愚か者

1/1
15人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

愚か者

 午前零時をまわった頃。駅前商店街から少し奥まったところにある、隠れ家的なバーの止まり木に二人ほど常連客が腰を下ろしている。 「はい、日付変わりました、今日も元気に午前様」 客の一人、杉下が少し物憂げな調子で呟く。 「今更何言ってんの。大体ここで飲んでて日付の変わる前に帰ったことなんてあったか?」  もう一人の常連、宮島が応ずる。 「多分、無いと思いますよ。お二人については」  笑顔を浮かべながらバーテンダーの鳥飼が続けた。 「午前様って言えばさ、俺つい最近、気になるものを見かけたんだよ」  意味ありげな調子で宮島が切り出した。 「気になるもの?何ですか?」 「うん、三日前のことだけどさ。俺、二時ごろM大橋の辺りを歩いてたんだよ」 「二時?夜中の?」 「当たり前だろ。昼間の二時なら仕事中だよ」 「三日おきに午前様か。いいねえ」 「いや、実は昨日もそうだったんだけどさ。それはどうでもいいんだが、とにかく酔っぱらってM大橋のところを歩いてたらさ、俺の目の前を銀色の車が猛スピードで走っていくのを見たんだよ」 「それで?」 「で、その時は特に何も思わなかったんだ。ところが次の日のニュースで知ったんだけど、丁度その頃あの辺りで轢き逃げ事件があったらしいのよ」 「ああ、ありましたね、轢き逃げ事件。確かにM大橋の近くでしたよね」 「そうそう、確か被害者は70くらいの爺さんで、そのまま死んじゃったんだよな。ひでえ話さ」 「で、どうも場所とか時間とか考え合わせるとさ。ひょっとしたら俺が見た車が、あの轢き逃げに関わってたんじゃねえかなあ……って気がしてさ。とにかく、えらいスピードで逃げるように走り去って行ったからなあ」 「ナンバープレートとか見ませんでした?」 「そん時はそこまで気が回らなかった。俺も酔っぱらってたし、そもそも轢き逃げがあったなんて知らなかったしさ。あの車やけにスピード出してんなあ、くらいにしか思わなかったんだよ」 「車種は?」 「Q社のXYみたいだった」 「銀色のXYったら、この日本にごまんとあるからなあ……」 「そうなんだよ。あの時ナンバー覚えてりゃ、ひょっとしたら轢き逃げ犯の逮捕に協力できたかもしれんなあ……」 「うーん、ちょっと難しそうですねえ」 「まあ、しょうがないよな」  意味ありげに切り出した宮島の話題も、今一つ竜頭蛇尾という感じに終わった。 「そう言えば、日付が変わるで思い出したけどさ。令和になった瞬間って、ここの店どんな感じだった?みんなで乾杯とかしたの?」  杉下が鳥飼に尋ねた。 「そうそう、俺も来られなかったからさ。どんな感じだったかなあと思って」 「どんなも何も、開店休業状態ですよ」 苦笑いしながら鳥飼が応える。 「開店休業?」 「ええ、もともとうちは、なんて言うか、比較的大人のお客様が多いですからね。ゴールデンウィークが始まると、家族サービスで、旅行やら帰省に出かけられる方が多いんです。お若い方も、あの時は仲間内でのカウントダウンに行っちゃったりしたみたいで、あの時は本当にお客様ゼロだったんですよ」 「なるほどねえ。そんなもんかもしれんなあ。因みに俺もその帰省組の一人だったけど」  杉下が半分ほど残ったグラスに向って呟く。 「いや、俺はそれを聞いて寧ろほっとした。 “3、2、1、ゼロオ、かんぱーい!”なんてバカ騒ぎは、この店ではやらないでほしいね。ああいうの、本当に嫌なんだよ。祝うにしても何というか、去り行く時代に思いを馳せながら静かに乾杯する、みたいなさ。そんな風にしてほしいよね。鳥飼ちゃんが言うように、ここは大人の店なんだからさ」  宮島が大きく頷く。 「有難うございます。少々静かすぎましたけどね」  鳥飼が苦笑いをする。 「でも本当に、平成の終わりにかけて、立て続けに色んな人が亡くなったよなあ」 「そうそう。俺たちにとっての青春の象徴みたいな人が沢山亡くなった。何だか平成が終わる前に駆け込むみたいに次々に亡くなったよね。