神域の管理人 四季の女神

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 かつて日本の首都が平城京(へいじょうきょう)と呼ばれた奈良時代、平城京の人々は四季神(しきじん)と呼ばれる四人の女神を信仰していた。  春を東にあった佐保山(さほやま)から佐保姫(さほひめ)、秋を西にあった竜田山(たつたやま)から竜田姫(たつたひめ)と名付けた。  しかし、夏と冬の女神の信仰はいつ頃からか薄れ、その女神の名前は人々から忘れ去られていった。  そして、時代とともに夏と冬の女神たちの信仰は完全に途絶えてしまい、現在では春と秋の女神の信仰だけが残った。  いつも通り、真人(まさひと)神域(しんいき)内を整備して廻っていた。  最近は整備にも手慣れてきたものの、神域は植物の成長が早いため、やはり一人では手が足らず、神域に来たばかりの時に切り開いた箇所は既に草木に覆われてしまっていた。  真人は生い茂る草木を見つめながらため息をつくと、休憩をとるため作業道具を置いて切り株に腰かける。 「……真人さま」  しばらく休憩していると宇迦(うか)がいつもと違う時間にやってくる。 「どうした? まだ昼食には早いだろ」 「それが……、真人さまにお客様がいらしてまして……」 「……客? この神域にか?」 「え……、ええ」  そう言う宇迦も状況が理解できずに困惑している様子だった。 「……わかった。取り合えず会ってみよう」 「申し訳ありません。お願い致します」  そう言って宇迦は真人に頭を下げた。 「お待たせしました」  作業を切り上げ、神域の家に戻った真人が客の待つ居間に入ると、居間には古い時代の着物に淡い紅色の柔らかな薄手の羽衣を纏う若々しい女性と鮮やかな緋色や黄金の草木を様々な色糸を用いて織り出された錦織の着物を纏った妙齢の女性二人が待っていた。  御饌(みけ)は、二人にお茶を出した後、どうすればいいかわからないのか、台所から遠巻きに二人の女性の様子を窺っていた。  真人が無言で二人の前に座ると宇迦も自分の定位置に座る。  すると、すぐに御饌は真人と宇迦の分のお茶を出し宇迦の後ろに座る。 「お初にお目にかかります。私は四季神の佐保姫、こちらは竜田姫と申します」  二人の女性は真人たちの話を聞く態勢が整った事を確認すると深々と頭を下げ、白く柔らかな衣を纏った女性が佐保姫と名乗り、もう一人の鮮やかな緋色や黄金の錦織の着物を纏った女性を竜田姫と紹介した。 「……四季神」  四季神という言葉に宇迦は驚いたように呟く。 「どうした?」 「……あっ、いえ、申し訳ありません」  宇迦は自分でも思わず呟いてしまったのか、すぐに口を服の袖で隠して謝罪する。 「何か知ってるのか?」 「……かつて現世にあった平城京をご存じですか?」  真人に聞かれると、宇迦は口を隠した袖を下げて聞いた。 「確か、昔の……、八世紀頃、奈良時代の首都の名前だったか?」 「平城京は天平(てんぴょう)十七年(七四五年)から延暦(えんりゃく)三年(七八四年)に長岡京(ながおかきょう)に遷都されるまで日本の政治の中心地であった場所です。その平城京で人々の信仰から生まれたのが四季神という四人の女神で、人々の信仰から生まれたため神域ではなく現世に居を構えているはずですが……」  そう言いながら宇迦は佐保姫と竜田姫に視線を向ける。  つられて真人も二人に視線を向けると確かに、初めて宇迦たちに会った時に感じたような不思議な違和感を感じなかった。  人々の信仰から生まれたからなのか、二人からは宇迦たちにはない人間らしさを感じる。 「こちらへは神奈(かんな)さまを頼って来たのですが、現世で神奈さまを捜している最中に、ここの入り口である社を見つけまして、神域に寝所を持たない私どもが入るのは躊躇われたので、社の近くで神奈さまが現れるのを待っていたのですが、ある時その社を出入りする事のできる人間がいるのを見かけまして」  真人たちの視線に気づいた佐保姫は、神域まで来た理由を説明する。  