踊らされて

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踊らされて

放課後。 掃除当番を終えた僕は教室に残り、自習した。別にやりたくて自習している訳じゃない。そんなのは家でも出来る事だし。だが、折角残るなら自習でもして暇潰しをするのが丁度いいじゃないか。 暫くするとクラスメイトが全員帰った。 ここからが本番だ。 僕は速やかに勉強道具を片付けると、カバンから例のスマホを取り出した。このスマホは森園のロッカーにでも入れておけば大丈夫。昨日まではそう考えていた。 だが、作戦は今日、変更された。 気付いたのだ。森園他殺説が警察にも広がった今、奴のロッカーの中は既に調べられていると考えるのが妥当だろう。だからロッカーにこれを入れるのは無意味だ。というか寧ろ、逆効果だ。 なら、僕のやるべき事は一つだけ。 犯人をでっち上げる事だ。 辺りに人がいないか再三確認すると、スマホを片手に教室後方のロッカーへと移動する。真ん中にあった森園のロッカーを無視し左側へと向かう。 狙いは横田のロッカーだ。 横田のロッカーは僕のものの真隣に存在する。だから探す必要なんてない。奴のロッカーの前に立つと、もう一度辺りを見回す。 誰もいないのを確認し終わると、いよいよスマホを入れる。横田のロッカーはかなり整理されている上、入っている物も少ない。今、あるのは数冊の教科書と専用の袋に入った体育館シューズのみ。となれば、隠せる場所は決まってくる。 僕は奴の体育館シューズを袋ごと取ると、それをそっと開けた。ここに入れておけば、明日には見つかるだろう。明日は体育の授業がある。ここ最近は専ら外のグラウンドで長距離走ばかりだが、明日は生憎の雨らしい。テレビやネット、どの天気予報も少なくとも朝から夕方までは降り続けると予測しているのだ。だとすれば、明日は体育館で授業を受ける事になる。 そうなると、僕の思う壺だ。 「ヒヒッ……」 微かに溢れる笑い声、それと共に僕の口角は弧を描いて吊り上がる。 やってもいない罪を擦り付けられる横田の顔を思い浮かべると、愉快で仕方がない。僕と同類の癖に偉そうな態度を取りやがって。どうせお前は僕より上だとでも思っているのだろう。クソが。思い上がりもいいところだ。その無駄なプライド、今すぐにへし折ってやるよ。 体育館シューズの袋の口を開ける。これで完全に僕の勝ちだ。そう確信した。 ……筈だった。 「何やってんの?」 突如飛び込んで来た人の声。驚いた僕はその拍子に体育館シューズもろとも持っていた落としてしまう。 ドサッと鈍い音が静かな空間に虚しく響く。それと同時に中に入れたスマホが飛び出す。 驚きと恐怖で動けないでいると、誰かの手がそれらを拾い上げる。 ゆっくりと顔を上げると、そこには今一番会いたくなかった人物がいた。 「俺のロッカー漁って何してんの?」 横田は僕の目の前に体育館シューズを持ち上げ、それをヒラヒラと見せつけた。勝ち誇ったような微笑みを顔に貼りつけて。 「あれ?このスマホ、見覚えあるなぁ。誰のだったっけなぁ?」 バキバキに割れたスマホの画面をまじまじ見ながら、横田は白々しくそんな質問をする。 「なぁ、このスマホ、誰のだっけ?」 「……っ!?」 横山はスマホの角を僕の頬に押し付け、グリグリと回し始めた。その楽しそうな声が僕の脳内に木霊する。 そして、事態は更なる最悪へと僕を誘う。 「森園の、だよな?」 聞きなれたその声に、僕の身体は震え上がる。 「お、二人とも来てくれたのか!」 嬉しそうに叫ぶ横田の視線の先。そこには武川と河室が神妙な面持ちで立っていた。 「そりゃ大事な話があるなんて言われたら来るしかないだろ」 ツカツカとこちらに歩み寄る足音に、僕の心臓はバクバクと跳ねる。 