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夢を託す
『いつか俺が道を違えたと、お前が思うときが来たならば、その時は遠慮なく兵を起して俺を討て。李周お前は永々に、この絽国の良心であって欲しいのだ』
片目を瞑り、番えた矢を引き絞れば、残る利き目の中に主の横顔が映る。
狙いながら李周は、あるじが己にかつて告げた言葉を思い起こしていた。
確かに大国の属八州の国々において、“軍聖”とまで讃えられる清廉潔白の将は李周を除いて他に誰もおらぬ。だからこそ主君はそのような言葉を寄越したのだろう。
『――絽公よあなたは私を無条件に信じておられるが、私の良心はいったい誰が見極めるのだ』
あなたを屠り、絽軍を直接覇国の指揮下にする。そうすれば小国の将軍などをやるよりもずっと良い俸禄で覇国に雇われることができる。うまくいけばこの国並みの領地さえ――。
私が、度重なる覇国からの勧誘をいつまでも断り切れるとあなたは思っているのか?
ぎりぎりと。松脂に汚れた手の内を絞る。
あるじよ、――気づいてくれ。――気づかないでくれ。
矢が離れる瞬間、絽公がこちらを振り向いた。何も恐れのない、鋭い煌めきが目の奥に迸った。
ひゅうぃッ
放った矢は若い主の頬先を掠め、絽公に近づかんとしていた一人の側近の首元を射抜いた。
たちまち騒乱となった陣中にて、絽国公・清嶺と李周将軍のみがやや距離を置き、佇立する。
李周はゆっくりと弓を置き膝をついた。
「その者は賊にございます、公。その者は覇国の息のかかった者です。私に、貴方様を裏切り絽国の兵を率いて覇国の元へ参じろと唆しました」
「何を見返りに?」
「絽国王の座を皇帝が約束してくれると」
主は哄笑した。
「民がおらねば王の座など何の役に立つものか。そうなったところで民がついてくるまいて」
絽公は笑いながら天を仰ぎ、それからぐるりと李周を見た。深く洞察するような、それこそきりりと射るような、潔い眼差しであった。
「お前を父から相続いだことは、やはり俺の幸運だった。褒美をとらそう、こやつを片付けさせた後で、おれの天幕へ来い」
そっけない態度はそのままに、主は身を翻す。李周は深く叩頭し見送った。
汗が噴き出していた。一瞬あなたを弑そうかと本気で考えたこと、見抜かれていたのか。
これほど戦が長引くのは小国が多く割拠するせいだ。覇国がすべてをひとつに統一せぬかぎりこの戦乱の世に終わりはないと私が洞観していることも、全て、見抜いておられるのか。
それでも絽公はのらりくらり、愚主のふりをして心胆で策を練る。
戦乱の世をこの国ごと生き抜く策を。
――そうだおれも幻の地位などに、血迷った妄想を見ている場合ではない。
李周は両腿で掌の汗を拭き、立ち上がる。
あるじの残り香もまた血臭。
それでも己は、あるじの夢に身を託す。…そういう生き方をしようと、かつて誓ったのだから。
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