その説明を聞いた真人は周囲を見渡し神奈の姿を捜すが、神奈は獅子神(ししがみ)犬神(いぬがみ)を連れて、どこかに行っているようで姿か見当たらず、何か知っているかと宇迦と御饌の顔を見るが、二人もわからないらしく何も言わずに首を横に降る。 「何のために神奈を頼ってこちらまで?」  仕方なく、真人は再び二人に視線を戻し神奈を抜きで話を聞く事にした。 「……今は昔と比べて我々四季神の信仰も薄れてしまい、我々の力だけで過ごしていくのが難しいと思った時、以前、神域の守人である神奈さまが、時々、現世に姿を見せているという噂を聞いた事を思い出しまして、これからどうすべきかご相談できないかと」 「では、俺にはどういった用件でわざわざ……」 「先ほど、説明にあったように私たちは平城京で人々の信仰から生まれました。私は春の神として平城京の東にあった佐保山から佐保姫と」 「私は秋の神として西にあった竜田山から竜田姫として生まれました」  ずっと黙っていた竜田姫は佐保姫に促されるように口を開き、それぞれ四季神が生まれた経緯を説明する。 「……という事は、他に夏と冬の二人の女神がいると?」  少し考えてから真人は聞いた。 「はい。夏の神として平城京の北にある筒川(つつかわ)から筒姫(つつひめ)が、冬の神として南にある打田山(うつたやま)から宇津田姫(うつたひめ)が生まれました」  真人の問いに佐保姫は説明する。  五世紀から六世紀に中国から日本に伝わった陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)において四季は東西南北(とうざいなんぼく)で表される。  季節と色彩との関係を表す表現として、青春(せいしゅん)朱夏(しゅか)白秋(はくしゅう)玄冬(げんとう)といった言葉がある。  それぞれに春は青、夏は赤、秋は白、冬は黒といった色彩によって表される事により、中国の神話、天の四方の方角を司る霊獣である青竜(せいりゅう)朱雀(すざく)白虎(びゃっこ)玄武(げんぶ)という四神が関連づけられた。  四神はそれぞれ東を青龍・南を朱雀・西を白虎・北を玄武が守護すると考えられ、春夏秋冬という四つの季節が東西南北という四つの方位に、それぞれ当てはめられていく事になったと考えられる。 「北から夏の神で南から冬の神が生まれたんですか? なんとなく夏は南、冬は北と思っていたのですが」  真人は陰陽五行説は知らなかったが、日本の気候から考えると佐保姫の説明には違和感があった。 「当時、平城京の人々は南から来る夏の暑さを冬の神に、北から来る冬の寒さを夏の神に抑えてもらおうと、南北の神を逆に配置し、夏の神を北にあった筒川から筒姫と名付け、冬の神を南にあった打田山から宇津田姫と名付け信仰したのです」  佐保姫は真人の疑問に丁寧に答える。 「そしてその筒姫と宇津田姫の二人を貴方に捜し出して頂きたいのです」 「……捜してほしいと言われましても……、あなた方は当時の平城京……、現在の奈良の神なんですよね? さすがに奈良まで行って捜すのは距離的に、それにもしかしたら二人は奈良にはいないかもしれない」 「それでしたら心配はいりません。私たちは四人で神奈さまを頼り、こちらまで来ました。ですが、長い間、神奈さまを捜し続けている内に気づいたら筒姫と宇津田姫の姿がどこにも見当たらなくなっていまして」 「その筒姫と宇津田姫の姿が見当たらなくなった原因に何か心当たりはありますか?」 「当時、平城京では、冬眠していた動物たちが活動を始め植物が芽を出す春と、作物が実り収穫できる秋は人々から重要視されたため、春の神である私と秋の神である竜田姫は信仰が減ったとはいえ、現在でも手厚く祀られ信仰が途絶える事はないのですが、夏の暑さと冬の寒さを嫌った人々は夏の女神である筒姫と冬の女神である宇津田姫を祀る事をしませんでした」  佐保姫はどこか寂しげな表情で筒姫と宇津田姫の姿が見当たらなくなった理由を説明する。 