4. 凍曇

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 テスト飛行を終えた『AKATSUKI』号が戻ってきた。 「お疲れさま!」  舞は、できるだけ元気よく出迎えた。  戻ってきた暁は、晴朗に「雨天でも、バッチリ飛べます」と、報告した。 「それなら安心だ」  暁の力強い言葉に、険しかった晴朗の表情がようやく緩んだ。 「さすが、天才」  雲霄が冷やかして、暁は照れた。 「やめてくださいよ」  舞は、それを聞き逃さない。 「天才って、暁のこと?」 「ああ、そうだ。暁は、エアレース選手の中でもずば抜けた才能の持ち主。圧倒的な操縦センスとチャレンジする勇気がある。ワールドシリーズに初出場で優勝をかっさらったときは、誰もが度肝を抜かれた。その優勝で最年少記録を作り、今でも破られていない」  舞は、雲霄の説明に驚いた。 「暁って、そんなに凄かったの」  晴朗も雲霄も「ハハハ……」と、驚く舞を笑っている。 「たまたま、運がよかったのもあるよ。僕の時だけいい風が吹いたり」 「謙遜しなくていい。風を味方につけるのも実力のうち。逆に、突然の乱気流でも乗りこなした大会もあっただろ? どんな風でもものともしないんだから、天才と言わずしてなんという」 「雲霄さん、褒めすぎ」 「私は君の実力にほれ込んでチームに入れてもらったんだ。君は自分が特別だって分かっていないけど、君の持つ技術は誰かに教えられるものじゃない。持って生まれたもの。だから、天才。次の大会でも当然注目されている。優勝すれば年間チャンピオンが確定したようなものだからね」  雲霄は、まるで暁をアイドルファンのようにあがめ褒めまくる。  自分より遥か年下の少年に完全心酔しているようだ。 「年間チャンピオンって、どうやって決まるんですか?」 「レースの結果順位に応じてポイントが獲得できる。一年間で獲得した総合ポイント順で年間チャンピオンは決まるんだ」 「じゃあ、たくさん出ないとならないのね」 「そうなんだよ。できるだけたくさん出ることだ」 「年間チャンピオンになるとどうなるの?」 「最高の栄誉と桁違いの賞金。スポンサーもたくさん集まり、活動資金が潤沢になる。プライベート飛行場も作れるほどに」 「うわ! そうなるといいですね!」 「今は、トラックに機体を積んで会場まで移動しないとならないけど、専用の貨物機も持てるし、スタッフも高給で雇える」 「私たちチームメンバーは、今は手弁当で協力しているんだよね」  雲霄さんは、そこに期待しているように見える。 「年間チャンピオンになるって、すごいことなのね」  それだけに、熾烈な競争。  日本の片田舎まで来て、ライバルを蹴落とそうと画策する輩がいてもおかしくない。 「やっぱり、ライバルがパソコンを隠したのかな」 「他にも、考えられることもある。賭博関係とかね」 「賭博? 暁が賭けの対象になっているってこと?」 「ああ。ワールドシリーズは、ブックメーカーの賭け対象だ」 「ブックメーカーって、出版社?」 「違うけどね」  ハハハと笑った。  雲霄が説明した。 「ブックメーカーは、世の中のすべてに対してオッズを出す。その中でも、レースははっきり結果が出るし予想も立てやすいから絶好の対象なんだ。各選手に対して倍率(オッズ)を出す。選手が急な体調不良でレース不参加でも、一度払い込んだら返金不可。オッズは最後まで変動しない」  舞にはその意味がよくわからない。 「それって、どういうことですか?」 「日本の競馬は、締め切り直前までに集まった賭け金によって倍率が変動する。購入締め切り後に人気の高い馬の倍率を低くする。そうなると、人気馬に賭けて勝っても配当が少ない。ブックメーカーはそうじゃない。ブックメーカーの予想でオッズを決める。高倍率の選手に大金を賭けて当たれば、高倍率のままで支払われる。ブックメーカーとギャンブラーの戦いなんだ」 「じゃあ、違法なの?」 「日本では違法だけど、海外では合法だよ。一般庶民の楽しみの一つ。でも、そこを利用する闇組織は多い」  雲霄は、怖い世界の話を持ち出した。 「大金が絡んでの不法行為となると、我々には対抗できない組織が出てくる。残念だが、被害者である我々が騒がないことが、一番の対処法となる。これ以上、何かされたら、エアレースに影響が出てしまう。今は穏便に済ますことだね」 「選手に危険が及ぶ場合もあるってことよね? 暁が心配……」  ここまでくると、むしろ、ただの泥棒であって欲しい。  パソコン程度の被害なら、まだマシなのかもしれない。  暁は、舞の不安を払しょくするように優しく言った。 「直接的な危険はないと思う。事件になったら、警察が動いてしまうからね」  それから、雲霄に頼んだ。 「突飛な話で舞を不安にさせないであげてよ」 「ああ。悪かった。でも、現実を少しは知っておいたほうがいいかと思ってね」  晴朗が暁に注意した。 「レースに影響が出るほどむやみに怯えてはいけないが、不用心もいけない。暁の身に危険が及ばないことが、一番大事なことだよ」 「ありがとうございます。晴朗さん」  晴朗は、暁のことをとても心配している。  大会不参加による影響が一番大きいのは晴朗となるのに、迷わず警察に通報しようとした。 (咲夜の件でも、とても親身に助けてくれたし、晴朗さんって、いい人だわ)  舞は、咲夜による機体損傷のことを思い出した。 「防犯ビデオは? そこに犯人が映っているんじゃない?」 「真っ先に確認したけど、残念ながら壊されていて何も映っていなかった」 「まさか……、今回も……」 「ああ、舞の元カレ?」  防犯ビデオで自分の犯行を知られた咲夜なら、真っ先に防犯ビデオを壊すことも考えられる。 (実乃梨と付き合うようになって、こちらへの関心がなくなったと安心していたけど、まだ恨んでいたとしたら……)  晴朗が、「それは違う」と言った。 「あの大学生には、弁護士を通じて接近禁止命令を出している。ここに近づいただけでも捕まる。そのことは、よく伝えてある」  それでも、咲夜は同じことをしてしまいそうな気がする。  逆恨みで暁に手を出されることが一番怖い。  晴朗の迎えのヘリがやってきた。 「社長、そろそろ、戻るお時間です」 「分かった」  晴朗は、暁に言った。 「暁、夜は自宅に戻った方がいい。自分の身の安全を一番に考えるんだ」 「分かりました」  雲霄も、「僕もそろそろ戻るか」と、自分の車に乗り込んだ。  晴朗と雲霄が帰っていき、暁と二人で残った。
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