第二章 病院の闇

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四  一週間の人間ドッグも終了となり、恋は久しぶりに事務所に出た。 「お久しブリーフ、ごきげんヨーデル」 「なんですか、それ」  鬼瓦が狐につままれたような顔で言う。 「今流行ってるの知らないの? サンタズロースって言うのもあるけどね」 「知りませんよ」  怒ったように言う鬼瓦。 「まったく何にも知らないのね、ごんぞうは」 「そんなの知らなくても生きていけますから。ところで、どうでしたか?」 「着るものがダサかったし、私なんか下着姿を検査技師に見られちゃったし…」 「ああ…」  そう言って遠い目をする鬼瓦。 「想像してんじゃねーよ」 「想像はしてません。妄想はしましたけど」  と言ってニヤリとした鬼瓦。 「最低」 「でも、私が訊きたかったのはそういうことじゃなくて…」 「そうならそう言え」 「でも、ボスが勝手に話すもので、つい…」 「もう。で、何が訊きたいわけ」 「今回の依頼案件に関することで何か発見がなかったかなと」 「なんだ、そんなこと?」 「そんなことって、そのために人間ドッグを受けたんですよね」 「そうなのよね。でも、心配しないで。私、万里小路恋とわが探偵事務所のエースの観音寺育美が潜入調査に入ったわけで、山のような収穫をしてきましたわよ。聞きたい?」 「聞きたいって、仕事ですから聞かざるを得ません」 「何、その上から視線」 「はい?」 「知らないの、上から視線」 「上から目線ですね」 「冷静なツッコミだこと」  大野総合病院の案件についての作戦会議を行うべく、関係メンバーが集められている。10日ほど前からから看護師として病院に潜入している吉井麗奈も勤務終了後に事務所に来ることになっている。二人の後を引き継ぐ形で人間ドッグ専門の看護師となった麗奈は環境適応力が高く、あっという間に病院関係者たちの中に溶け込み、同時にドッグ利用者たちからも慕われる身になっているらしい。特に男性陣の受けがいいようだ。そんな噂を耳にした育美が忌々し気に言った。 「男なんて、所詮そんなものなのですかね」 「育美ちゃんはまだ男ってものを知らないからね~」 「そんなことないですよ」  怒り心頭という表情で言う育美。 「じゃあ、知ってるの?」 「えーーー、まあ、知ってますよ」 「下ネタかい」 「私、下ネタ言ったつもりはないですけど」 「まあまあ」  鬼瓦が思わず間に入る。ちょうどそこに麗奈が現れ、恋の真向かいの椅子に座った。そして、 「今日も外科部長に誘われちゃったんですう」  開口一番に放った言葉がそれだったため、みんなは思わず顔を見合わせてしまった。麗奈は絵にかいたような美人なので愛想がないかと思いきや、実は明るく屈託のない、誰にも好かれるタイプの子で、かつ先天的なぶりっ子キャラなので年上の男にはたまらないようだ。 「それで何と言ったの?」  ちょっと興味があったので恋が訊く。 「今度気が向いたらねって言ってあげましたあ」 「なかなかいいんじゃない」  この子は男の転がし方を知っている。恋は気に入ったが、恐らく育美の嫌いなタイプ。ちらっと育美を見たが、案の定にこりともしていない。 「ところで、何か新しい情報はないんですか」  育美が不愛想な顔を麗奈に向けて言った。 「あっ、そう言えば今日発見があったの」  最後を『の』で終わらせるなんて、いったい誰に対して口を利いているのか疑ってしまうが、これも麗奈独特なところなのだろう。しかし、いかにもカワイサ満開のべテべタしたしゃべり方に苛ついている育美の顔が恋にはおかしくて、つい笑ってしまった。 「所長、私のこと見て何笑ってるんですか?」 「あら? 私、育美ちゃん見て笑ったわけじゃなくてよ。もう、育美ちゃんたら自意識過剰なんだから。私は、麗奈ちゃんがツボにはまっちゃっただけ」 「まあ、それはわかるような気もしますけど…」 「それで麗奈ちゃん、その発見とやらを教えて」 「はい、あの病院の内科部長って、実は事務長の息子さんなんですって」 「えーーーーーーーーーーー」  これには一同思わず声を揃えて驚いた。しかし、当の麗奈はみんなの驚きの声に驚いたようだ。 「そんなにびっくりすることなんですかあ。副所長なんか椅子から落ちそうでしたけど」  身体のデカイ鬼瓦はもともと椅子からお尻がはみ出ている。その鬼瓦が驚いて身体を反らしたものだから椅子からずり落ちそうになり、その際隣に座っていた恋の腕をつかもうとしたので、恋はその手を振り払ってやったのだ。 「そりゃあ驚くわよ。でも、そんな話誰からも聞いてないわよね」  恋が育美を見て言う。 「確かに聞いていませんでしたね。でも、それほんとなんでしょうかね」  育美は麗奈のことをまだ信用していない。 「みんなには隠してるみたいです。でもお、元官房長官の田中のおじいちゃんが言ってたので間違いないと思いますよ。疑うなら一応調べてみてくださいよお」  自分に敵意をむき出しにしている育美を嘲笑うような顔で言った。 「OK,、山岸君早速調べてみて」  育美の代わりに恋が答える。元官房長官の田中を『おじいちゃん』と平気で呼んでしまうあたりに麗奈の魅力があるし、きっと田中もまんざらでもないのだろう。麗奈はこの短期間でえげつない情報をつかんだことになる。もしこの情報が本当だとしたら、大きな手がかりの一つになる可能性がある。すぐに調べる必要がありそうだ。 「はい、わかりました」 「それにしても、もう元官房長官まで手なずけちゃうなんて、麗奈ちゃんってボスのような能力の持ち主ですな」  鬼瓦が感心したように言う。