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終わりたくない
寒気が止まらない。
布団に潜り、じっとしていてもそれは全く治まらないどころかどんどん悪化する一方だ。
「うぇ……っ」
加えて時折僕を襲うのは、酷い吐き気だ。近くに置いてあるビニール袋に手を伸ばすと、その中に向かって思い切りえずく。さっきからこの繰り返しで深夜だというのに眠れない。
母さんには何度も病院へ行くように言われたが、僕は頑なに断った。
だって、体調が悪い訳じゃないのだから。
我に返ったのは森園大地の死体を見た時だった。
床に広がる大量の血、あらぬ方向に曲がった手足。あまりにおぞましく凄惨な光景に、僕は驚愕した。これを自分がやったのだと思うと急に怖くなり、僕はその場から逃げ出そうとした。
だが、そこで気付く。奴のスマホだ。アレには今日僕と森園の間に起こった事の一部始終が録画されている。あんな物を見られてはおしまいだ。
僕は恐る恐る奴の死体に近づくと、その傍に落ちていたスマホを拾い上げた。画面がバキバキに割れており起動するかすら分からないが、取り敢えずポケットに突っ込む。もしかしたら他にも何かあるかもしれない。僕は奴の背負っていたリュックにも手を伸ばす。
その時、奴と目が合った。階段から突き落としたあの時、僕を振り返った目。驚愕の表情で大きく見開かれたあの目。奴はあの時と同じ表情でこっちを見ていた。
それが異様に恐ろしくて。
「み、見るな……っ」
僕は思わず奴の死体を蹴ってしまった。仰向けだった死体はそのまま半回転し、うつ伏せになった。
「あ、ああ……」
やってしまった。上履きの裏を見ると、少しだけ血が付着している。
どうしよう、どうしよう。僕は完全に混乱していた。頭が真っ白になり、身体は硬直していた。
そんな時、二階から女子の笑い声が聞こえたのだ。
徐々に大きくなるその声と足音。こっちへ来るのではと思った僕はその場から一目散に逃げ出した。
裏庭に出ると複数の生徒がいた。良かった。誰もこっちを見ていない。僕は出来るだけ早足でそこを突っ切る。どこかから甲高い悲鳴が聞こえた気がしたが、動じる事はなかった。
下駄箱まで来るとさっさと靴を履き替える。と同時に、上履きをカバンに突っ込んだ。これが正しい判断だったかは分からない。咄嗟の事だった。
それからは、無我夢中で走って帰った。
あれから、あの死体がどうなったのかは分からない。
ニュースでもう既に報じているのかもしれない。でも見るのが怖い。知るのが怖い。クラスの奴らなんかはSNSなんかで大騒ぎしているかもしれない。でも僕には友達と呼べる人間はいないから連絡は来ないし、第一僕の連絡先を知る人間はきっといない。なら、学校から親へ何か連絡が入っているかもしれない。でも、母さんは数時間前に夜勤で家を出たし、父さんなんて病院に缶詰め状態でそれどころじゃない。
「フーッ、フーッ」
寒気に耐えつつ、ポケットからある物を取り出す。奴のスマホだ。バキバキに割れたそれは所々が血に汚れており、見るだけであの死体が生々しく脳裏に甦る。その度に吐き気を催しスマホを仕舞っていたのだが、いつまでもそうしている訳にはいかない。早くあの映像を消さないと。誰にも見られない内に、早く。
恐る恐るスマホの電源ボタンを押してみる。しかし、奴のスマホはうんともすんとも反応しない。
壊れてしまったのか。なら、安心してもいいのか?こういう時、警察はどうやって調べるんだったっけ?
