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第2話 作家というのはロクな奴がいない
私は近くの大学の文学部に所属している平凡な女子大生だ。文才などない。
母親の知り合いのツテで店長の手伝い(バイト)をしているだけで、本が特別好きという訳でもない。もちろん小説を書こうなんていう気持ちもさらさら無い。
「この小説の続きを俺と一緒に書いて欲しい」
突然現れたツキヤという幽霊作家の頼み事を、私は当然断った。
「……いやです」
「……そこをなんとか! 俺の言う通りにペンを走らせるだけで良いんだ!」
ツキヤは手を叩いて、これでもかというほど頭を下げてきた。
幽霊に拝まれるなんてなかなか滑稽な絵面だ。どうすれば良いんだろう、これ。
「つまり、あなたはハルカさんに自分の代わりに書いて欲しい。ペンと紙を使って本を書いて欲しいということですね」
ケイコさんが私の横から本に目を通しながら、興味深げに呟いた。
「幽霊のゴーストライターってこと?」
「そういうことだ! 書き直して、新しい作品として世に出して欲しいんだ」
「うーん……いやだ」
私にメリットがない。
売れなかった作家の売れない作品を書き直したところで、面白い作品ができると思わない。辛辣かもしれないけれど、断る時はハッキリと。これが私のポリシーだ。
しかし1年近くアオユリ書店にいたが、こんな怨念を持った幽霊作家は初めてだ。
「一応聞くけれど、どうしてそんなことを?」
「それは……」
私が質問すると、ツキヤは言いにくそうに口をモゴモゴさせた。
「結末が食わないんだ」
「それは、どの辺が?」
「読んでみれば分かる」
手元の本をめくってみると、結構な文量がある。ちゃんと読むには、がんばっても半日くらいかかるだろう。学校のレポートもあるし、今の私にはちょっと手間だ。
再び首を横に振って「いやだ」と断った私に、ケイコさんがやんわりと口を挟んだ。
「私は面白そうだと思いますけどね」
パラパラとページをめくる私の手元に視線を落として、ケイコさんは目を輝かせながら語り始めた。
「小説家を目指して、故郷を出てきた主人公のタイヨウ。大作家になって帰ってくると恋人のユカリに誓ったものの、なかなか売れずに葛藤する……はい、非常に興味深いです」
「売れない作家って……つまり、自伝?」
「私小説だ」
「実体験を元にした小説ということですね」
ツキヤはあぐらをかいて、フワフワと浮きながら頷いた。
「それは俺が25の時に書いた小説だ。主人公の名前以外はだいたい本当だ。福島の田舎から出てきた俺は刺激を求めて東京に来た。ここに来ればネタもチャンスも、たくさんあると信じていた」
「それで、ダメだったんだね……」
私がそう言うと、ツキヤは悔しそうに顔を歪めた。
「くだらないゴシップ記事を書いたり、芸能人のゴーストライターをやったりで、結局肺の病気で呆気なく死んじまった。この本も知り合いの編集者が、死後に出版してくれたお情けみたいなもんだ。大して売れもしなかったけどな」
「恋人の話は?」
「それも……本当だ」
ツキヤは顔を伏せて、大きくため息をついた。
「必ず大作家になって迎えに行くと息巻いたのは良いものの、結局故郷を出てから一度も会うことが無かった」
「あなたが書き直したいエンディングというのは、この部分のことですね」
ケイコさんがページの最後の部分を指差す。さすが幽霊作家、もう話の内容を掴んでいる。ケイコさんは細い指で文章をなぞっていった。
「『電話の向こうにいるユカリに、大丈夫上手くいっていると告げた。そう言った自分の声が震えているのが分かって、返答を待たずに電話を切った。そして公衆電話の前で人目もはばからずに号泣した。
必死に涙を押し殺そうとしたが、もうどうにもならなかった。冷たいコンクリートの地面の上で、雑踏の喧騒の中でこのまま一生眠ってしまいたいと思った。誰からも忘れられて消えてしまいたかった』
これは……悲しい結末ですね」
