5人が本棚に入れています
本棚に追加
二
中村が帰った後、恋と育美と山岸で話し合っている。
「所長、すみません」
山岸が第一声をあげた。その一言にすべてが含まれていた。
「別に山岸君が謝ることじゃないわよ。ただ、ちょっと驚いたけどね」
恋が言うと、
「なかなかのキャラの人でしたね。あのヘラヘラ感だと、彼の話の信憑性にちょっと疑問が生じましたよね」
育美が冷静に判断する。
「本当にすみません。でも、ああ見えて根は真面目なんで、話は信用置けると思います。80%くらいは」
「えっ、100%じゃないんだ」
育美が確認する。
「まあ、そうですね」
「ほんとうに大丈夫なの?」
今度は恋がツッコむ。、
「いやあ、60%くらいでしょうか」
自信がなくなったのか、どんどん下げる。
「あらあ、また下がっちゃったじゃない。どうせ私たちが確かめるからいいけどね」
育美が取りなして言う。
「それで、どうやって攻める?」
恋が育美を見て言う。
「とにかく情報を集めることが先決だと思います。山岸君は中村さんから可能な限りの情報をもらうように」
「はい、わかりました」
二人のやりとりを聞きながら、中村が置いて行った病院案内を見ていた恋が何かを見つけた。
「これよ、これ」
「はい?」
恋が指さしたのは人間ドッグのページだった。
「ああ」
育美と山崎が同時に声をあげた。
「人間ドッグを受ける形にすれば、怪しまれることなく内部潜入できるわよね」
「さすが所長、いいアイデアです」
山崎が感心しきりで言う。
「でしょ、でしょ」
恋も自分のアイデアにご満悦の様子である。
「で、誰が受けるんですか?」
唯一冷静な育美が言う。
「もちろん、私と育美ちゃんよ。精鋭部隊を投入しなくてどうするの」
「えー、私もですか?」
育美が抵抗の様子を見せる。
「当然よ。育美ちゃんにしても、ついでに結婚前の身体の総点検をしてもらえるわけでラッキーじゃない?」
「そう言われればそうなんですけど…」
「なんか言葉を濁すわねえ」
「実は、私、病院って苦手なんですよね。あの匂いだけでもう…」
「ひゃー、見つけちゃった、育美ちゃんの弱点」
「はい、そうなんです」
「育美ちゃんにもかわいいところがあったんだ」
俄然おもしろがる恋。
「そんなに喜ばないでくださいよ、もう。それで所長、三泊四日コースと一週間コースがありますけど、どちらにするんですか?」
「もちろん、一週間コース。少しでも長く潜入したいじゃない」
もはやドS化した恋に正論を言われ、育美は戦意喪失の模様。
「わかりました」
「ということで、山岸君、早速中村さんに連絡とって人間ドッグの申し込みをしてちょうだい。それから、山岸君は患者さんたちやあの病院を辞めた看護師たちと接触して、本当のところ病院についてどんな評判があるのかやどんな噂が流れているかを調べて私たちに報告して」
「了解しました」
恋との打ち合わせが終わり、自分たちの机へ戻る山岸と育美。山岸はその道中、日頃は怖い上司の育美が恋から揶揄われてるのを初めて目にして楽しくなってしまったのか、思わず声が漏れていた。
「ふふふ」
「何あんたがニヤニヤしてるのよ」
「だって、育美ちゃんとか言われてるし…」
「あれは所長だけだからね、わかった。もし、あんたが言ったらぶっ飛ばすからね」
「はい、わかりました」
恋と育美の人間ドッグ入院は10日後と決まった。当日は午後二時に受付に行くよう連絡があった。その10分前に、病院入口横のロビーに恋は現れたが、その姿は上から下までまるで海外旅行に出かける時のような高級ブランドで飾られていた。それに対して、わずか2分後に現れた育美の姿は、近くのジムにトレーニングをしに行く時のように、上下ジャージに大き目のスポーツバッグを抱えて現れた。お互い、相手の姿を見て唖然とした顔になった。
