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第6話 霊心酒バー
翌日、アオユリ書店に帰ると作家幽霊たちは、カウンターのところに集まって会議をしていた。私の姿を見とめると、ケイコさんがふわふわと寄ってきた。
「どうでしたか、昨日のデートは?」
「あれ、ツキヤに聞いてないの? 実はさ……」
ケイコさんたちに昨日の出来事を話す。ミコさんと会って、ユカリさんの感想を伝えてもらうことになったと話すと、ケイコさんたちは神妙な顔をして頷いた。
「なるほど、それで……」
「どうかしたの?」
「実はツキヤさんが行方不明で、ハルカさんと出て行って以来姿を見ていないのです」
「へ?」
そんなはずはない。昨日私はアオユリ書店の近くでツキヤと別れた。けれど書店にいないということは……、
「逃げたな」
「すんでの所で怖くなったか」
「まぁ気持ちは分からんでもないがな」
「ひょっとして成仏したのかもしれんな」
私たちの話を聞いていた幽霊作家たちが、めいめい勝手なことを言い始める。
あれだけ思い悩んだ顔をした幽霊がそう簡単に成仏するとは思えないので、きっとどこか逃げたというのが正しいだろう。そういう方向で私たちの議論はまとめられた。
「でもどこに逃げたんだろう?」
「おそらくツキヤさんに縁のある場所でしょう。幽霊は基本的に縁のある場所にしか行くことができないので」
「じゃあ故郷に帰ったのかな」
「……可能性としてはなくもないですが、ツキヤさんの故郷まで行くのは時間がかかりますし、現実逃避するならもっと近場に潜んでいるはずです」
「そっかー、なるほど」
ケイコさんの話はもっともだった。
幽霊は物体に接触できないという大原則があるので、交通機関が使えない。ふよふよと浮いている幽霊の速度は徒歩より遅いので、長距離を移動するのには向いてないと、聞いたことがある。
「縁のある場所って言えば、新宿?」
「おぉ、あそこには幽霊作家の溜まり場もあるぜ。場所教えてやろうか?」
アル中作家のカムイさんがひょっこりと顔を出した。この人はいつも顔を真っ赤にして一升瓶を抱えている。誰とつるんでいるのは定かではなかったが、何処かにいっては一升瓶の中身を補給して帰ってくる。
「溜まり場?」
「そうそう。新宿のゴールデン街の2階に霊媒師がやっている幽霊専用のバーがあるんだ。あそこに行けば酒が飲めるからなぁ」
「水にもさわれないのに、どうやって酒を飲むのさ……?」
「その霊媒師が特注の酒を作ってくれるんだ。霊心酒ってな。これがそうだ」
カムイさんは私たちに『霊心酒』と書かれたラベルを見せて、キュポンとふたを開けた。そのふたの方に鼻を近づけると、ぷぅんとアルコールの匂いがした。
「本当にお酒っぽい匂いがする」
「あぁ腕の良い霊媒師が作ってくれるんだ。死んでからも酒が飲めるなんて、こりゃあますます成仏できねぇな」
ガハハと口を開けて、カムイさんは笑った。
幽霊に酒を売りさばくなんて、その霊媒師は何を考えているのやら。面倒臭そうなのでなるべく近寄りたくはなかったが、昨日のツキヤの顔を思い出したら、そうも言っていられなかった。
「じゃあ、迎えに行きますか」
「……あら、珍しいですね。いつものハルカさんなら腰を上げないと思ったのですが」
「ちょっと可哀想かなぁって思って」
「ふふ、少しだけ仲良くなったみたいですね。それでは、せっかくなので私もご一緒しましょうか」
ケイコさんは置いてあった古い本を指差して、私のカバンに入れるように言った。派手やかな装丁の本で、著者の一覧にケイコさんの名前が書いてあった。
「そちらの本を持っていただければ、私の事も視認できると思います」
「はーい。そういえばケイコさんってどんな本書いてたの?」
軽い気持ちでパラリとページをめくると、目に飛び込んできたのは、考えもつかないようなイヤらしい言葉だった。「淫」とか「濡」とか「快」とかの言葉がつらつらと並んでいる。
