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曇天の朝は、知らない味のするガムのようだと思う。
猫舌に優しい温度のココアを飲んで、やっと現実の質感を思い出す。
「何を読んでたんです」
尋ねる後輩は、ほとんどミルクの味しかしないようなカフェオレを、さも美味しそうに飲んでいる。
「『千夜一夜物語』。世界でいちばん美しいタイトルの物語」
「雫先輩、珍しい読み方するんですね。初めて聞きました」
「ああ、昔からの癖で。普通は『千夜一夜物語』よね」
私の変わった読み方は、母の受け売りである。大昔、母が膝の上で読み聞かせてくれたとき、彼女はこの物語のタイトルを『千夜一夜物語』と読んだ。そして、私はそれをそのまま覚えてしまったのである。
「僕は『アラビアン・ナイト』派ですけどね」
「あら、そうなの?」
「なんていうか、アラブの国の、砂漠の夜空に瞬く星々みたいな短篇集じゃないですか。だからアラビアの夜って呼ぶ方が合ってるかなって。雫先輩的には『千夜一夜物語』がベストなんですか?」
ひとくちココアを飲んでから、伝わるかしらと説明する。
「ええ、それがいちばん美しいと思うの。《千》はつまり、終わりがないってことじゃない。その無限に、《一》を付け足すことによって、永遠を強調する──その美しさがたまらなく好きなのよ」
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