明星を背負いて

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明星を背負いて

 雪原に上った陽が、白い地平に宝石のような反射光をちりばめる。大気は痛いほどに澄み、風が頬を冷たく撫でてゆく。 ――厳しい御方であった絽公を葬送( おく )るには似合いの朝だ、と李周は思った。  視線の先では李周麾下の兵たちが、凍てついた土に円匙を突き入れて主君の塚穴を掘っていた。頭上では紅旗が悲しげに戦いでいる。  ――絽公よこのような地に墓所を定めますことお許しください。願わくば安らかに雪にお還り下さい。  …やがて重い空気を裂くように、軽やかな馬蹄の音がし、振り向くと絽公の子・清嶺が雪煙の中から現れた。黒馬を寄せてきた清嶺は具足姿で、ざくりと雪原に降り立った。 「やぁ間に合ったか」  頭を下げて亡君の子を迎えながら、李周は眼差しに険を込めざるを得ぬ。 「旅路に斃れた父君を葬り、急ぎ行軍を再開せねばならぬというこの大事なときに、何処(いずこ)へお出ましで在られたか」 「済まぬ済まぬ」  気軽な口調で問いを躱した清嶺は、父の骸に近づいて懐から一輪の野花を出し、亡骸の胸上に手向けた。 「母がここに在れば、きっと(こいつ)を手向けたであろうと思ってな。この雪だ、探すのに苦心した。四里ほど駈けた」  都で訃報を受け取るだけの母君の慟哭(なげき)を慮ったか。花を置き手を合わす清嶺の横顔を、李周は意外な思いで見詰めた。しかし口から出るのは苦言である。 「そのようなことで(いたずら)に御馬を疲弊させては…」  だが立ち上がった清嶺は、李周の諫言などどこ吹く風だ。凛々しい黒瞳が、真正面からこちらを見据えてくる。 「李周」 「は」 「俺はこれより父の後を継ぎ絽国公を名乗る。今のところ荒れた都にぼろい城、厳しい土地があるだけの、国とも呼べぬ小国だがな。今はまだ覇国の遠征軍の尻尾について回るしか()し上がるすべを心得ぬ……。しかし絽軍五万の精鋭と、軍聖と誉れ高い李周(おまえ)が、俺にはある」 「…はっ」  吹きすさぶ風に負けじと李周は足を踏みしめた。……貧しきこの兵らを、貴方は精鋭と呼んでくださるか。  父君の客死は、悪道者であった清嶺に目覚めの刻を運んできたのかもしれぬ、と思った。 「呉呉(くれぐれ)も遍く知らしめよ、雪原の勇・絽公は戦死に非ず、絽軍未だ意気軒昂にして北极星の加護ありとな」  清嶺の声は朗々と、雪原の兵らの上に響き渡る。  片膝をついた李周に近づき、清嶺はその顔を見下ろしてきた。 「涙を拭け李将。供養が終わり次第、陣を畳み南へ進軍を再開する。これよりは俺がお前のあるじだ。父がお前に見せてやれなかったものを、俺が必ずお前に見せてやる――俺から、離れなければな」  大陸一の覇国が、李周の知勇を手に入れんと虎視し、引き抜かんとしているのを知ってのその言葉か。口の端を持ち上げる清嶺に、李周は恐縮して何も応えることができぬ。 ――父君に受けた恩をそのように仇で返すはずなどない。それでも清嶺と自分は、これまで直接的な主従関係ではなかった。  清嶺は五万の軍勢と、李周を父から相続したと云う。一国の軍勢と同等の価値を、この私に看て取って下さるか。  若き君主となったその顔には未だかつて見せたことのない覇気が浮かんでいた。李周は雪に額ずき、新しき主に深く深く叩頭した。頭を下げる直前、清嶺の背負う明星が、李周には確かに見えた。  幻だとしても、確信を得るにはそれで十分だった。
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