まあ、みんな平成というか、結局は昭和の象徴だったんだけどさ」 「本当に立て続けでしたよね」 「色んな人が亡くなったけど、俺はねえ、新元号の発表を待たずにショーケンが亡くなったのが特にショックだったなあ」  杉下が腕組みをして一人で頷きながら呟くように言った。 「そうそう、俺もあれはショックだった」 「ええ、あれは本当に残念でした」 杉下の言葉に他の二人も呼応する。 「まだ70にもなってなかったんだよなあ」 「“傷だらけの天使”は日本のドラマ史上五本の指に入るね、俺にとっては」 「俺なら三本だな。高校生だったけどあれは大好きだった。あの頃は家庭用ビデオなんか無かったから、絶対にその時間帯にはテレビの前に座って動かなかった。コマーシャルの時にトイレに走ったりしてな」 「ショーケンって言えばさ。マッチの“愚か者“って歌あるじゃない?」  杉下が話題を振る。 「その年のレコード大賞とりましたよね」 「うん。だけど、あれってもともとショーケンの為に書かれた歌でしょ?俺もショーケンバージョンの方が好きなんだよなあ」 「ショーケンの方はタイトルも”愚か者よ“って”よ“が入ってるんですよね」 「歌詞がいいよね。“おいで金と銀の器を抱いて罪と罰の酒を飲もうよ”なんて、殆どもう文学だよな」 「そして、“ここは愚か者の酒場さ”なんてさ、いかにもこうやって飲んでると身につまされるんだよなあ」 「ここも愚か者の酒場かね?」 「どうなの、鳥飼ちゃん?」 「さあ、どうでしょう……」 「まあ、そうなんじゃない?こうやって日付が変わるまで飲んでる俺たちは、少なくとも賢いとは言えんだろうな」 「いえいえ、それを言うならバーテンが一番愚か者ですから」  鳥飼が自虐的にフォローする。 「どうやら、ここ”も”愚か者の酒場で確定だな」  杉下の言葉に一同乾いた笑いを漏らす。 「金と銀って言えばさ、“沈黙は金”とか言うけど、本当にそうなのかね」  六杯目の水割りを空けながら、宮島が言った。 「そりゃあ、そうなんじゃないの?昔から言われてるしなあ」  杉下が淡々と返す。 「何故そう思うんだ?」  宮島が食い下がる。 「何故って……」  杉下も返答に困っている。 「昔からっていうけど、昔っていつからだ?昔の誰が言った?」  また始まった。杉下が渋面を作りながら鳥飼にさりげなく目配せをする。  要するに、宮島は酒癖の良い方ではない。酒が進んでくると妙に絡み癖を発揮し、周囲を辟易させることも屡々なのだ。 「大体さあ、沈黙は金とか言ってるけど、正しくは、雄弁は銀、沈黙は金って言うんだよ。知ってたか?鳥飼ちゃんよ」 「いやあ、そこまでは知りませんでした。勉強になりました」  神妙な顔で鳥飼が応ずる。 「鳥ちゃんよ、どうせあんた、本なんか読まねえだろ?勉強できなかったんだろ?」  絡みの矛先が鳥飼に向かう。要は自分より立場の弱い者をいじり始めたのだ。 「宮島さん、あんた少し飲み過ぎだよ」  雲行きが怪しいと思った杉下が抑えにかかるが、既に宮島は聞く耳を持たない。 「いいじゃねえか。本当のことだろ。なあ、鳥ちゃんよ」 「いえいえ、仰るとおりですよ。実際、勉強は苦手でしたからね」  鳥飼はあくまでも冷静に受け流している。 「ほうら、俺の言ったとおりだろう。だから、こんな店でバーテンダーなんかやってんだろ?こんな愚か者の酒場でさ。え?鳥ちゃんよ」  宮島の暴走がいよいよ止まらなくなってくる。 「ちょっと宮島さん、いい加減にしなよ」  不快そうに窘める杉下に向かって、鳥飼は微笑みながら(大丈夫です)と呟く。 「だから日本人は駄目なんだ。すぐに”空気読め“だとか”そこは阿吽の呼吸で“とか言って、議論を避けようとする。こんなの国際社会じゃ、全く通用しない。俺みたいにロンドンとニューヨークで二回も駐在員やってみればわかるよ。お前らどうせ、日本を出たことねえだろ」 「それがどうしたんだよ!今時海外駐在員なんて珍しくもねえぞ」 「まあまあ杉下さん、ここは」 「鳥飼ちゃん、お勘定して」  もう付き合いきれないといった風情で杉下が止まり木から立ち上がった。 「けっ。議論に負けそうになると尻尾まいて逃げやがる」  相変わらず宮島は絡み続けている。 