本を持って呆然と立ちすくむ私に、ケイコさんが優しく声をかけてきた。
「あぁ……それはまた今度にしましょう」
ケイコさんは張り付いたような笑顔を浮かべて私の手を止めた。口は笑っているが、目は笑っていない。背筋に寒気が走る。
一体何なんだこれは……。
底知れない闇を抱えたケイコさんと一緒に、私は新宿へと向かうことになった。
◇◇◇
昼間ということもありゴールデン街に人気はなく、観光目的の外国人がパシャパシャと写真を撮っているくらいだった。
カムイさんが言っていた場所は狭い路地の奥で、思わず見逃してしまいそうなところにあった。古ぼけた非常階段を上っていくと、『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた木製のドアがあった。
「ここかな?」
「そのようですね。こういうところに入るのは初めてなので、緊張します」
「私も……」
バーなんて入ったことがないし、ましてやこんな得体の知れない建物に踏み入れるのは怖い。一応、店長に場所は言っておいたから、何かあったら通報してくれるはずだ。
きっと、たぶん。あの店長を信じるしか無い。
「……行くよ」
「はい」
ドアノブに手をかける。勇気を出して扉を開けると、薄暗い小さなバーカウンターが広がっていた。人が5、6人座れそうな店内には客はおろか、酒の瓶すら置いていなかった。
「いらっしゃーい」
太い男の声が薄暗いカウンターの方から聞こえる。
そこには金髪のロン毛のカツラを被ったガタイの良い人がいた。唇には綺麗なピンクのリップを付けて、花柄のドレスを身にまとっている。推測するにバーのマスターと言ったところだろうか。
そのマスターは何もないところでパントマイムのように、手を動かしていた。
「2人……かな? どうぞ」
私の隣にも目をやって、マスターは手招きした。
「は、はい! もしかしてケイコさんのことが……」
「もちろん、見えてるわ」
マスターはパチンと軽やかにウィンクした。やっぱり霊媒師だ。本当に(私たち以外にも)見える人がいたんだ。
手前の席に座ろうとすると、マスターは首を横に振って奥のカウンター席を指さした。
「そこは座っているから、奥の席へどうぞ」
「へ?」
「ハルカさん、その席には違うお客さんが座っています」
ケイコさんが感心したようにマスターのことを見ていた。私が見る限りでは店内に私たち以外の人は見当たらなかった。
キョトンとする私に、マスターはカウンターからサングラスを取り出した。
「これ付けてみて」
丸い縁のどこにでもありそうなサングラスを渡される。100円ショップで売っていそうなチープなデザインだったが、かけてみるとバーの風景が一変した。
「わぉ」
驚きで思わず声が出る。
見える風景も、聞こえる雑音も一瞬で変化した。
殺風景だったバーが、一気に幽霊たちのどんちゃん騒ぎの会場へと変わっていた。
私が座ろうとした席では、男の幽霊が隣の女性幽霊を口説こうとしていた。隣では顔を真っ赤にした3人の幽霊が、何やら議論を戦わせていた。テーブルの方では私たちの顔を興味深げに見ている作業衣を着た幽霊がいた。
そして奥のカウンター席では—————
「あ、いた」
ボサボサ髪のツキヤがカウンターに突っ伏していた。完全に酔い潰れている。私がそう言うとマスターは納得したように頷いた。
「なんだ、ツキっちゃんのお客さんかぁ」
「はい。私がハルカでこちらがケイコさんです。私、書店のアルバイトをしてて……」
「知ってる知ってる。私はサダメっていうの。この幽霊酒場の経営者やってるわ、よろしくねー。……それにしても昔の女に会わせたんだって? 可愛らしい顔して、ひどいことするわねぇ」
「そ、それは違くて……!」
「冗談、冗談よー」
サダメさんはおかしそうに笑って私たちを席に案内してくれた。ツキヤの隣に座るとグゥグゥと寝息を立てて眠っていたことが分かった。試しに声をかけてみたが、うんともすんとも言わなかった。
「昨日からずーっと飲みっぱなしで、ようやく寝てくれたわー」
