第三話

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第三話

「まさか人界へと消えたフェイア伯爵家の子息殿とこんなところで会えるとは思わなかったな。貴様が絡め取られるなど面白いことがあったものだとみなが噂していたが」 「……それは貴方の方でしょう。貴方自身がこの世界に来た理由が分からない――いや、必要性が感じられない」  魔界では人のような姿を取っているが、あの少年に合わせているのかどうか魔界でもそれなりの地位を持っているはずの魔物は動物の姿を維持しているようだ。そしてこんな異界で会わなければそもそも話すような機会などもないはずの"二人"はお互いの動向を探るように口を開いていた。 「必要性ならある。もうじき現王は消滅するだろうからな。万が一、ということもある。貴様も”暁の鳥”に選ばれるかもしれないぞ」 「陛下が……。ということは貴方の目的は純粋に"暁の鳥"ということですか? しかしわたしは元の界に戻るつもりはありません。貴方は興味本位で彼をマスターと呼び身体を弄んだようだが、あの小さな人の子がわたしの主ですから」  そこまで話が続くと、人の面を被った竜はさも楽しげといったような表情になった。 「フェイアの血統が人の下につくとはな」 「貴方たちには分かって頂かなくても結構。それよりも嫌な予感がするのでわたしは主を追いかけるが」  こちらを威嚇するように長い尾をたてたグリフィスに視線をやることなくひと思案するような素振りを見せると、やがて男――ディズと名付けられた竜は酷薄そうな笑みを浮かべて口を開いた。 「あれの声も意識も、私に向いていないと面白くないからな。……たまには思い切り翼を伸ばしてみようか」  そんな、不穏な言葉を振りまいて。 *** 「メリルー?」  懐かしい感じのする古い宿舎の一角にある部屋の扉を叩く。しかし期待していた返事はなくて、ふわりと飛び上がったフェアリーと目配せし合った。  ここは大陸の中でも魔術研究が盛んで知られるレルグーン王国の首都にある、研究の中枢といってもいい王立の学院だ。オレもいたことはあるが1年と僅かしか在籍することが叶わなかった。それなりに理由というものもあるので今は気にしないようにとしている過去でもある。この王立の学院で優秀と認められて卒業すればこのレルグーン王国に宮廷魔導師や召喚士として仕えることができるのだ。彼らは王国の戦争の際には大いなる戦力として力を振るうし、平常時は魔術を使って国の維持に多大な力を注ぎ込んでいる。この国で、ほんの少しでも魔力を持って生まれてきた連中にとっては一番憧れの職業でもあるだろう。 「……まさか、そこにいるのはユーグか?」  厳しさが声音にもしっかりと含まれている――この声の持ち主がすぐに分かってオレはばつの悪さに思わず隠れたくなった。しかし宿舎へと続く廊下からエントランスへとでてきたオレに隠れることができるような場所は当然なく、覚悟を決めて振り返るとそこにはやはり思った通りの人がいた。 「お久しぶりです、アーラス教官」  年配の女性であるものの、オレの近所に住んでいる奥さんたちには決してない眼差しの厳しさ。学院にいた頃の習慣で少し猫背気味の背をピンとただして深くお辞儀を返す。それにしても、もうここを退学してから数年は経つオレのことを先生が覚えているのが驚きだった。毎年何百人という生徒たちが入ってくる、規模の大きな学院だ。そのお蔭でオレみたいに今となってはほとんど関係のないような人間だって簡単に入り込めてしまうのだが。アーラス教官はまじまじとオレを確認するように鋭い眼差しで上から下までみたが、やがて諦めにも似た短いため息をついた。 「風の噂で貴方がギルドの召喚士になったとは聞いていましたが……学院に忍び込めるくらいに元気になったのならもっと早く遊びにおいでなさい。相変わらず痩せて……ちゃんと食事は取れているの?」 「毎日の食事は取れてます、先生」 「本当かしら。それよりも、召喚士になったからって危険な召喚術はしていないでしょうね?」  宿舎の監視を勤めていたこともあるアーラス先生は厳しい母親といった感じの面も持っている。それが必ずしも生徒たちから嫌われていない理由でもあるのだが、今のオレにとっては退学した後も心配されて情けないやら恥ずかしいやらといった感じだ。  そして危険な召喚――それは間違いなく、オレがここを退学する契機となったあのことを先生も思いだして口にしたのだろう。あの事件のことを思い出すと未だに心の奥底が冷えるような感触にとらわれる。そう、もちろんオレだって好き好んであの事件に巻き込まれたわけじゃないし、今だってわざわざリスクを侵してまで強烈な魔物を召喚したいだなんて思っていない。  ……この間うっかり現れてしまったのが魔物最高位の一つといわれる竜だっただけで。 「あら、その小さなフェアリーが貴方の今の……?」 「いえ……、この子はちょっとメリルに会わせたくて」  メリルの名前を出すと、先生は再び小さく嘆息した。オレも問題児だったかもしれないが、メリルはさらにその上を行くからかもしれない。 「そういえばメリルの友達だったわね、あなたは。あの子、ここ最近授業にまともに顔を出さないでずっと東の塔に通っていて困ったものですよ」  東塔は召喚術を習いたての生徒たちが実際の召喚を習うための実験棟のような場所だ。オレがディズたちと出会った森とは違って悪意のあるものは寄せ付けず、反対にフェアリーたちのような小さな存在を召喚できるようにとこの国でも高名な術師たちが作った結界の中にある。 「たぶん、なかなか召喚がうまく行かなくて焦ってるんだと……様子を見に行ってみます」 「お待ちなさい、ユーグ!」  先生の焦ったような声が追いかけてきたがそれは聞かなかった振りをして。オレはいったん外に出ると東塔に続く階段へと足をかけた。
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