なつのいろ

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なつのいろ

 【鉄血のアイスガール】とか何とか呼ばれている友人は、名前とは反対に【涼しげ】という言葉がよく似合う。だが実際は、超がつく程の暑がりである。夏の青葉はだいたいすさまじく機嫌が悪くて、オレはたいていその被害を被っている。今日だって、そうだ。  夏休み中盤の木曜日。部活は暑さ寒さ関係なく、交通機関が狂わない限り、やってくる。本日の鍵当番の兜牙(とうが)が来るのを待って、オレと青葉は部活の前の白いコンクリートに座りこんでいた。日影はあるにはあるけど、たっぷり熱を含んだ人口地面はハーパンを突き通して足を焦がす。  ……暑い。ムードメーカーの青桐(あおぎり)くんでさえ、月見(つきみ)先生のように無口になってしまいそうな炎天下だ。暑がりの青葉が涼しく微笑んでいるわけない。いや、こいつは基本笑わないけど。ちらりと隣を見ると、青葉の大きな眼は煮立ったようにぐらぐらしていて、汗ばんだ顔に張り付くサイドの髪を何度も指先で剥がしてた。  それはオレも同じなんだけど、よく見ると青葉は、髪の毛のついてないところまで指先で擦っている。ちょっと機械的に、ゆっくりゆっくり、ぼけちゃったみたいに、指を動かし続けていた。オイオイ、ヤバいんじゃないか、これ。 「……青葉、なんか飲み物持ってきたか?」  青葉は首を横に振る。オレもなんだけど。全員揃ったらコンビニに行く気だったんだけど、ちょっとこれはヤバいんじゃね? 「……じゃ、今からコンビニ行ってこようぜ」 「……面倒、動けないです」  おいおい、これから俺たち部活なんだけど? この数十分後はもっと動き回って倒れるくらい暑い思いするんだぞ。オレは目を細め、眩しい八月の日差しを見つめた。汗がじゅわじゅわ、額や首から吹き出てくる。部室のひさしの下にいるから、顔には直接日は当たらない。でも暑いのだ。  日ざらしの膝小僧から下がよく焼けているのに、照り返す光で眩しく真っ白い。汚れたシューズのふちを指で触ると、じんと熱くなっている。ミンミンゼミの声がして、目を向けると、部室の横の木の葉っぱが、さやさや緑に揺れてた。  さやさや、さやさや……。  その音は少しだけ、涼しげだ。日の光が、惜しげなくその緑を輝かせてる。  校庭に植えてある緑、芝生の緑、朝礼台の緑。審判台の、安っぽいようなプールの青と、銀色。全部が、八月のキラキラ。  視線を隣に戻せば、日陰の青葉の横顔は、いつも青白さはなく今は真っ赤に火照ってる。今のところオレぐらいしか知らないみたいなんだけど、両方の頬っぺただけ白いんだぜ。髪の毛焼けっていうの? こいつにキャーキャー言ってる子たちがこれを知ったらなんて言うだろう。  青葉の目はいつにも増してぼんやりしてて、瞬きの回数すら少なかった。ヤバマズイよな、これは。というわけで。 「……オレ、ちょっと行ってくるわ」  オレはさっと立ち上がり、財布をポッケにねじりこむ。青葉はそれにすら気付いてないようだ。日差しの下に出た瞬間、世界が白くハレーションを起こす。くらっとしてしまい、オレは体勢を立て直した。すぐにきゅっと太陽を一瞬睨んで、オレは走り出す。青葉はきっと、早くしなければヤベェ!  ミンミンゼミがしがみついて叫んでる、もったりとした桜の葉っぱの下を走りすぎ。校門を出るぺっと指で触れると、黒い門はおそろしいほど熱かった。今日もマジ炎天下。舗装されたばかりの道路を蹴り上げるたび、ぼけてた頭がはっきりする。  オレは走る。ぐんぐん民家や元気のない標識をほいほい通り過ぎてく。青空と太陽だけが、オレについてこれてる。思わず笑みがこぼれた。やっぱり、ああ、走るの好きだわ。両手を振り、足を蹴り上げて。風が起こる。  さやさや。キラキラ。  聞こえないはずの夏の擬音が囁いて、オレを取り巻く。さんさんと日の光を浴びたコンクリートが、ここにも走っておいでとオレを呼んでるみたいに輝いてる!  すぐにコンビニについた。汗だくで飛び込む。クーラーの風が躰をさっと撫ぜ、オレは嬉しさに笑いそうになった。  いつも店に来ると迷うオレだけど、今回のお目当てはもう決まってる。さっきから、さやさや揺れる緑の葉っぱを見てて、飲みたくなった飲み物を思い出したから。オレはしばらく冷たい風の吹く飲み物売り場の前をウロウロして、それを見つけて手に取る。  