鬼瓦も山岸もすでに麗奈に魂を抜かれ始めつつあるのを見て、育美がますます不機嫌になっていくのが見える。 「う~ん、麗奈ちゃんのは天然だから、私とはちょっと違うけどね。ところで、山岸君のほうは何か情報はある?」  恋は自分にも天然なところがあるとわかっていない。 「まず、株式会社大谷の板垣昇の件ですが、所長たちのおっしゃってた通り板垣組の組長です」 「やっぱりね。俳優の町村俊のほうは?」 「まだはっきりしないのですが、いろいろ怪しい噂があるようです」 「怪しいって?」 「怪しいクラブに出入りしているとか。付き合っている人種がおかしな外国人だとか、です」 「なるほど」 「それと、私が気になるのは、町村があの高額な人間ドッグを年に何回も利用している点です」 「そんなに頻繁に利用しているわけ?」 「そうなんです。それも看護師たちの間で噂になっていました」 「ほお、何かあるわね。引き続き調べて」 「わかりました。でも、町村についてはうちの芸能事務所の丸山さんのほうが情報持ってるんじゃないですかね」 「ああ、そう言われればそうね。じゃあ、私が彼に訊いてみるわ」 「お願いします。それと、町村とは関係ないんですが、ちょっと気になる情報が入ってきました」 「ほおー、どんな?」  鬼瓦がもともと怖い顔をより怖くすることで威厳を保とうとしながら訊いた。しかし、今鬼瓦の頭の中は、恋、育美、麗奈の3人の美女に囲まれたハーレム状態にデレデレになっていることを恋は知っている。前の職場ではこんな経験皆無に違いないので無理もないのだけど。 「これは患者さんからではなくて、元大野総合病院に勤務していた看護師さんから聞いた話なんですけど」 「それで」  何かを察したのか育美が真剣な顔で先を促す。 「数年前に外科部長がした腹腔鏡施術の後で、たて続きに10人くらいの人が亡くなっているというんです」 「どこぞの大学病院でもそんなことがあったよな」  鬼瓦が記憶を探りながら言った。 「そうですね。どうやらその大学病院での出来事と同じような時期らしいんです。大野総合病院にも院内に臨床試験審査委員会があって、事前に申請して審査を受けるという内規があったらしいんですが、院長が黙認する形で行われていたようなんです」 「その結果多数の人が亡くなってしまったというわけだ」 「そうです。いずれも術後に容体が悪化して亡くなっているということです」 「これは大きな問題ですね、所長」  育美の目が輝いてきた。 「もちろん、そうよね。ただ、一人の看護師の話だけではまだ信憑性に欠けるわ」 「いや、所長。私がその話を聞いたのは3人の元看護師からです」 「そうなると、事実の可能性が出てきたわね」 「しかし、もしそうだとして、あの大学病院の場合はニュースになったけど、大野総合病院の件は表沙汰になっていないぞ」  鬼瓦が冷静に指摘した。 「そこなんです。当然、当時いた看護師さんたちが騒いだようなんですけど、何らかの力が働いてうやむやになったらしいんです。私に話してくれた看護師さんたちはそうした状況に嫌気がさして病院を辞めたと言っていました」 「なるほど。ここにも大きな闇が隠されていそうね。私の推理だと、それにはあの元官房長官の田中も関係しているような気がするわ」 「おおー、なかなかの推理ですなあ」  鬼瓦が感心したように言う。 「皆の者、探偵小説で鍛えた私の推理力の凄さを知れ―って」 「はいはい、わかりました」  育美がバカにしたように言う。 「何よ、その言い方」 「まあまあ。しかし、これで全体の構図がなんとなく見えてきましたな」  鬼瓦がまとめようとしている。 「確かにね。今の段階ではごんぞうの頭みたいに、うすぼんやりしているけどね」  最近、鬼瓦の頭がみるみる薄くなってきたことに、みんな気づいてはいたが、さすがに口に出す者はいなかった。それを、恋がみんなの前で指摘したので、鬼瓦は無言で自分の頭を撫でている。 「スカルプDとかミノキかなんか買ってあげましょうか。ミノキなら生えるって言ってるし」  恋が追い討ちをかけたところで、みんな堪え切れずに吹き出した。 「もう。ボス、恥ずかしいからやめてくださいよ」  顔は怖いが気持ちは優しい鬼瓦なのだ。 「冗談はさておき、全体図が見えてきたことは確かね。ただ、問題の根が深そうだから、ここからが肝心。では、根っこを掘り出すために分担を決めましょう」 「そうですな」  鬼瓦が頷いた。 「まず、板垣組と事務長の関係は副所長にお願いします」 「了解」 「事務長の行動調査と、内科部長の件は育美ちゃんと山岸君で」 「はい、わかりました」 「元官房長官については、育美ちゃん山岸君ペアに調査してほしいんだけど、麗奈ちゃんのほうでも引き続き注視してほしいの」 「ええー、あのいじいちゃんですかあ」 「簡単でしょう。すでに、手の中で転がしてるんだから」 「別に、私、転がしてなんかいませんけど…」 「そうね。勝手に相手が転がってるのかもね。でも、そのほうが仕事はやりやすいわよ。田中は背後でいろいろ関係しているかもしれないし、そういう意味ですごい重要な役割なんだから頑張ってよ、麗奈ちゃん」 「は~い」  重要な役割と言われて嬉しかったようだ。単純でカワイイ子なのだ。 「さっきも言ったように町村については、私が丸山ちゃんに訊いてみる。それから山岸君」 「はい?」 「元看護師の3人がいたじゃない。その人たち他にも何か知ってそうな気がするから私に会わせて」 「わかりました」
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