大きくため息をついて、サダメさんは半透明のグラスをカウンターの上に置いた。
さっきから何もないところで手を動かしていたのはこれだったんだ。グラスに触れようとすると、指が通り抜けてしまった。
「あら?」
「まだハルカちゃんには早いかなー。霊心酒って言って幽霊専用のお酒なの」
「しかし酒瓶も何も見当たらないですが……」
ケイコさんが不思議そうに言うと、サダメさんはにっこりと笑って指でくるりと円を描いた。するとそこが白い靄になり、そのままグラスにポチャンと落下して液体へと変化した。
グラスの中で波紋を立てる液体。ぷんとアルコールの匂いがする。あっという間もなくお酒が出来上がっていた。
「……すごい」
「霊媒師だから、これくらいなんてことないわ。飲んでみる?」
サダメさんはグラスをケイコさんの前に置いた。透明な液体がグラスの中で静かに揺れている。
「少し元気になるけど、もちろん害はないわよ」
「い、いただきます……」
恐る恐るケイコさんがグラスに口をつける。唇の上にグラスの縁を乗せて、お酒を口の中へと注いでいく。目を閉じて、ケイコさんは舌の上でゆっくりと味わっていた。
コクリと小さく喉を鳴らして飲み込み、彼女はホッと息を吐いた。視線をあげたケイコさんは、感嘆の表情でサダメさんを見ていた。
「……とても美味しいです!」
「良かった。味にはこだわっているのよ」
「はい、これは幽霊たちにとってはある意味……毒かもしれません」
ケイコさんは、そう言ってバーの中にいる幽霊たちを見回した。皆、霊心酒を飲んで顔を真っ赤にして、好き勝手に騒いでいる。居酒屋の酔っ払いそのものだった。
「毒ねぇ、間違っちゃいないわ。お酒ってそういうものだものね」
「どうして、このバーを経営しようと思ったんですか?」
「そうねぇ……例えば雨の日に、道端で子猫が捨てられているのを見たら、あなたはどうする?」
サダメさんは楽しそうな顔で、私に問いかけてきた。
……子猫?
そう言われて、雨に打たれてずぶ濡れになっている子猫を想像する。つぶらな瞳で自分を見ている子猫。それを放っておくことなんてできない。
「拾います」
「じゃあ自分の親から猫は飼えないって言われていたら?」
「そしたら……」
ダメ元で拾ってみるだろうか。
でも戻してきなさいって言われるのは分かっている。もしかしたら誰かに拾われるかもしれないって考えて、見ない振りをして逃げていく姿を私は想像した。
それは……困った。
そんなやり切れない想像が表情にも出ていたのだろう。私を見ながら、サダメさんは優しく微笑んで話し始めた。
「私は青森で霊媒師の家系に生まれたの。一家でも才能がある方でね。どこいても私の周りには幽霊たちがいた。それこそ、こういう濡れた子猫みたいな幽霊たちもいた」
そう言ってサダメさんは突っ伏しているツキヤに視線をおいた。
なるほど、ずぶ濡れの子猫……か。
「こういう居場所の無い子たちが集まれる場所を作りたかったの。お酒はそのための小道具に過ぎないわ。ほら、死んでからも苦難に苛まれるって不幸なことじゃない。せっかく死んだのだから、少しくらい楽しくしても良いはずよ」
「えぇ、それはすごく分かります」
ケイコさんはうなずいて、再びお酒に口をつけた。「本当に美味しいです」とケイコさんが言うと、サダメさんは嬉しそうに私たちの顔を見た。
「けれど、あくまでも私は子猫を一時的に預かっているだけ。いずれみんな帰るべき場所に帰っていく。それだけは間違いのないことだから」
「帰る場所……」
「そうよ。誰にだってあるはず。ほらツキっちゃん起きなさい。お迎えが来たわよ」
パチンとサダメさんが指を鳴らすと、突っ伏していたツキヤの身体がピクリと揺れた。顔を起こしたツキヤは、目も満足に開いておらず本当にひどい表情をしていた。
徹夜明けの私でさえ、もうちょっとましな表情だろう。そんな風に思わせるほど、ひどい顔だった。
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