの重要な何かが壊れるような音が聞こえました。私はおよそ一年と少し前、Aが現れてからずっと彼のことを考えてきました。自らの限界と彼の特異性を思い知った後も、私は少しでもAに近づきたいと切に願っておりました。そして、彼が私の前に現れてからの一年間に限れば、私は誰よりも彼と語らい、行動を共にしていたと自負しておりました。確かに彼の人望は善人悪人問わず、全ての人を引き付けるほどにまばゆいものですから、彼の友人は学校内外を問わず、数え切れぬほどにいたでしょう。私こそが彼の一番の親友だと言い張れるほどに私はうぬぼれてはおりません。しかし、唯一無二の親友とまでは申しませんが、それでも彼が友人の名前を列挙していくときに、三番目までには私の名前が出てくるくらいには彼と親睦を深めていたつもりなのです。少なくとも彼は私を大事な友人として思ってくれていると、その時までは考えていたのです。  しかし、違いました。彼は私のことなど見てはいませんでした。私を友人だと思ったこともないのではないでしょうか。彼の前では親友も友人も他人も等しく無価値なのでございます。ああ、無価値というのは言いすぎているかもしれんせんね。しかし、どうでしょうか、牧師様。全ての人間が等しく「幸せにするべき人間」であるならば、そこに一切の格差がないのならば、それは全ての人間に価値がないのと同じではありませんか?好きも嫌いも、価値も無価値も、それらは比較によって決められるものなのですから。全てが等価値だというのならば、そこには価値がないのと同義でございます。全ての人間が大事だというのなら、全ての人間がゴミだと言っているのと何ら変わりはありません。彼は私を、いいえ、私たち人間をそういう目で見ていたのです。この一年間、私と彼は多くのことを語らいました。まあ、主に話していたのは私の方ですが。  しかし、思い返してみれば、彼が私の名前を呼んだことはただの一度もなかったのです。  私はこれからの長い人生、日本の平均寿命から考えて六十年と少し、彼のことを忘れることはないでしょう。彼以上の人間に巡り合うことなどありえないと断言できますし、、そもそも彼以上の人間などこの世界に存在しないでしょう。  しかし、彼の方はどうでしょうか。彼は卒業してしまえば、私のことなどかけらも残さず忘れてしまうのではないでしょうか。彼の頭の中からは私という友人がいたことすら忘れ去られてしまうのではないでしょうか。私にはそのことがどうしても許せませんでした。その感情が怒りなのか、悲しみなのか、それともただの執着なのかは今になってもわかりませんが、許せない、許容できないと感じたのです。私が彼のような崇高な人間になることが不可能だとしても、彼の完璧さに一歩たりとも近づくことができないとしても。それでも彼の中にほんの少しでもいいから、私という存在の片鱗だけでも残っていてほしかったのです。  どんな手段を用いてでも彼のなかから私という存在が消し去られることだけは避けなければならないと、そう強く感じました。  Aは「お茶を取ってくる」と言って、席を立ちました。私はAが部屋から出ていくのを確認してから、机の上にあったペン立てから万年筆を一本抜きとりました。高価そうな万年筆で、とても鋭利で丈夫そうでした。人の体ならば問題なく突き刺せそうなほどに鋭く尖っていました。どんなことをしてでも私という存在をAの中に残さなければなりません。例えば、そう、誰かを殺すことになったとしても。  その機会は今しかないのです。今この瞬間を逃せば、彼はずっと遠く、手の届かないどこかへ行ってしまうのですから。私はその凶器を両手でしっかりと構えて、彼が戻ってくるのを待ちました。肺が痛くなるほどに呼吸が荒くなり、心臓の音がバクバクと鼓膜を震わせ、うるさいほどでした。冷や汗が頬を伝い、一滴、二滴と床に滴り落ちました。どれだけの時間、私はそうしていたでしょうか。たったの数分だった気もするし、一時間以上も待っていたようにも思えます。そうして未明時間未明分後、彼は扉を開けて部屋に入ってきました。それを合図に、私は手に持った万年筆を勢いよく振り上げると、  それを自らの心臓に突き刺したのです。
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