「あーあ、残念」 「信じてたんだけどなー」 口々に僕に対する失望を言葉に表す武川と河室。横田はそれを満足げな表情で見つめている。 「いやぁ、二人には申し訳ないけど俺にはどうしてもあのガマガエルが絡んでる気がしてさ。それで、見張ってたんだよ。そしたら案の定……」 横田がペラペラと自慢げに喋る。武川と河室がそれを真面目に聞いている。 マズイ、何とかしないと。そう思うのに、焦りが募るばかりで具体的な策が何も浮かばない。 その時、漸く、僕は気が付いた。 調子に乗って思い上がっていたのは、他でもない僕自身だったのだと。 もう何をどうすればいいのか分からない。 いっその事、認めてしまえばいいじゃないか。憎きいじめっこを断罪しただけだ、何が悪いと開き直ってしまえばいいじゃないか。いや、そもそも事故だったと説明すればいいじゃないか。殺すつもりなんてなかったと言えばきっと同情して貰えるじゃないか。 でもそんな事は出来ない。 僕は森園大地の被害者だ。それは何があっても永久に変わらない。なのに認めてしまうとその関係性は逆転してしまうのだ。 それだけは許せない。長い間苦しめられてきた僕がどうして加害者になるのだろうか。僕が復讐に出たのも、結果的にアイツを殺してしまったのも、全て森園大地の身から出た錆だ。僕は悪くない。 そう、僕は悪くない……! 「……違う」 僕の口は勝手に動いていた。 「違う違う違う!!」 僕は首を横に何度も振って、その場に崩れ落ちた。がむしゃらに叫んで涙を流して、誰かの足にすがり付いた。 もう自分でも訳が分からなくなっていた。僕は悪くない。ただ、その言葉が僕の脳みそを埋め尽くしている事だけは確かだった。 「ちょ、何だよ!」 「違うんだ、本当に違う!ねぇ信じて、信じて信じて信じて」 どうやら、僕がしがみついた足は河室のものだったらしい。が、そんな事はどうでもいい。 「いいから一回落ち着けよ!」 「信じてよ!何で信じてくれないの!?ねぇ河室くん!信じてよおおおおぉぉぉ!!!」 もう僕には冷静に判断する余裕など残されていなかった。森園にやったように、感情を剥き出しにし、泣きながらすがり付く以外に何も思い浮かばなかった。 それは既に失敗したやり方だというのに。 「うるせぇよ!いい加減にしろ!」 僕の腹に河室の膝蹴りが飛んで来た。サッカー部期待の星の蹴りはみぞおちにクリーンヒットし、僕の身体は軽く吹き飛び、そのまま床に強かに背中を打ちつけた。 「ゴホッゲホッ……」 僕は暫くその場から動けずにいた。痛みに耐え、みぞおちを押さえるだけで精一杯で、後はもう何も考えられなかった。 ふと見上げると、そこにはこちらを見つめる六つの目玉があった。目玉は一様にまるで蛆虫でも見るかのようにこちらを蔑んでいる。 ━━━━あぁ、どこかで見た光景だと思えば。 僕の脳裏に過るのは、二日前のトイレでのあの光景。 今みたいに泣き叫んで、暴力を振られて、痛みで動けなくて。そんな時に微かに見えたあの目。颯爽と立ち去ろうとする森園がチラリとこちらを振り返った時のあの目。 あの目と同じものが、六つも並んでいる。 「何だよ、コイツ……」 「気持ち悪……」 次々と発せられる僕への罵倒の言葉。 そういえば、森園も同じ台詞を吐いていたっけ。 "キモチワリ" あの日の森園の言葉が脳内に木霊する。こちらを蔑むあの目と共に、何度も何度も繰り返される。 「あぁ、そうか」 もう一度、三人の顔を見上げる。こちらへ向けられたその目付きは先程と全く変わらない。 「お前らも一緒か」 僕はゆっくりと立ち上がる。まだ少し重い身体にふらつきながらも、視線だけは外さない。 「結局みんな、アイツと同類なんだ」 ハハハ。何故か笑いが込み上げる。 