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第1話 続きを書いて欲しいんだ
私がバイトで通っている書店には、作家たちの幽霊が現れる。場所や時間をわきまえず、ただでさえ狭い店内をウロウロとうろつき回る。
幽霊、というのは、いわゆる幽霊を想像してもらって間違いない。
普通の人間より全体的に薄い、足がない、浮いている、壁をすり抜ける。それがアオユリ書店に出現する幽霊たちだ。
書棚の整理をしている時にヌウッと背後に出現するかと思えば、レジのお金を数えながら「なんだこれっぽっちか」とニヤニヤと気味悪く笑う。タチの悪い奴だと、私のスカートの中を覗きこもうとしてくる。
これが夏目漱石や太宰治とか、有名な文豪だったらありがたみもあるが、残念ながらそうではない。化けて出るのは全く無名の三文作家たちだ。生きている間に評価されることもなく、死んでからもその価値を見出され無かった悲しき亡霊たちだ。
……一言で言えば、売れなかった作家だ。
時代の流れによって誰からも忘れされた彼ら(あるいは彼女ら)を私は当然知ることもないし、悪いけれど単純に仕事の邪魔だ。例えるなら、夏になると扉の隙間から入ってくる蛾みたいなものだ。
うっとおしい事この上ない悪霊みたいな幽霊が、大半を占める。
「どうしてお祓いとかしてもらわないんですか?」
「うーん、特に理由はないけれど、害はないからねぇ」
私が抗議すると店長はふさふさと蓄えた白い髭を撫でながら、どうでも良さそうに返事をする。店長は腰を悪くして動き回ることが出来ないので、いつも店の奥でテレビを見ているから、実害を受けない。
「あの、被害を受けているのは主に私なんですけど......」
「彼らも悪い人たちでは無いからさ。悪いけれど我慢してよ。はい、おやつ昆布」
渡されたおやつ昆布を、奥歯で噛みしめる。店長は相撲の中継に目を向けている。悔しいが、これ以上言っても効果が無いのはいつものことだった。
おかげで今日もお祓い用の食卓塩を、エプロンの中に忍ばせる羽目になっている。口論し始める幽霊や、スカートの中を覗き込もうとする幽霊がいたら、塩をひとつまみ振りかける。これが効果てきめんで、塩を投げ込むや否や幽霊は顔を真っ青にして逃げていく。
そして私は床に撒いた塩を、チリトリで拾い上げる。放っておくと床がべたつくので、片付けが必要なのが悩ましい。
毎日こんな不毛なルーティーンを余儀なくされている。素直に大人しくしていれば良いのに、暇があると喧しく騒ぎ始める。作家というのはロクな奴がいない。きっと生前もしょうもないことで周りに迷惑をかけてきたのだろう。
「おい、ハルカ、寝癖がついているぞ」
「寝坊か」
「だらしないなー」
ぶんぶんと飛び回る幽霊たちに、はぁとため息をつく。もう怒る気力すら起こらない。
もともと私は霊感なんてこれっぽっちも無かった。道端で幽霊を見かけたりすることは無かったし、妖怪にも出会ったことがない。心霊スポットに行っても鳥肌の1つすら立たない。どちらかというと鈍感な方だ。
全ての原因はこの書店にある。この場所が幽霊が集まりやすいパワースポットになっているのだと、数少ない善良な幽霊作家の1人である山吹ケイコさんは言った。
「このアオユリ書店には絶版本を中心に、希少な本の数々を所蔵しております。私の様な売れない作家の著作が唯一書棚に並べられているのが、この書店なのです。そのため特に、私たちの様な作家たちの思念が集まりやすい場所なのでしょう」
「国会図書館じゃダメなの? あそこなら何でもあるでしょ」
「ダメです。書店であることが重要なのです。誰かが私の本を手に取り、買って頂けるまで思念は消えません」
ケイコさんはそう言って、私が淹れたコーヒーの匂いを嗅いだ。幽霊は物質と接触できないが、匂いなどは分かるらしい。湯気をクンクンと嗅いで、彼女は幸せそうな表情を浮かべた。