「どうも今日はすみませんでした」  勘定を済ませた杉下に鳥飼が丁重に頭を下げる。 「いや、鳥飼ちゃん、あんたが謝ることないよ。大変だよね、まったく……」  見下げ果てた奴、という視線を宮島に投げつけながら杉下は店を後にした。 「けっ、さっさと帰れ、馬鹿野郎。おい、愚か者の鳥飼よ、もう一杯作れ!」  二人きりになったバーの中では、相変わらず宮島が悪い酒を飲み続けている。 「はい。でも、宮島さん、これで最後にしましょう」 「うるせえ!最後にするかどうかは俺が決めるんだ!さっさと作れ、客は俺だぞ。普段から飲み物出すのが遅えと思ってたんだよ、この三流バーテンが」 「わかりました……」  新しいグラスを手にした鳥飼は冷静な手つきで水割りを作り始めた。  宮島は目を覚ました。  あれ?また飲み過ぎちまったみたいだな。鳥飼ちゃんのところで最後に水割りを飲んで、そのまま……  だが、目を覚ました宮島は自分の状況を把握するのに時間がかかった。自分の目の前に見えるのは見慣れたバーのカウンターではない。真っ暗な闇。いや、その中に白色の妙にぎらつく光が周囲を照らし出している。何だ?何がどうなってるんだ?自分の右半分に、変な圧迫感を感じる……自分は横たわっている?……どこに……?鼻先に感じる土の臭い……宮島は自分がなにやら異常な状況に放り出されていることに漸く気づいて、反射的に飛び起きようとした。が、両手両足がロープで硬く拘束されているのに気づいただけだった。 「おや、お目覚めのようですね。宮島さん。ご気分はいかがですか?」  暗闇の中に、鳥飼の声が静かに流れた。 「ここは、都心から離れた山の中です。こんな所にこの時間、だあれも来やしません。最後のスペシャルカクテルに入れた薬であなたがぐっすりお休みになってる間に移動してきたんですよ」 「鳥飼、お前!ふざけんな!早くこれをほどけ!」  混乱と恐怖が宮島の感情に火をつけた。地面に横たわったまま、死にかけた芋虫のようにもがきまわる。 「常連さんが一人減るのは痛いですが、あなたには死んでもらうことにしました」 「おい。待てよ!鳥飼ちゃんよ。冗談だろ?こんなこと洒落にならんぞ!」 「冗談でこんなことできませんよ、宮島さん。本当に口は災いの元、とはよく言ったもんですね」  口は災いの元……鳥飼の言葉に思い当たった宮島は、直ちに命乞いを始めた。 「申し訳ない、鳥飼ちゃん!ごめん、許してくれ!俺は酔っぱらうとすぐに偉そうなことを言っちゃうんだけど、本心じゃないんだ。あんたのことも、あんたの店も本当に大好きなんだよ。鳥飼ちゃん、いや、鳥飼さん、本当にごめんなさい。今まで酔っぱらうと失礼な発言を繰り返してしまいましたが、今後もうあんな無礼なことは言いません、いや、もう酒は飲みません!だから、どうか、どうか命だけは!お助けください!お許しください!」 「……やっぱり、お分かりではないようですね」  鳥飼が冷静な口調で応えた。 「……えっ?」 「そんなことはどうでもいいんですよ、宮島さん。あなたが酒癖が悪くて、酔っ払うと暴言を吐きまくる困った人だって事は、昔からよく分かってるんですから。そんなことにいちいち目くじら立ててたらバーテンダーは勤まりません。勿論、他のお客様に迷惑になる場合は別ですが、あんなことぐらい屁でもないですよ」 「じゃ……何で……?」 「口は災いの元と言ったのはねえ、宮島さん。あなたが余計な事さえ喋らなければ、私だってこんな事しなくて済んだんだって意味ですよ。そもそもあなたが見たってことさえ知らなかったわけですからね。まったく、よりにもよってねえ……」  俺が見た……?え?……何を……? 「そう、やはり沈黙は金だったんですよ、宮島さん。それが分かっていなかったあなたこそが、まさに“愚か者”だったということですね」  鳥飼は振り返ると、背後に停めた車のトランクを開けて、一丁のシャベルを取り出した。その銀色の車体に、宮島は今更ながら見覚えがあるような気がした。 [了]
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!