「アイツがいなくなったって同じ事なんだ」 ハハハ、ハハハ。笑い声はどんどん大きくなる。止めたいのは山々だが、自分の感情ですらコントロールが効かないのだ。 三人の顔がみるみる内に雲っていく。何かヤバいものでも見てしまったかのようにその顔は引き吊り、遂には後退りを始める。 「なに笑ってんだよ……」 「コイツ頭おかしいんじゃね?」 ついこの前まで一緒に行動して、僕をチヤホヤしていた筈の人間が、今度は僕を汚物のように扱う。どんなに足掻いたところで、僕は結局ガマガエルなんだ。人間として扱われる事はないんだ。 「ハハハ、ハ……」 笑いは未だ止まらない。が、今度は涙まで出てきた。両目からポロポロと流れ落ちた雫が、床に染みを作っていく。さっきあんなに泣いて、もう涙も枯れ果てたと思っていたのだけど。おかしいな。涙も笑いも止まらない。 教室には僕の渇いた笑い声だけが響く。暫くの間、まるで武川たちなんて最初からいなかったかのような静寂が続いた。 「なぁ、もういいだろ」 それを打ち破ったのは、意外にも横田だった。 「いい加減泣き止めよ。じゃないと話が進まないだろうが」 横田は僕を強く睨みつけた。牽制しているつもりなのだろうが、言われて簡単に涙が止まってくれるなら、もっと早くそうしている。 僕の様子を見てそれに気付いたのだろうか。横田は呆れたように溜め息をつくと、早口にこう言った。 「取り敢えず警察に行くぞ」 横田は座り込んでいた僕の右腕を掴むと、ぐいっと引っ張った。突然無理やり立たされてキョトンとしていると、今度は後から誰かに押された。振り返るとそこには武川がいて、早く歩くようにと僕を促す。 「俺らも着いて行ってやるから」 笑顔で甘い台詞を吐きつつ、僕の背中を押す力はかなり強い。時折、転びそうになるくらいだ。 あぁそうか。僕、出頭させられるんだ。 漸く状況を飲み込んだ僕は、トボトボと自分の足で歩き始めた。もうこれ以上は言い訳の余地もないし、抵抗する力もない。コイツらに従うしかないんだ。 何でこんな事になったんだろう。ついこないだまでは毎日それなりに楽しく過ごせていたのに。中学に入ってから約二年、散々辛い思いばかりして、やっと日の目を見たと思ったらすぐに奈落の底へ突き落とされて。何で、何で僕ばかり……。 脳裏に勝ち誇ったように笑う森園の顔が浮かんだ。そうだ、コイツだ。コイツさえいなければこんな事にはならなかった。全てはコイツのせいで……。 『何だよ、もう終わりかよ?』 突如、耳の奥に響く森園の声。驚き、慌てて顔を上げると僕の前を歩いていた筈の三人が、何故か消えている。 「え……?」 唖然とする僕の耳に、またしてもあの声が聞こえる。 『自分の力でどうにかするんじゃなかったのか?えぇ?』 辺りを見回してみるが、森園の姿はどこにも見当たらない。なのに極めて至近距離から声が聞こえるのだ。 「何だよ……何なんだよ……!」 『結局お前は一人じゃ何にも出来ないんだな』 「黙れ……!」 『まぁ、ガマガエルだもんな』 「黙れ黙れ黙れ!!」 これ以上は聞きたくない。見たくない。僕は耳を塞ぎ、目を固く閉じてその場にしゃがみ込んだ。 だが、そんな事をしても無駄だった。奴の声は僕の身体中に響き渡った。 『じゃあ、今すぐどうにかしてみろよ』 「……っ!」 その瞬間、視界が開けた。教室前の廊下、三人の後ろ姿。さっきまでの光景と殆ど同じものが広がっている。辺りを見回しても変わったものはなく、森園の声ももう聞こえない。 "今すぐどうにかしてみろよ" 先程の森園の声が頭痛と共に脳裏に甦る。今のは何だったのだろうか。白昼夢か。それとも……。 「おい、何ボーッとしてんだよ。早く歩けよ」 横田がこちらを振り返る。その様子は至っていつも通りで、特に変わったところはない。 