どうしたものかと僕はもう一度、電源ボタンを押してみる。駄目だ、反応はない。ならば長押しする必要があるのかと、今度は長押しで試してみる。しかし、やはり反応はない。
これは安心していいのだろうか。疑心暗鬼になりつつ、スマホをくまなく調べてみる。
「……あ」
そこで思い出した。SDカードの存在に。
早速、SDカードの有無を調べてみると、見事にビンゴだった。入っていたカードを取り出し、パソコンに繋ぐ。最近パソコンを使っていなかったのもあり起動に時間が掛かったものの、無事にSDカードの中の情報が表示された。
「やった!」
それからはあっという間だった。あの動画を見つけ出し、速やかに削除する。動画がコピーされている可能性も考えてデータを探してみたが、それらしきものは出て来なかった。
これで完璧だ。僕はパソコンからSDカードを抜くと、ハンカチで指紋を拭き取った。サスペンスドラマでよく見るシーンのように、入念に。勿論、スマホもしっかりと拭き取る。そして、元のスマホにSDカードを差し込み直した。
次に学校へ行った時に、このスマホは森園のロッカーにでも放り込んでおこう。これで動画の件は解決だ。
「はぁー……」
一気に肩の力が抜ける。まだまだ安心出来ないのは分かってはいるが、一番の不安要素を取り除いただけで大きな前進だ。
そういえば、さっきまであんなに僕を苦しめていた寒気や吐き気がいつの間にか消えている。
それどころか、身体の奥から活力が漲るのだ。
そうだ。それでいいんだ。
だってこれは全部、森園自身が撒いた種じゃないか。正に自業自得。悪いのは森園であって僕じゃない。僕は悪くない。
僕の人生はこんな事では終わらない。
ふと見上げると、そこに森園大地が立っていた。
悔しそうに顔を歪め、無念そうに瞳を震わせてこちらを睨んでいる。
「何だよ、負け犬が」
ニィッと笑うと、森園は恨めしそうに俯いた。
ざまあみやがれ。
僕は立ち上がると、ほったらかしだったカバンから上履きを出した。
「確か、血って洗っただけじゃ駄目なんだよね」
なら、買い替えよう。どうせ明日は学校を休むんだし。ちょうどいい。
そう決めると、勢いよくベッドにダイブした。明日は買い物へ行くのだ。そろそろ寝ないと。
布団に入って僅か数秒。僕は深い眠りについた。
一日の休みの間にやった事。まずは上履きの買い替え。これは家の近くに大型デパートがあったので、簡単に達成出来た。
その次にしなければならなかったのは、情報収集だ。こればかりは怖くて手をつけられなかったのだが、一日経つと気持ちも落ち着くものだ。スマホを開き、ニュースを検索してみる。すると、前日のニュースの中にそれは紛れていた。
だが、世間的にはあまり話題にはなっていなかったようだった。ネットで炎上した訳でもなければ、ニュース番組で大きく取り上げられた訳でもない。新聞は何ページも捲った先に小さく記事が載っているくらいの地味な扱いで、当事者である僕が拍子抜けした程だ。
だが、それもその筈。どの記事にも森園の死は事故として捜査されていると書かれているからだ。人気のない薄暗い階段で足を滑らせて転落した不運な事故。警察はそんなシナリオで事件の幕を下ろすらしい。
それを知った時、僕は自分の勝利を確信した。
しかし、それが大きな間違いだったのだ。
翌朝。教室に入った僕は、背中から脂汗を流して固まっていた。
何かを言われた訳ではない。というか、みんな何も言わないのだ。
僕が教室に入った途端、みんなしてこっちをじっと見てくるのだ。
ある生徒は嫌悪の目で。ある生徒は好奇の目で。またある生徒はこちらを見つつ、友達と一緒にヒソヒソと話をしている。
「な、に……」
予想だにしなかった展開に僕の頭はまた混乱する。落ち着け、と何度も自分に言い聞かせるものの、心は全く言う事を聞いてはくれない。というか、落ち着いたところでどうしたらいいのか分からない。
