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第二章 病院の闇
一
「所長、ちょっと相談があるんですけどいいですか?」
珍しく観音寺育美から恋のところに内線電話で連絡があった。
「珍しいわね、育美ちゃんのほうから相談なんて。彼氏のこと?」
「何で彼氏のことを所長に相談しなくちゃならないんですか」
「少なくとも育美ちゃんよりは私のほうが恋愛経験豊富だからよ」
「なんでそう決めつけるんですか。所長、私の恋愛経験なんて知らないくせに。こう見えて、私恋愛経験すんごいんですから」
「はいはい、そういうことにしといてあげる。ところで、どんな相談?」
「実は私のことじゃなくて、山崎君からの相談なんですけど、ちょっと込み入ってるのでそちらへ伺ってよろしいでしょうか」
「いいわよ」
しばらくして、育美が山崎を伴って所長室へやってきた。山崎克典は最近入社して、育美の部下として働いている男だ。克典という男の入社を聞いてはいたが、恋が本人と会話をするのは初めてだった。もちろん、山崎にとっても恋と話すのは初めて。そのせいか、山崎はカチコチになっている。
「山崎君っていくつ?」
引き締まった鋭角的な顔立ちで、まあまあのイケメンの山岸について、恋は個人情報を入手しようと試みる。
「25です」
顔がカタイ。
「私たちより一つ下ね」
「私たちというと?」
「マア、知らないの。私とあなたの隣にいる小生意気な育美ちゃんとは同い年だから」
「小生意気? 育美ちゃん?」
育美について初めて聞くワードに驚く様子の山崎。
「もう、所長ったら。部下の前でそんなこと言わないでください」
「あらやだ、照れちゃってるの?」
「照れてるわけじゃないことくらいわかるでしょ、もう」
怒りを露わにする育美を見て、山崎はどうしたらいいかわからないようだ。
「ところで、相談ってどんなこと?」
「それは直接山崎からお聞きください」
「わかったわ。じゃあ、山崎君、話してくれる」
「はい。実は、私の親戚の者が医療法人大野総合病院という大きな病院に勤務しているんですけど、その病院では数年前からおかしな出来事が続いているらしいんです」
「おかしなって、たとえばどんなこと?」
「たとえば、薬がなくなるとか、幽霊が出るとか、看護師がバタバタ辞めるとか、です」
「幽霊が出る?」
「はい。たぶん噂だと思うんですけど」
「噂に決まってるじゃない、ねえ育美ちゃん」
「私は幽霊信じるタイプなんで」
「へえー、初耳」
「そうでしょうね。今初めていいましたから」
「超現実女の育美ちゃんがねえ」
「超現実女って、どういう意味ですか」
「給料が安いとか、家賃が高いとか、どこそこの店が一番安いとかしか言わないからよ」
「そんなことありませんよ。私だって乙女の部分があるんです」
「いつか見たいもんです。で、山崎君続けて」
二人の会話についていけずにぼおっとしていた山崎に向かって恋が言った。
「はい。それで、親戚の人間はそのことを事務長に話したらしいのですが、まったく取り合ってくれなかったようなんです」
「ふ~ん」
「そんな中、私が探偵事務所に入ったことを知ったその人が私に相談を持ち掛けてきたというわけです」
「なるほど。ちょっと興味をそそるわね」
「所長ならそう言うと思いました。ただ、ネックがあります。その相談者は病院の一課長に過ぎないということです。相談内容からすると大事になりそうな案件であるにも関わらず、その相談者個人が正式な依頼者にはなり得ないのです。かといって、誰がどう絡んでいるかもわからない現状で、病院そのものが依頼者になることもないということです」
「わかった。形式上は山崎君の親戚の人を依頼者にして、うちがやりましょう。費用のことは心配いらないわ。所長案件にして、私の一存ですべて仕切ることにするから」
「えーーーーーーー、そんなことできるんですか?」
誰よりも驚いたのは山崎だった。
「私を誰だと思っているの?」
「所長ですよね」
「何をお間抜けなことをぬかしこいちゃってるの。私は、あの万里小路恋よ」
「あの、ってどういう意味ですか」
山崎は意味がわからず育美の顔を見る。
「もぉー、面倒くさい」
育美がつぶやく。
「ほんとに知らないの?」
「はあ。 所長の名前は知ってますけど…」
「そういうことじゃなくて…。だから、詳しくは育美ちゃんに訊いてちょうだい」
「はあ?」
「はあ、はあ言わないの。犬じゃないだから。いずれにしても、その親戚の人を一度事務所に連れてらっしゃい」
「わかりました」
それから一週間後に、中村春樹と名乗るその男はやって来た。40代であろうか。血色が良く太っている。親戚とは言うものの、山岸と似ているところは一つもなく、妙に明るくへらへらしていて、深刻な悩みを抱えているようには見えない。名刺交換をした後、恋の前に3人が座る。中村が真ん中に座り、両サイドに山岸と育美が座った。
「噂にはお聞きしてましたけど、生で見る所長さんって綺麗でんな」
「生? ビールじゃないんだから。それに、その、でんなって何?」
「ですねって言うことです」
慌てて訂正する山岸。
「あれ、所長はん、関西弁あんまり慣れてへんのかいな」
中村が山岸のほうを見て言った。
「へんのかいな? 私どもの家庭ではそうしたへんなお言葉は使いませんのよ」
「あらまあ、お上品なことで結構でありんす」
「バカにしてると偉いことになるわよ」
「おお怖いー」
と大げさに驚くふりをする中村。
「もう、いつまでもそんなくだらないこと言ってないで。隣の山崎君から少し話は聞いていますが、お宅の病院ではおかしなことが起きているとか」
「そやねん。おかげで患者さんたちの間にへんな噂が流れ始めて困ってますねん」
「ねん?」
「ええ。あの病院は信用が置けないとか、金もうけ主義だとかね」
「それはデマなのね?」
「もちろんですとも。心外でっせ」
「でっせ?」
「所長、いちいち関西弁に反応しないでください」
育美が恋にツッコミを入れる。
「はいはいはい。それで、山岸君に相談したというのは?」
「あくまでも噂であり、デマなんやけど、病院内に、その原因と言えるおかしなことが起こっていることも事実なんで、調べたいと。もちろん、事務長には話をしたんやが取り合うてくれしません。かといって、私は内部の人間なので迂闊には動けまへんねん。ちょうどそんな時、この山崎君が探偵事務所に就職したと聞いたもんで、ほな相談しようとなったんです」
「なるほど。でも、なんで院長に相談しなかったの? トップは院長でしょう」
「ああ、そりゃあ無理でんがな。なんたって、院長は代々病院をやっている名家の生まれで、あの地域では誰もが知っているような典型的なお坊ちゃまで、世間のことなんかなーんもしらんのよ。だから話しても無駄」
「似たような人がいるもんですね」
育美がぼそっと言った。
「育美ちゃん、何か言った?」
「いえ、何でもありません」
「おかしいな、何か聞こえたんだけどなあ。しかしまあそういうことならしょうがないわね」
「そんなことで、相談したはいいんやけど、現時点でお金を払えんのです。ただ、ちゃんと原因を突き止めてもらえれば、病院としてお支払いでけると思っちゃります」
「ちゃり? 自転車?」
「だから所長、いちいち反応しないでくださいって。話が進みませんから」
クソ真面目な育美が苛つき始めた。
「はいはい、わかりました。それでいいです。うちにお任せください」
「そうでっか。えらいすんません。さすが所長はんやな」
中村が山崎のほうを見てにやりと笑った。
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