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六
川瀬満男が事務所を出ていったところで、会議をすることにした。
「しかし、まさか二人とも同じ事務所に依頼してるなんて思ってないでしょうね」
磯田が口火を切った。
「そうは思うけど、どうだか」
恋が答える。
「えっ、どういうことですか?」
「ひょっとして妻が自分の浮気調査をうちに依頼したことに気づいた川瀬満男が敢えてうちに依頼してきたと考えられなくもないでしょ」
恋のいささか飛躍した推理に同調したのは牧野。
「なるほど、ですね」
すると今度は、すでに恋のことが大好きになってしまっている鬼瓦が合いの手を入れる。
「さすが名探偵」
「でも、なんでですか?」
磯田は納得してください。いない。
「攪乱するために決まってるじゃない。きっと夫のほうにも妻のほうにもやましいところがあるのよ。まったく、夫婦なんて信用できたもんじゃないわね。ごんぞうのところは大丈夫なの」
突然自分のところへお鉢が回ってきたことで鬼瓦は慌てている。
「うちですか。それはないです」
「副所長は大丈夫でも、奥さんのほうはわかんないですよ。なんたって奥さん綺麗ですから」
牧野がにやけた顔で言う。
「えっ、そうなの」
「僕、写真見せてもらいましたから」
「私も見たい」
恋も言う。
「牧野君には飲み会の席でたまたま見せちゃっただけですから」
「減るもんじゃないんだから、もったいぶってないで見せなさいよ」
恋の命令に、しぶしぶスマホを取り出して画面をスクロールしている。どうせ見せるのなら一番写りのいいものを探しているのであろう。
「これです」
照れくさそうにしながら恋に差し出した画面には鬼瓦とその妻と思われる女性が笑顔で写っている。恋以外のみんなも覗き込む。確かに美人だが、ちょっと恋に似ているのが気に食わない。
「ウォー」
みんなが声をあげる。
「まさに美女と野獣ですね」
「えっ、でもこれディズニーランドに行った時の写真じゃないですか」
磯田が背景を見て言った。
「ええー、ディズニーランドへ? ごんぞうが?」
顔を赤らめている鬼瓦を見て、恋は思いきり大きな声をあげた。
「別にうちの夫婦が休みの日にどこに行こうと勝手じゃないですか」
「そうだけどね。でも、これじゃ奥さん浮気してもおかしくないよね」
「決めつけるのは止めてください。そろそろ川瀬の話に戻しましょう」
「そうよね。いったい誰よ、ごんぞうの話を出したの?」
「ボスです」
「あらま、そうだったかしら。失礼しました。でも、とにかく磯田君と牧野君は引き続き満男の尾行を続けて。川瀬の依頼については、うちのエースの育美ちゃんと増田君に担当させるから。それで、私は双方の司令塔としてサポートに入ることにするから」
「ボスが、し、しれいとう?」
磯田と牧野が驚きの声をあげた。誰もが、鬼瓦がリーダーになると思っていたからである。さすがに鬼瓦は渋い顔をしている。
「なんでみんなそんなびっくりするわけ」
その場にいた男どもに反対する勇気のあるものなどいない。もし、その場に育美がいたら違ったかもしれないが。
案の定、恋が育美を呼んで担当を告げると、育美は拒絶反応を示した。
「あのお、所長。今私、複数の案件を抱えていて手が回りません。だからお断りいたします」
「さすがうちのエースちゃん。ごめんなさいね。仕事ってできる人に集中しちゃうのよね」
どうやら恋は、ほめ殺し作戦をとることにしたようだ。
「誰もそんなことは言ってませんけど」
「育美ちゃんて頭が良くて、しかも美人だし。おまけにスタイルもいいし。でも、うちの事務所も働き方改革が必要なわけよ」
「話がそれているような気がしますけど」
「そんなことないの。だからね、今抱えている育美ちゃんの仕事を他の人に振り分けるようにするから、私のお願い聞いてくださらない?」
「そんなあ」
「私の持ってるバーキンのバッグあげるから」
「えー、ほんとですかあー。ほんとですよね。約束ですよ」
「わかったわよ、くどいわね育美ちゃん」
「なら、私やります」
案外育美も物欲が強いとわかる。
「ありがとね。みんなでエッチ団結して頑張りましょう」
「エッチ団結?」
「昔からそう言うでしょう?」
「それは、一致団結です」
「オッホッホ。そうだったかしら」
笑い方は上品だけど、間違い方がおかしい。こりゃあダメだと育美は愕然とするのであった。
翌日から夫の満男班と妻の美香班に分かれての調査が始まったが、ともになかなか尻尾を見せなかった。
