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岡安炯羽と統馬
放課後。
学校を終えた銀と統馬が夕飯の買い物を済ませ、学校から30分ほど離れた家に帰ってくると、玄関を開けると同時に台所の方からガラスの割れる音がした。
確か、父・炯羽は原稿の締め切り前で家にいたはずだ。
顔を見合わせて2人が急いで台所に向かうと、奥の冷蔵庫の前で炯羽が尻もちをついていた。
「父さん、大丈夫!?」
「いたた・・・あ、おかえり、銀、統馬くん」
声を掛けると腰を押さえながら父・岡安炯羽が苦笑いを浮かべた。
35歳には見えないくらい若く見える父は体型が細身で筋肉もあまり付いていないので銀は心配になって駆け寄る。
「骨折れたりしてないッ?」
「うん、少し腰を打っただけだよ。棚の上にあるグラスを取ろうと思って踏み台使ったら壊れてたみたいで」
指さす先に足の一本が折れた木製の踏み台があった。
何年も使っていたから老朽化していたのだろう。
銀はホッと安堵した。
「気を付けてよ、もう。仕事できなくなったらどうするの?」
「ごめんね。あ、夕飯の買い物してくれたんだ。ありがとう、2人とも」
文句を言う銀の頭を撫でながら謝罪した炯羽は買い物袋に気付いて2人に感謝した。
すると、まだ扉の前にいた統馬が何かに気付き、深々とため息をついて近付く。
「仕事頑張ってる炯羽さんの負担を少しでも減らしたいからね」
「ありがとう。じゃあ僕が美味しい料理でも作って」
「ダメだよ」
立ち上がろうとした炯羽の手を握り、統馬が制止させる。
そして炯羽の手のひらを上に向けた。
そこには3cmほどのすり傷がついていた。どうやら落ちた時に擦ってしまったらしい。かすかに血がにじんでいた。
しかし炯羽は苦笑いを浮かべる。
「これくらいなら問題ないよ。さっき黒河さんに入稿もお願いし終わってるし、次の仕事もそんなに急ぐものもない」
「問題ありだよ。炯羽さんの綺麗な手に傷なんてついて欲しくない」
炯羽の言葉を遮り、統馬が真剣な表情で告げる。
臆面もなくそんなことを言われ、炯羽は目を見開いて仄かに顔を赤らめ、それを隠すように目を伏せて笑った。
「大げさだなぁ。こんなのすぐ治るのに」
「俺が嫌なの。だから今日はもう安静にしてて。ね?」
統馬は他人には絶対見せない甘い微笑で愛しげに炯羽の指にキスをすると、言い聞かせるように小首を傾げる。
統馬の綺麗な顔と甘い表情に炯羽は更に顔を赤くした。
毎日のように口説かれているのに未だ慣れない父の一方、統馬は余裕しゃくしゃくで楽しげだった。今日も統馬の方が一枚上手だ。銀は内心でそう結論付けると口を開く。
「じゃあ俺、バンソーコー持ってきまぁす」
「了解。ついでに消毒液も持ってきて」
「はいはい」
「し、銀っ、だ、大丈夫だから!」
「バイ菌入ってたら大変だって。じゃあ、がんばって~・・・」
「あっ、コラッ、ま、待ちなさい、シロぉぉぉっ!」
引き留めようとする父の声に聞こえないふりをした銀は台所から出ていき、リビングに向かった。
ホント、毎日毎日見せつけてくれる。
父も強く抵抗しないということは統馬に気持ちが傾きかけているんじゃなかろうか。
なら、素直に飛び込めばいいのに。
そう思って銀は足を止め自嘲した。
自分が言えた義理ではない。自分だって士綺の言葉を信じ切れずにいるのだから。
「大好き、か」
好き、あの時からその言葉を口に出すことが出来なくなってしまった。
だから、その言葉を素直に言える統馬や士綺が羨ましいと思うことがある。
士綺は本当に自分を好きなのだろうか。
そうだったらきっと――――。
「前に進めるのにな・・・」
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