僕は完全に途方に暮れ、遂には教室から逃げようとした。
その時だった。後ろから左腕を掴まれたのは。
「……!?」
「ちょっと、来い」
振り返ると、そこにはあの三人が立っていた。僕の腕を掴んだ武川、その隣で気まずそうに目を泳がせる河室、その二人の一歩後ろで僕を睨みつける横田。イジメグループの揃い踏みだった。
「こ、来いって……?」
「いいから、来い!」
武川は僕の質問を無視すると、掴んでいた腕をグイッと引っ張った。
僕は奴らに引っ張られるままに、教室を出て行く羽目になってしまった。
奴らに連れて来られたのは、いつも森園を苛めるのに使っていたトイレだ。ついこないだあんな事があったばかりだから、もう極力来たくなかったのに。
「ねぇ、何なの?」
嫌な予感しかしない。このタイミングでわざわざこんな場所に僕を連れて来るなんて。
武川は僕の腕を放すと、河室や横田に目配せを送る。その意味深な行動に余計に不安が募る。
「ね、ねぇ何か言ってよ」
再度そう迫ると、武川は鬱陶しそうに顔をしかめながら口を開いた。
「昨日、休んでたよな。何で?」
「え……?」
質問に質問が返ってくるとは思っていなかった。しかもよりによって学校を休んだ理由を訊いてくるなんて。僕は警戒しながら答える。
「それは、体調が悪かったからだよ。学校にもそう伝えた筈だけど」
後ろめたい事なんてありませんよ、と言わんばかりにニヘッと笑ってみせる。上手く笑えているといいんだけど。
「体調が悪かったって、具体的にどこが悪かったんだよ」
「お腹が痛かったんだよ。多分、食あたりだろうけど」
我ながら、上手く嘘をつけたと思う。テンポも悪くなかった。なのに三人の僕を見る目は変わらない。
「ねぇ、何でわざわざそんな事訊いてくるの?」
いい加減、言いたい事があるならはっきり言って欲しい。こんな生殺しのような事をされるくらいなら、いっその事さっさと殺して欲しい。なんて、そんな事を考えていた矢先。
「知ってるよな?森園が死んだ事」
武川は遂に核心をついた。
「……知ってるよ。ニュースで見たから」
「何で死んだかも?」
「まぁ、大体は」
武川たち三人組が"森園を殺したのは僕だ"と疑っているのは最早確実だった。
ただ、僕にだって疑問はある。
「事故だったんだよね……?」
新聞やテレビ、ネットなどの媒体には森園の死は事故死と見られていると記載されていた。なのにどうして殺人だと断定しているのだろうか。
三人が僕にするように、僕も彼らを睨み返す。とにかく、さっきのようにパニックに陥ったりしてはいけない。あくまで強気に、あくまで知らないフリを貫かないと。
僕の質問に、奴らはまたしても意味深に目配せをし合う。その様子に焦りを感じずにはいられない。段々イライラしてきて僕の足は無意識に貧乏ゆすりを始める。
そんな中、これまで黙っていた横田が漸く口を開いた。
「あれは間違いだ」
横田はこちらが怯んでしまうくらい両目を吊り上げて僕を睨んでいた。
「昨日の朝……森園が死んだ次の日、俺達は見たんだよ。森園の親父が、警察と揉めてるのを」
僕の首筋を汗が伝う。平静を保たないと駄目なのに。その焦りがまた、平静を保つ力を奪う。
「奴の親父はこう言うんだよ。"息子の持ち物からスマホが消えてる"って。何度も何度も、しかも校門の前でだぜ?まるで俺たち生徒にアピールするみたいに、大声で叫んでたよ」
目の前が真っ暗になっていく。頭が真っ白になっていく。
そんな僕を他所に、今度は河室がペラペラと喋り始める。
「警察も最初は中学生だから学校にスマホを持ち込んだりしないだろうと思ったんだろうな。だから奴のカバンからスマホが出なくても不自然だとは思わなかった。でも、森園は学校にスマホを持って来る奴なんだよ。それは俺たちもよく知ってる」
どうしよう、どうしよう。
僕はもう完全にパニックに陥っていた。まさかこんなに呆気なくバレてしまうなんて。