「その本の終わりを書ききることが出来ずに、俺は病気で死んじまった。まるで物語をなぞるみたいに社会から消えてしまった。だけど、この終わり方じゃなんというか…………」
「未練が残る、と?」
言葉を詰まらせたツキヤの代わりに、ケイコさんが代弁した。その言葉にツキヤはボサボサの頭をかきながら、小さく頷いた。
「そう、未練が残っている。喉の奥に引っかかった小骨みたいに、枕元でわめく蚊みたいに、心のどこかに残っていて成仏できないんだ」
「そういうことね……」
目の前を浮かぶツキヤを見上げる。彼の表情は暗く、思い悩むように頬に指を押し付けていた。眉間には深々とシワが出来ている。
ケイコさんが言うところによると、この幽霊作家は自分自身を投影した『タイヨウ』という作家の結末が、納得いかないということらしい。
いつの間にか他の幽霊作家たちも私の周りに集まって、訳知り顔で相槌を打っていた。
「分かる、分かるぞ」
「さぞ無念だっただろうなぁ」
「俺も母親の死に目に会えなかった……」
「お嬢ちゃん、手伝ってやったらどうだ」
「そうだそうだ」
宙を飛び交う幽霊たちは好き勝手に、私にプレッシャーをかけ始めた。隣に座るケイコさんも、同情したような視線をツキヤに向けている。
どうしよう、これで断ったら私が人でなしみたいじゃないか。
「頼む!」
ツキヤは空中で深々と土下座した。
……誰かに土下座されるなんて初めてだ。ここで断ると、人として大事なものを失う気すらしてきた。
「ほらお嬢ちゃん、こいつもこんなに頼み込んでいるんだ」
「やってやんなよ」
そして逃げ場がない。八方ふさがりの私は、ツキヤの頼みごとを承諾するしか道がなさそうだった。
「……仕方ない」
「よっしゃー!」
ツキヤは拳をあげてガッツポーズした。さっきまでの困った表情はどこ吹く風だ。なんとまぁ調子が良い奴。
「それで、何を書けば良いんですか?」
キャンパスノートを広げて、引き出しからシャープペンを出す。さっさと続きを書いて、早々にお帰りいただこう。
シャープペンの芯をカチカチと出して待ち構えていたが、ツキヤは言葉を発しようとはしなかった。視線を上げると、彼は口を閉ざして顔をしかめていた。
「それがなぁ……」
「それがなぁ?」
どうも、話の続きを書こうという雰囲気では無い。初っ端から「うんうん」とうなり始めている。
雲行きが怪しくなってきたぞ。嫌な予感に背筋を震わせていると、しかめっ面をした幽霊作家は信じられない言葉を放った。
「……何を書けば良いのか分からないんだ。何十年も考えたが、納得のいく結末が思い浮かばない。書きながら、お前も一緒に考えてくれないか」
その言葉にぽきりとシャープペンの先っぽが折れて、どこかへと飛んでいった。
「なんとまぁ」
「こりゃ終わらんなぁ」
「退散、退散」
宙を舞っていた他の幽霊作家たちは大きくため息をついて、我関せずと散会してしまった。ツキヤの発言で何かを察したようだ。
私の隣にいたケイコさんもその言葉に唖然として、ツキヤに問いかけた。
「何十年も描けなかった結末が今になって描けるのですか?」
「たぶん。俺は描きながら考える方だから、推敲を重ねればどうにかなるだろ」
「ものすごく時間がかかると思われますが」
「あー、そうかもしれんな」
ツキヤは呑気な顔で返答した。
私が承諾すると言ったから、随分と不遜な態度になっている。
「まぁ、何年かかろうが出来るだろう、きっと、たぶん」
……だめだ付き合っていられない。描きながら考えるなんて、日が暮れようが、夜が明けようが、地球が何周回ろうが終わるはずが無い。
ケイコさんが言った通り、何十年も想像できなかった結末が今更書けるとは到底思えない。書いたり書き直したりで、腱鞘炎に悩ませる未来が垣間見えた。
「よいしょ」
私はシャープペンを引き出しにしまって、改めて彼と向き直った。
「やっぱり断っても良いですか」
最初から頼みごとなんて、聞くんじゃなかった。やっぱり作家というのはロクな奴がいない。
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