「あぁ、今日も平和ですね」
「それは客が来ないって意味かな」
「いえ、コーヒーの香りがとても良いという意味です。それと本の香りも。とても綺麗に取っておいてくれて、店長さんには感謝ですね」
ニコニコと笑いながら、ケイコさんは本でいっぱいの店内を見回した。
ケイコさんの言う通り、アオユリ書店は店長の書庫のようなもので、明治の始めから昭和後期までの希少本が大事に扱われている。
もう老い先が短いから皆に読んでもらおうと、ほとんど店長の道楽としてこの書店は始まったらしい。自分の家の書庫を解放したようなものだと言っていた。
神保町の空き店舗を知り合いから借りて、細々と運営し始めたのが10年前。彼が昔から集めてきた本は丁寧に扱われていて汚れの1つもない。同じ蔵書家からの評判も良いのは何よりだが、なにぶん置いてある書物がマイナーすぎるので売れない。
「絶版には絶版になる理由というものがありますからねぇ。ただ単純に売れなかったり、あるいは政府から発禁をかけられたりなど。どちらにせよ一度忘れられてしまうと、なかなか掘り起こされませんからね。切ないものです」
「ケイコさんはどっちなの? 売れなかったの? ダメなやつだったの?」
「どっちもです」
「どっちもか……」
ケイコさんは昭和初期に亡くなった作家で、アオユリ書店に常時出没している幽霊だ。
他の作家たちと比べて礼儀の正しい彼女は、いつもカウンターの隅っこに浮かんで客たちを静かに眺めている。話によると、とても裕福な家庭の産まれらしく、常に綺麗な藍色の着物をきこなし、美しい日本髪を結っている。
彼女は作家幽霊の唯一の良心であり、古株でもあるから幽霊界隈の事情に詳しい。質問すると、大概のことは答えてくれる。
「私と店長だけにしか見えないのは何でだろう?」
私がそう質問するとケイコさんは、思案するように顔を伏せた。
「おそらく……ですが、ハルカさんは長くこの書店にいるためだと思います。思念に当てられて徐々に霊感が研ぎ澄まされているのかと」
「霊感って……そんな慣れみたいなもんなの」
「はい。ここは霊感を鍛えるのには素晴らしい場所ですよ」
「別にそんなもん鍛えたくはないけどね」
私の言葉に、ケイコさんはクスクスと笑って、コーヒーの匂いを嗅ぐのを再開した。今日の豆はいつもよりちょっと高いので、かなりお気に召しているようだ。
ケイコさんが言った通り、私がこの書店にバイトをして2年が経っていたが、店内をうろつく幽霊たちは時が経つごとに鮮明に見えるようになっていた。
大学1年生の春から働き始めて、その年の梅雨頃にはうっすらと靄のようなものが見え始めていた。
「なんか空気が澱んでいませんか?」
「あぁ、幽霊だよ」
まるで当然のことのように言う店長に、とうとう本格的にボケてしまったのかと嘆いたが冗談ではなかった。夏頃にはその靄が人の姿に、秋になったら会話まで出来るようになってしまった。
神保町の外れの外れにある私のバイト先は、幽霊が見えるようになったせいで、修学旅行の大部屋みたいな騒がしい喧騒に包まれることになった。
今日も、狭い店内では所狭しと幽霊作家たちが浮かんでいて、創作談義に華を咲かせている。
「どうして太宰が評価されて、俺のが売れなかったんだろうなぁ。あいつなんて、ただの良い格好しいだろう」
「お前のが面白くないからだろう。うすら寒い自伝モノなんて掃いて捨てるほどあるぜ」
「二番煎じのSFも腐るほどあるけどな。何が『アメリカ沈没』だ。あんなの逆立ちしたって売れねぇよ」
「テメェこのやろう!!」
私の頭上で喧嘩をおっ始める作家幽霊たちを、塩をまいて仲裁する。作家が2人集まれば、ここぞとばかりに互いを批判し合う。汚い言葉で罵りあう。
思念というより怨念だ。こいつらさえいなければ、平穏に過ごせるはずなのに。
「どうせ客も来ないから騒がしくしたって良いだろう」