「スマホの事はクラスでも話題になった。森園は殺されたんだってな。で、元いじめられっこでしかも学校を休んでたお前がやったんじゃないかって噂になってるんだよ」
河室は淡々とそう語った。視線はわざと僕から逸らし、顔を俯かせている。
その様子は殺人犯なんかと目を合わせたくないと言わんばかりだ。
━━━━まるで悪夢だ。
僕が殺した事はとっくにバレていたのに。あんなに自信満々で、証拠を隠滅出来たと思い込んで、勝っただなんて得意気になって。
昨日の自分が馬鹿みたいだ。
僕の目から涙が溢れる。あーあ。怪しまれるから強気でいたかったのに。これじゃ、認めたも同然だ。
僕の心は絶望感に折れ曲がりそうだった。
だが、そんな僕の耳に飛び込んで来たのは意外な言葉だった。
「泣くなよ。俺らはそんな噂、信じてないから」
あまりの衝撃に僕は口をポカンと開け、間抜けな顔で固まった。僕に優しい眼差しを向けるのは武川と河室の二人だった。
「ガマちゃんが森園の事を恨んでたのは確かだ。でも、だからって人殺しが出来る奴じゃないだろ」
「そうそう。森園なんかの為にガマちゃんの人生壊されるのかと思ったら放っとけねーよ」
最初は何を言われたのか分からなかった僕だが、段々脳が理解していく。つまり彼らは無条件に僕を信じるというのだ。にわかには信じ難い話だが、何か企んでいるのだろうか。第一、横田はどうなのだ。アイツは僕を良く思っていない。しかもそれを分かりやすく態度に出すのだ。アイツは僕を信じない。絶対に。
そう思い、横田の様子をチラリと確認する。
すると案の定。
「俺も、信じてるよ」
横田は口をそう動かす。しかし、言っている事と表情が面白いほど合っていない。武川と河室は奴の本心に気付いていないのか。それもも気付いている上で利用しているのか。若しくは三人とも実は僕の事を一ミリも信用していないか……。
「とにかく、森園のスマホだよな。スマホが消えなかったらこんな風に疑われたりしなかった訳だし」
「そうは言っても俺らに出来る事とかわかんねーな。探偵でもあるまいし」
「でも、ガマちゃんに疚しい事がなかったら、例え警察が来ても別に堂々としてりゃ大丈夫だと思うけど……」。
横田はともかく、武川や河室は本気で僕を心配しているように見える。今だって二人で意見を出し合って僕のこれからの身の振り方などを話し合ってくれている。だからといってコイツらを根っから信用する訳じゃないが、二人の言う事は真っ当ではある。
そう。僕があのスマホを持っている限り、この状況は変えられない。逆にアレを上手く手放す事が出来れば、立場をひっくり返す事だって出来る。
「……ありがとう。僕、みんなに信じて貰えるように頑張るよ」
心にもない台詞ではあるが、僕なりに精一杯の笑顔を浮かべる。
「あぁ、頑張れよ」
武川たちは相も変わらずニコニコ笑っていた。不器用で分かりやすい一人を除いて。
だけど僕は決めた。もう誰も信じないと。
きっと僕は甘いのだ。少し優しくされた。たったそれどけの事で無条件に他人を信じてしまった。だから森園なんかにころっと騙されたんだ。
コイツらは奴と同じ穴のムジナだ。分かりやすい横田は勿論、調子よくヘラヘラ笑っている武川と河室も僕の敵だ。敵なんだから、僕に利用されたって文句は言えない筈だ。
「じゃ、そろそろ教室に戻ろうぜ」
チャイムが鳴り、三人がトイレを出て行く。その後ろ姿を眺めていると、僕の脳裏にある情景が甦った。
"自分の道は自分で切り開くってもんだろ?"
それは、森園大地の言葉だった。
卑怯で、傲慢で、醜い手段で僕を陥れようとした森園。だが、唯一奴の行動と一貫していた言葉がそれだった。
どんなに汚い手を使ってもいい。自分の手でやり通すんだ。
「……そういう事だよね?森園大地」
僕は決意した。
必ず、この状況を打開すると。
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