瓶に入ったしんとした透明な飲み物。それから、アイスと一緒に売ってるパンチすると冷たくなるアイスノンみたいのも二個。レジに出してそれから、透明な使い捨てコップを二つもらった。星柄の自動ドア、ウィーン、ありがとうございましたー。オレは即足に力を込め、全速力で走り出す。  角を一個、二個、三個曲がって直線道路、さやさやの木の間、走り抜けて。黒くてあっつい校門をすり抜けて。青葉はさっきと同じ場所に座ってた。というか蹲ってた。通報されるぞ。 「……ただいまっ!」  がさんと大きな音を立てて袋を置き、オレはにかっと笑ってみせた。すぐにアイスノンをパンチして、青葉に投げてやる。青葉はとろとろと動くと、膝の上に落ちたそれを拾い上げて頬っぺたに押し当てた。 「……んー」  頷いた青葉に気をよくして、オレは袋からさっき買った瓶を取り出した。透明な、甘い水。 「飲むだろ?」  にかっと笑うと青葉は薄く目を開け、それを見て口を開く。 「……サイダー、ですかあ?」 「そう」  もらった透明な使い捨てコップ、二個並べて、とんと置いて。サイダーのふたを、キュッと開ける。注ぐと同時に、コップの中にしゅわわっ! と泡が吹き出す。威勢のいい泡を見詰めながら、二つのコップにサイダーをなるべく平等に注いだ。  透明なコップだから、日差しを受けてサイダーの泡に乱反射して、キラキラに輝いて。下の白いコンクリートに、銀色じみた透明な、輝く影を落としてる。オレは少し緑がかったようなサイダーに笑って、コップを持ち上げた。  パチパチ、パチパチ。  解放を喜んだ泡が、夏の熱い空気にはぜる。 「ほい」  差し出すと青葉は、じーさんみたいによろよろしながら、それを受け取った。透明でやわらかなコップが、握力の弱い青葉の手でもくにゃりとひしゃげる。それに合わせ、泡はさらにパチパチ高らかに吹き上がった。青葉が一口、それを飲む。青葉の喉が小さく鳴って、 「……冷たい」 「うまい?」 「美味しい」  青葉が頷いたから、オレも頷いて笑った。緑がかったサイダーにオレも唇をつけて、ぐっと一口飲む。冷たさがキィンと喉をつき、同時にシュワシュワの泡が口の中をぶわぶわくすぐる。それは痛いくらい口の中で爆ぜ、オレは笑った。 「……うまい!」  ぷはっと息を吐くと、青葉がオッサンみたいだと少し笑った。まだまだ高くなってく日が、オレたちを照らし出す。  さんさん、さんさん。  透明に近い、うすみどりのサイダー。入れ物の中ではしんとした静かな水なのに、なんでコップに入った瞬間泡が出てくるんだろう? この泡は一体、どこから出てるんだろう? サイダー自体だろうか、それともコップの底だろうか?  オレは不思議になって、じっとそれを見極めようとしたけど、わからなかった。  爆ぜる泡の飛沫で、うすみどりの爽やかな水面に、さやさやとしたこまかい波紋が起こる。まるで、小さな世界のさざ波みたいだ。 「……青くん、温くなると不味くなります」  半死状態だった青葉も、サイダーとアイスノンでヒヤクテキに元気になったみたいだ。オレは頷いて、コップに残っているサイダーをぐーっと飲み干した。  パチパチ、パチパチ。  躰の中を、サイダーの泡つぶがスパークしてく。きっとそれは暗闇の中、いくつもの星がはぜてるみたいに見えるんじゃないかな。熱くて暗いトンネルを通って。パチパチ、うっすい緑の。 「ありがと、ございます」  青葉の呟きの意味が一瞬わからなくて、ちゃんとわかった後、オレは大笑いした。別に面白かったわけじゃないけど、そういう気持ちだった。青葉も笑ってそれから、オレのアイスノンを奪うと二つとも自分の顔に押し当てた。よくばり女め! オレはまた大笑いした。  八月は毎日ギラギラしていてあっつくて、あっちこっちから汗が染み出してくる。青空も海もひまわりも畑のスイカも、全部があざやかでにぎやかだ。でも、オレが八月と言われてぽんと思い出すのはちょっと違う。  ふとした瞬間吹き抜ける、八月の涼しい風とか。さやさやのそれを受けて笑う、木の葉っぱの緑とか。そして、サイダーのうすい緑。そんな、控えめで活き活きとしたヤツラだったりする。  校門から、ひょろひょろとしたいくつかの影法師が歩いてきた。オレたちは笑って立ち上がった。
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