「育美ちゃん、何それ?」
「一番楽な恰好で来たんんですけど」
「楽って言ってもねえ。女の子なんだからもう少し気を遣ったほうがいいんじゃない」
「所長こそ、いったいどこにお出かけですかっていう恰好してますけど?」
「だって、一週間もここで過ごすのよ」
「でも、入院ですよ」
「わかっているわよ。たとえ、入院であろうと万里小路恋の品格は保つ必要があるの」
「まあ、大変ですこと。とにかく、手続きをしましょう」
受付で手続きを済ませると、係りの人の案内で5階の人間ドッグフロアーまで専用エレベーターで昇る。人間ドッグの病室はすべて個室で、ホテルの部屋のような作りになっている。荷物の整理が済み一段落していると、育美が恋の部屋へやってきた。部屋を見渡して、
「所長の部屋も同じなんですね」
「そうよ」
「てっきり、パンフレットにあった特別室に入ったのかと思いましたよ」
「ほんとうはそうしたかったんたけど、満室だったの。それに、特別室なんかに入っちゃうと目立っちゃって調査がやりにくくなるでしょ」
「何もしなくても十分目立ってますけどね」
「それって褒めてるの?」
「さあ、どうでしょう」
「まあいいわ。それで、この後の予定はどうなってるの?」
「えーと、今日はこの後、身長や体重などの測定を行って、その後に外科部長の問診があるだけです。本格的な検査は明日からになるようです」
「外科部長?」
「普通内科部長だと思うんですけど、この病院の場合、外科部長が人間ドッグの責任者になっているんですって」
「なんかへん」
「そうですよね」
「まあいいわ。ということは今日は病院内の探索ができるということね」
「そうです。後で一緒に回ってみましょう。それから、ちなみになんですけど、外科部長というのは院長の息子です」
「例のバカ息子ね」
「所長、声が大きいです」
「誰のこと話してるかわからないから大丈夫よ。それよりも、私のことを所長って呼んじゃまずいでしょう」
「ああ、そうですね。なんと呼んだらいいですか?」
申し込みに当たっては、パパの会社の関連会社の社員としてある。
「二人とも同い年だし、職場の同僚ということにして、名前で呼び合えばいいんじゃない」
「名前?」
「私はあなたのことを育美って言うから、あなたは私のことを恋(れん)って呼んで」
「いいんですか?」
「いいわよ。練習してみる?」
「えっ」
「いくわよ、育美」
「わかった恋。なんか照れくさいですね」
「ふっふっふ。なんか楽しいかも」
「遊びじゃないんですから」
「わかってるわよ」
そこへ事務の人がやってきた。
「こちらに着替えて105号検査室へ行ってください」
事務員が置いて行ったのはこげ茶色したガウンのようなものだった。それを見て恋が嘆いた。
「えー、こんなセンスのない服着なくちゃならないの」
「所長、あくまでわれわれは人間ドッグの入院患者なんですから我慢してください」
「は~い、育美。わかったわ」
身長、体重、筋肉量などの基本的測定が終わって部屋に戻ると、今度は外科部長の事前問診があるから第一診察室へ行くように言われた。恋は隣室の育美に声をかけ、二人で一緒に行くことにした。
「どんな男なんでしょうね」
育美が恋にすり寄りながら小声で言った。
「ボンボンのボンボンだから、どうせ碌なもんじゃないわよ」
「そういうもんですか」
「そういうもんよ。私の周りにもいっぱいいるからわかるのよ」
「なるほど」
「あっ、ここよ」
第一診察室という札の下がっているところで止まる。恋がドアをノックすると、中から「どうぞ」という声が聞こえる。
「失礼します」
恋と育美が一緒に中に入る。
「どうぞ、どうぞ。そちらへお座りください」