「そうだそうだー」
上空で囃し立てる幽霊作家の言葉に、耳を塞ぐ。
確かに彼らの言う通り、今日も客という客はほとんど来ない。買う客が少ないので、私のバイト代も少ないし幽霊たちも成仏できない。負のループだ。
やることもないので、ケイコさんとおしゃべりしながらカウンターに座っていると、1人の客が店に入ってきた。会話を中断してニコッと営業スマイルを浮かべたが、入ってきた客がフワフワと浮いていることに気づいてすぐにやめた。
「……なんだ幽霊か」
入ってきた男は甚平を羽織った男の幽霊だった。ぼさぼさの頭をかきながら店内を物色するように、キョロキョロと見回している。大方、自分の作品を探しているのだろう。典型的な幽霊作家だ。
ガリガリの身体と無精髭。まだ白髪も生えていないし、割と若くして亡くなった人のようだ。
アオユリ書店に新参者の幽霊が現れるのは、珍しいことではない。どこかで噂を聞きつけて、フラフラとやってくる。そのまま定住するものいれば、何処かに去っていくものもいる。私の感覚だと定住するものが1割くらい。1月以上残るものは数人だ。
書店の売れ行きが芳しくないのを見ると、多くの作家たちは悲しそうな顔で違う書店へと去っていく。残るのは我慢強いケイコさんみたいな人や、移動するのが面倒臭い偏屈な幽霊だけだ。
そのボサボサ頭の幽霊作家も例のごとく、書棚を物色し自分の著作を探している。
書棚にないことを確認すると、平積みになっている本の束を探し始めた。地べたに座り込んだ彼は、山の底の方にある本を発見すると手招きをして、私に呼びかけた。
「おい、ちょっと」
「……」
面倒臭そうなのでスルーすることにした。幽霊(特に作家から)の頼み事はロクでもないことを私は知っている。
視線を手元の文庫本に落として、素知らぬふりを決め込んだが、ボサボサ頭の幽霊作家はふわふわと近づいてきて私の顔を覗き込んだ。
「さっきから俺のことを観察していただろ。今さら無視するんじゃない」
「……」
「頭の上に蛾が止まっている」
「えっ」
慌てて髪を触ったが何もいなかった。
そんな私の様子を見て男はしてやったりという笑みを浮かべた。嵌められた。やっぱりロクでもない奴だった。
私が反応したのを確認して、男は再び口を開いた。
「あの下にある本を取ってほしい」
男は山積みになっている本の束の底を指差す。赤い背表紙の古ぼけた本だ。仕方がないので、積み重なっている本をどかして男の前に掲げてみせる。
「これ?」
「そうだ」
「『去りゆく恋』、恋愛小説ですか」
ケイコさんが興味深げにのぞき見する。
赤い表紙のくたびれた本には『去りゆく恋』という題名と『尾崎ツキヤ』という作者の名前が書いてあった。昭和46年の初版本で聞いたことも見たこともない本だ。
「俺が書いた」
「へー、そうですか」
自慢げに腕を組む男に肩をすくめる。
だいたい見当は付いていた。大方売れずに絶版になった本で、店に並べられている書店がここしか無かったのだろう。
「頼みがある」
そら来た。
このツキヤという男が次に言うセリフは1つ。店頭のもっと良いところに並べて欲しい、だ。
ここに現れる作家幽霊の目的はそればかりだ。
「お前にこの小説の続きを書いて欲しい」
「あーはいはい、じゃあ真ん中の書棚に置いておきますから。適当にフワフワ浮いてお待ちくださ……」
ちょっと待て、今変な言葉が聞こえなかったか。視線を上げると男はまっすぐに私のことを見つめていた。
「この小説の続きを俺と一緒に書いて欲しい。結末が気にくわないんだ」
「………………え?」
何を言っているんだ。
ただ、目の前の幽霊作家の顔は真剣そのもので、冗談を言っている風ではなかった。
その言葉に、私はただ呆然と見つめ返すことしかできなかった。
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