回想

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回想

「もう九月も半ばっていうのに、暑いなあ」  ホテルから出ると、むわりと生温かい空気が纏わり付いた。 「アキちゃん、俺タクシーで帰るけど、店まで乗せてこうか?」 「家逆方面じゃないっすか」  俺は店の常連の雄久(たかひさ)さんの冗談を笑った。  彼はこの手の店に来る人にしてはレベルが高くって、顔も悪く無ければ背も高くて、運送業をしているせいか体は引き締まってて綺麗だ。  どうしてうちの店に来てるのか聞いたら、「アキちゃんが居るから」なんて、俺が働き始める前から来ているくせによく言う。 「俺、いつも歩いて帰ってるでしょ」 「少しでもアキちゃんと一緒に居たかったんだけどねえ。残念、じゃまた今度」  そう言って手を上げると、雄久さんは丁度来たタクシーに乗って夜の街から去って行った。  車のテールライトが、何だか目に染みる。  赤色の光っていうのは、あの日から何だか苦手だ。  小さい頃の記憶で、よく覚えていないけれど、轟々たる音と赤い炎の揺らめきだけは目に焼き付いて離れない。  隣人の寝煙草が原因だった、と母さんだったか親戚だったかから聞いた。  俺と母さんは家財一切と、父さんと妹をその日失った。母さんも右手に軽い火傷を負った。  女手一つで育てるのは大変だったと思う。 親の反対を押し切り半ば駆け落ちのように結婚したので、誰の手も借りることができず、母さんは俺を育てるために夜の仕事を始めた。  中卒で学が無く、あるのは二十半ばの若い肉体と端正な顔だけだったから、そうなるのは仕方のないことだろう。  物心がつく頃には、母さんは一人で小さなスナックを切り盛りしていた。そして、そこの常連客を生活のためとは言え、家に連れ込んでは情事を繰り返していた。  俺は、初めてそれを、母さんがどこの馬の骨だか分からない男に組み敷かれて喘いでいるのを見た時、綺麗で自慢だった母さんが、世界で一番醜いもののように思え、喉をえもいわれぬ苦い味が上ってきて吐き気を覚えた。  朝には何も無かったかのように笑い掛ける母親。女と言う生き物が、怖くて仕方なかった。
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