いかにも高級そうな革張りのソファーを指さす。二人が座ると、男が机の上にあった資料らしきものを持って二人の正面に座った。
「万里小路恋さんと観音寺育美さんですよね」
「ええ。私が万里小路恋で、隣が観音寺育美です」
「そうですか。私は外科部長をしております大野祐介と言いまして、人間ドッグの責任者も兼務しております」
「そうですか。よろしくお願いします」
「それにしても、お二人よく似ていらっしゃいますね」
「えー、だいぶ違うと思いますけど」
育美が怒ったように言う。
「別にいいじゃない」
恋が育美だけに聞こえるように小さな声で言い返す。
「いやいやよく似ていますよ。まるで美人姉妹です」
そう言いながら大野の鼻の下が伸びたのを恋は見逃さなかった。
「そんなことはどうでもいいですから、さっさと問診してください」
完全に育美は戦闘モードになってしまった。しかし、大野はそんなことにも動ずる様子を見せない。
「ああ、そうですね。通常は一人一人個別に行うんですが、どうしますか?」
「お互い聞かれて困ることなんてないので、一緒にやっちゃってください」
「わかりました」
一通りの問診が終わったところで、今度は恋たちの大野に対する『問診』が始まった。
「大野さんは院長さんのバカ息子さんなんですよね」
いきなり恋がぶちかます。
「バカ息子? 面と向かって言われたのは初めてです」
「案外気持ちいいでしょ」
「まあ、気持ちはよくないですけどね。しかし、誰から聞きましたか?」
「事務長さん」
「そうですか…」
「二代目ですか?」
「いや、三代目です」
「あらあら、三代目っていうことは、始末に負えない超ボンボン」
「そんなことないですよ。こう見えて、案外苦労してます」
「どんな苦労なんだか」
相手に聞こえるレベルの恋の囁き。
「いやあ、お二人にはまいっちゃいますね」
「イケメンだし、モテモテなんじゃないですか?」
今度は育美が仕掛ける。
「いえいえ、そんなことないですって」
「結婚は?」
「独身です」
「えっ、独身。じゃあ、私たちが誘惑しちゃおうかしら。ねえ、育美ちゃん」
「困りましたね」
とか言いながら、まんざらでもない顔の大野。
「ひょっとして、すでに複数の看護師たちに魔の手が伸びていたりなんかして…」
「もう止めてくださいよ」
しかし、ここで育美が大野の指にはまってる指輪を見つけた。
「その指輪、結婚指輪じゃないですか?」
「ああ、これですか。バレちゃいましたね」
あっさりと認めた大野。
「どうしようもない嘘だこと」
恋が思い切り軽蔑さを込めて言う。
「すみません」
「ところで、事務長の川口さんって、なんか変わっていますよね?」
川口の話を出したとたん、明らかに大野の様子が変わった。それまでのへらへらした顔に一気に緊張感が走ったのである。
「どこが変わってますか?」
「挙動不審というか、目が定まっていないというか」
「そうですか。外部の人から見るとそう見えるのですね。でも、忙し過ぎて疲れているだけです。本当は定年なんですけど、後継者が育っていないので、お願いしてまだ働いてもらっているんです。でも、そろそろ考えなくちゃダメですね。いろいろとご指摘ありがとうございます。明日から本格的な検査が始まりますので、今日はのんびりお過ごしください」
診察室を出た二人は思わず顔を見合わせた。
「怪しい」
育美が低い声で言った。
「同感」
どうやら二人の勘が一致したようだ。
「掘り起こせば絶対なんか出てくるわよ」
育美が興味深々の顔をしながら続けた。
「ここ掘れワンワンって感じですかね」
「ん?」
「知りません? 花咲かじいさんの話?」
「何それ。おじいさんの口から花が咲いちゃうわけ」
「そんな気持ち悪い話じゃありませんよ。ともかく、これから病院内の探索に出かけましょう」
最初のコメントを投稿しよう!