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雪下に芽吹くもの
(ああ、大殿がご存命であれば…)
心奥で呟いてから李周は慌てて辺りを見回した。詮なき嘆きが思わず声に出たかと胆を冷やしたが、違った。
側近らは表情を凍てつかせ眼を血走らせ、一里の先を、無様に潰走してくる友軍を捉えていた。
(若殿はまだ戦を知らぬ。仕方のないことだ。
だがこんなところで死なれては困る。お助けし、一旦は退いて体勢を立て直そう)
「者共、御加勢せよ!」
息を止めた陣中に向け李周は声を張り、己の剣を抜いた。
腹の底から叫んだ瞬間、為すべきことが怒涛のように脳内を躍った。それこそ火中の栗のように瀬戸際の意地が弾けた。
まず絽公のこと。味方の残数はどうか、後背への伝達、新たな布陣図。敵に忍ばせた間者、そして輜重。点と点を脳内で新たな線に結び、一瞬で差配を立てねばならぬ。
ことさら主が代替わりしてから李周には迷う時間がない。
殿は殿は何処。部隊を率い軍馬を疾駆させながら目を凝らす。
すると目の前の友軍が一様に足を止め踏みとどまって、馬首を敵方に巡らせた。
その中にひときわ大きな軍馬が見えた。清嶺の葦毛だ。李周は馬ごとまろぶように駆け寄った。
「公!」
「よう李周、敵を引き込んだぞ、あとは畳みかけよ」
主は血ぬれた切先を振り、にいと口角を上げた。目つきは悪童時代を思わせた。
鶴翼の陣、そうか潰走したに見えたは演技か。この若造め無傷の俺の部隊を計算に入れていたか。先に言えこの阿呆、死ぬほど胆が冷えたわ。なんとなく、そうではないかと推察はしたけれども。
李周は内心で悪態をつきつつ声を張る。
「は、お任せあれ! 李軍前へ!」
凸形陣となった自部隊を突撃させながら李周の眼は絽公を捕えて離さぬ。
生き生きとした主の眼。まるで雪下の新芽に春を寿ぐような、軽やかな表情。返り血で染まっているが余裕がみてとれる。
「李周、一瞬戸惑うたか」
「いえ」
思わずむきに否定する李周に、それ以上深く踏み込むことはなく主は葦毛の鐙を蹴った。
「言っただろう、いい加減俺を信じてついて来い、面白いものを見せてやると」
(確かにあの日あなたはそう言ったが、俺の見たいのは面白いものなどではなく、あなたの立身した姿なのだが。小国の諸侯ではなくあなたを帝と仰ぎたいのだ)
面と向かっては言えぬ思いも、今はこの剣に込めようではないか。そう、まずは一つ切り抜けてからだ。
李周は奮い立つ。足元の平原には少しずつ春が芽吹いている。
この春を生きのびたあかつきには、そろそろ腹を割って酒酌み交わしたいものだ。
さすればおれは、酔うたるふりにて夢の話をしよう。
頭の中を駆け巡る夢の。
あなたをもっと高く仰ぐ夢の。
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