12人が本棚に入れています
本棚に追加
それからどうしたのか、ですか?いえいえ、牧師様、「それから」などありませんよ。この話はこれでお終い。続きなどございません。私の人生の幕はエンドロールもアンコールもなく、ここに閉ざされたのです。ですからもう牧師様にお話しすることもございません。私の懺悔はこれで全てです。起承転結を結び終えたのです。ここまで私の話におつきあいいただき本当にありがとうございました。平凡な男のありふれた懺悔で、牧師様にしましてはさぞ退屈されたことでしょう。眠たい話だったでしょう。欠伸を噛み殺していたのでしょう。しかし、それももう終わりでございます。重ねて礼を申し上げますが、最後までお付き合いいただき本当にありがとうございます。牧師様のおかげで私の心はすっきりと晴れました。最後に誰かに話せて本当に良かったです。それでは失礼いたします。え?なぜ自殺なんかしたのか、ですか?それに関しては先ほど散々理由を説明したではないですか。私という存在をAの記憶から消さないためでございます。意味が分からない、ですか?それならば考えてみてください、牧師様。自分の部屋で、自分の目の前で、さっきまで普通に会話をしていた友人がいきなり、何の前触れもなく自らの命を絶ったとしたら、その光景は脳裏に、目玉に焼き付くと思いませんか?一生忘れることのできない記憶になるとは思いませんか?さらに言うのなら、その友人の死は自分が招いたのではないかという罪悪感が湧き上がってくるとは思いませんか?その罪悪感こそが私という存在が残した爪痕でございます。その爪痕が私という存在の片鱗そのものなのです。先ほど牧師様は私の行為を自殺と表現しましたが、私の行為は死ぬための自殺ではなく、生きるための自殺であったのです。確かに私は自らの命を絶ちましたが、それによって、私という存在はAの中に刻まれたのですから。
後悔しているか、ですか?牧師様、失礼ではありますが、その質問は愚問という言うほかありません。確かに、私にはAのほかにも大切な人はたくさんいました。家族や友人たち、彼らに二度と会えなくなってしまったというのは非常に残念なことではあります。しかし、私は後悔など全くもってしておりません。Aに忘れられたまま残りの人生を過ごすよりも、私の死によって彼の中に爪痕を残すことのほうが何倍も私の人生を価値あるものとするでしょうから。
むしろ、私はこれからのAの人生が楽しみでなりません。これからAが誰と一緒にいて、何をしていようとも私の存在が脳裏をちらつくことを考えると、私という存在が鎖のようにAの心に巻き付き、Aの人生を縛ることを考えると、私は言いようもなく恍惚とした気持ちになり、その快感で身を震わせるのです。そのことを考えると私は、楽しくてうれしくて悦ばしくて気持ちよくて幸せで面白くて小気味よくて心地よくて可笑しくて愉快で昂ってご機嫌でいい気味で楽しくて愉しくてたのしくてタノシクテ、
たまらないのです。
さて、牧師様、私の話はこれですべてでございます。もうお話しできることはなにもありません。ああ、できることならこれからのAの人生を見ていたかったのですが、私はそろそろ行かなくてはなりません。時間が来てしまったのです。最後まで私の話を聞いてくださった牧師様には何度お礼を言っても言い足りません。牧師様のおかげで私は後顧の憂いなく、安心してあちらに向かうことができるのですから。本当にありがとうございました。
ああ、それにしても今後のAの人生を思うと楽しくて愉しくて、そわそわしてしまいます。彼はこれからどのような人生を送るのでしょうか。私の死というその罪を心に巻き付けたまま何を想いながら人生を歩くのでしょうか。もしかしたら彼はその罪を背負うことに耐えきれず、牧師様のところを訪れるのかもしれませんね。懺悔という形で私の死を語るのかもしれません。ああ、牧師様、最後に一つ頼みたいことがあるのです。もしそのようなことがあればぜひとも私に教えてくださいませ。私はこの教会から北西に二キロほどの墓に埋められているはずですから。その報せは私にとって何よりの朗報となるでしょう。なぜならそれは彼が私のことを毎夜考えながら生きているという証拠なのですから。それでは牧師様、今度こそ、
さようなら。
最初のコメントを投稿しよう!