「う、うん」 慌てて返事をし、僕は前を向いた。 そこは、ちょうど階段の手前だった。 僕の脳裏に一瞬、森園の顔が浮かぶ。 体勢を大きく崩し、今まさに闇へ呑まれようとするあの時の表情が。 「ざまあ、みろ……」 甦るあの時の感情。勝利の喜び、安堵、達成感。自然と溢れる笑み…… 「……は」 ニヤついていた口元を慌てて両手で塞ぐ。背中や首筋からは大量の冷や汗が流れ落ち、全身を寒気が走る。 ━━━━なに考えてるんだ、僕は。 何度も深呼吸して気持ちを落ち着かせる。忘れろ、忘れろと自分に言い聞かせ、頭の中に流れる森園の映像を消し去ろうとする。 だが何度消しても、何度別の事を考えようとしても、無駄だった。階段の下で倒れる血塗れの森園の死体が頭を過ったかと思えば、映像は巻き戻され、また森園が階段を転げ落ちる瞬間から始まる。さっきからその繰り返しだ。 そして、こう考えるのだ。今なら、三人の口を封じる事が出来るのではないか。あの時のように。 違う、僕じゃない、こんなのは僕じゃない。 目を閉じて、頭の中で唱え続ける。大丈夫、これは幻だ。森園大地はとっくに死んだ。目の前に現れる筈がないんだ。 全ては悪い夢だ。大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫…… 「おい、大丈夫か?」 どこかから聞こえた声に目を開ける。すると目の前には誰かの手が差し出されていて、僕は思わずその手を取ろうとする。 「あ、ありがと……」 その声が僕を悪夢から救ってくれた気がして、つい溢れる笑顔。 徐々に心が落ち着きを取り戻していく。 あぁ良かった。やっと現実に帰って来れた。 そう安堵しながら、顔を上げた。 そこにいたのは、森園大地だった。 『なに笑ってんだよガマガエル』 その真っ暗な目を細め、ニタッと嗤う。 『気持ち悪いんだよ』 そして、ゆっくりとこちらへ手を伸ばし…… 「うわああああああっ!!!」 もう何が現実で何が夢なのか分からなかった。 パニックに陥った僕は差し出されていた手を払い退け、その身体を力任せに突き飛ばした。 「お、まえ……」 大きく体勢を崩し、堕ちる横田。その表情は、絶望を写し取っている。 「え……」 少し先へ進んでいた二人が、異変に気付いて振り向く。が、その時にはもう横田の身体は目前と迫っており、避けようもない状況で。 三人もろとも、ドミノ倒しのように階段を転げ落ちていった。 下の階でぐったりと倒れる三人。生きているのか死んでいるのかの判断はつかない。しかし徐々に広がっていく血の量を見るに、三人全員が助かる確率は低そうに思えた。 「僕じゃない……」 僕は小さく首を振った。 「僕じゃない僕じゃない僕じゃない僕じゃない」 全ては森園大地のせいだ。 この辺りは下級生の教室が並ぶ場所だから森園が落ちた階段と比べると人通りは多い。もうじき誰かやって来るに違いない。 僕はくるりと振り向くと、とにかく走った。走って走って、早く遠くへ行ってしまいたかった。 だがその時。 「……!?」 突如物陰から現れた人影。当然止まれる筈もなく、僕はその人影と衝突した。 うう、と唸る声。大丈夫?と心配そうに掛けられる声。 恐る恐る顔を上げると、そこには四人もの女子生徒がいた。 「あ、ああ……」 四人のうちの一人がこちらに目を向ける。 「貴方も、大丈夫?」 その手が、伸びてくる。 「見るな!!」 思わずその手を払い退けると、女子の身体を突き飛ばしてしまった。あぁ、なんて事をするんだ。早く謝らないと。僕の理性が遠くでそう叫んでいる気がするが、そんなものが届く筈もなく。 僕はデタラメに走った。無様に泣き叫びながら。
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