「なんだか、われわれ弄ばれてるというか。倦怠期の夫婦が仕掛けたゲームに付き合わされているような気もするんですけど…」
満男の調査から戻った磯田が恋に言う。
「磯田君、磯田君にしては、なかなかの推理ねえ。案外そうかもね。でも、高い調査費用を払ってまでそんなことするかしら」
「そうなんですよね。なにせ、うちの事務所は調査費用の高さで有名ですからね」
「うちの事務所が有名なのは、調査費用の高さだけじゃないでしょう」
「所長が美人だって言うことですか?」
「バカね。それは言うに及ばずよ。そうじゃなくて、私の問題解決力の高さよ。私、失敗しないので」
「どこかで聞いたような台詞」
「えっ、聞き間違いじゃないの」
「そうだといいんですけど…」
その時、恋の携帯が鳴った。
「はい。そう。じゃあ巻かれないように尾行して」
「誰ですか」
「増田君からよ。どうやら今度は奥さんの尻尾が見られるかもしれなくてよ。いつもより着飾って銀座方面に向かっているらしいの」
今日、川瀬満男は地方ロケに出かけている。そのタイミングで妻が動き出したのだ。
「どんな相手ですかね」
「それは、お金持ちのおじさんかイケメンの若い男じゃない」
「所長も浮気するとしたら、そういう相手ですか」
「そんなありきたりの浮気なんてつまんな~い。だって、そんなの私の周りにごまんといるもの」
「ええー、そうなんですか。て言うと、どんな…」
「ドラキュラみたいな人」
「はあ?」
「血を吸われてみたいのよ」
「変わったご趣味で」
磯田が興味深々の顔を見せたところで、今度は川瀬満男を尾行していた牧野から連絡があった。
「ロケが終わってホテルへ向かっているものと思われます」
「何か起こりそう?」
「そんな予感がします。ちなみに今タクシーに乗っているのは、川瀬満男と若い大林建夫という男優と女優の小山内恵子です」
「すると、今晩の相手はその女優?」
「たぶん、そうでしょうね」
後はそれぞれの尻尾をつかむだけだ。今後の連絡を楽しみに待つことにする。すると、それから一時間後に連絡を寄越してきたのは妻の尾行をしていた増田からだった。
「銀座で奥さんが会ったのは女でした」
「えっ、男じゃないの」
「そうなんですよ。それも、かなりの美人です」
「ほう。ひょっとして私に似てない?」
「実はそうなんですよ」
「やっぱりね」
事務所に来た妻が恋を見た時の目の奥に、恋はそれを感じていた。
「やっぱりねって、どういうことです」
「奥さんの浮気相手はその人よ、きっと」
「まさか…」
「名探偵恋の推理に間違いはないの」
「そうなんですかねえ」
「たぶん、今日中に妻の美香さんと夫の満男の正体が同時にわかるわよ。だから、そのまま尾行を続けてちょうだい」
「わかりました」
それからさらに二時間後に、今度は満男の尾行を続けていた牧野から連絡が入る。
「ボス、なんか様子がへんなんです」
「何よ」
「川瀬ですが、てっきり小山内恵子を狙っていたのかと思ったんですけど…」
「若林建夫のほうに近づいたんでしょ」
「えっ、なんでわかるんですか?}
「まあ、予感みたいなものね」
「さすがボスですね。さっき満男はホテルのロビーの隅で若林とキスをしました」
「写真撮ったんでしょうね」
「一応撮りましたけど」
「一応って何よ」
「まさかと思ったんで、いささかブレてしまいました」
「ダメねえ。そんなことで動揺して」
「でも、大丈夫です。ちゃんと写っていますから」
「それならいいわ。この後二人は一緒に部屋に入るはずだから、その時も撮り逃さないこと」
「わかりました。これが満男の浮気の証拠なんでしょうかね」
「そうに決まってるじゃないの」
「なんか気持ち悪いっす」
「今時珍しいことじゃないんだから、そんなことでいちいち驚くな」
「わかりました」
牧野の電話が切れたそのタイミングで増田から報告があった。
「所長、二人は今ホテルの最上階のラウンジで身体を密着させて見つめ合ってます」
「そうでしょうね。この後、どんどん盛り上がるだろうから、証拠写真を撮りまくるのよ、わかった?」
「はい、わかりました。でも、私には刺激が強すぎて…」
「このご時世に何寝ぼけたこと言ってるわけ」
「はあ。今、後ろにいる観音寺さんにも同じことを言われました」
「さすが育美ちゃん。とにかく、ごちゃごちゃ言ってないで、ちゃんと仕事して。そういう話が聞きたければ今度事務所で手取り足取りレクチャーしてあげるから」
「ひゃー、怖い」
牧野にしろ、増田にしろ今時の事情に理解がなさすぎる。
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