「そんな、それはその筒姫と宇津田姫の責任ではないでしょう」 「貴方はそう考えても、私たちを認識できない人間にとって信仰しても恩恵を得られない神は信仰する価値がないと判断されたのでしょう」 「そんな事で……」  そこまで言うと真人は自分も神奈に会うまでは神なんて存在するはずがないと考えていた事を思いだし言葉に詰まる。 「人間は自分たちに都合の悪い事は信じようとはしませんから、それが信仰しても恩恵を与えない神ともなれば信仰はおろか、そういう神の存在ですら忘れ去ってしまうでしょう。そもそも自分たちの信仰から神が生まれたなんて認識すらないでしょうから」  真人の様子に宇迦は真人が人間だという事を忘れ人間の非情さを語る。 「現代の人間ならまだしも、当時の人間たちにとっては自分たちで信仰して生み出した神だろ?」  現代の神への信仰が薄れた人間ならそうかもしれないが、当時の人間たちはその二人の神を信仰して生み出した自覚があるのに信仰をせず、恩恵を得られないというだけで存在すら忘れてしまうものなのだろうか。 「当時の人間は自分たちが信仰するから二人の女神が力をつけて暑さや寒さが増すのではないかと考えたのかもしれません……」  宇迦と佐保姫が人間を否定する会話を続けていると、佐保姫は途中まで言いかけたところで真人が人間だという事を思いだし、それに気づいた宇迦と二人で急に黙ってしまうとその場の空気が重くなり静まり返る。 「……二人はどんな女神なんですか? 性格や好きな場所やものがわかれば捜す場所も絞れるのですが」  その重い空気に居心地が悪くなった真人は慌てて話題を変えようとする。 「……性格は、まず筒姫ですが、夏の女神である筒姫はその夏という季節から想像できるように少々粗暴なところがあり大雑把な性格です。力が有り余っている感じで、揉め事が好きで刺激を求めてるところがあります。じっとしているのが苦手なのか、よく強い衝動に駆られて行動する事が多く、感情の起伏が激しいものの、忍耐強いところもあり、動植物などの自然が好きです。冬の女神である宇津田姫は、一見、気が弱く大人しいように見えるかもしれませんが、本当はとても忍耐強く賢い女神です。独自性が強く個性的で、周囲との調和も上手にとれて柔軟性はあるのですが、慎重で本当の顔は我々にもほとんど見せる事はなく、白姫(しらひめ)黒姫(くろひめ)という精霊を自分を守る神使(しんし)としています。好きな場所は静かな場所で一人になれるところでしょうか」  神奈がいれば筒姫と宇津田姫を捜すのはそう難しくもないだろう。  佐保姫の話を聞きながら真人はそう考えていると、これは神域の管理とは関係ないのではないかと気になり宇迦の様子を窺う。  しかし宇迦は、先程人間を否定した事を気にしているのか真人と目が合うと気まずそうに笑うだけでそんな事は気にしてはいない様子だった。 「わかりました。筒姫と宇津田姫の捜索をお引き受けします。それであなた方と連絡を取る手段は何かありますか?」  宇迦と御饌の二人も捜す事に特に反対する様子はなかったので真人は筒姫と宇津田姫の捜索を引き受ける事にした。 「力を無くしたとはいえ、四季神として長年共に過ごした仲です。姿を表せば気配でわかります」  そう言うと、佐保姫と竜田姫は再び真人に頭を下げ神域を後にした。 「先程は申し訳ありませんでした」  佐保姫と竜田姫を見送った後、宇迦は佐保姫と一緒に人間を否定した事を真人に謝罪する。 「別に構わないさ。宇迦たちの言う事は間違っていないし、俺は人間だが、だからといって人間が好きってわけじゃない」  真人はどちらかと言えば人間は嫌いだった。  だが、それは自己の利益や理屈で他人に害をなす人間の事であって、人間という種の事ではない。  しかし、それを宇迦たちに言ってしまえば、現世で神が問題を起こしても宇迦は知識を与えて解決させようとは思わないかもしれない。  御饌は何かあった時、周りに人間がいても構わずにその力を振るうかもしれない。  そう考えると、人間が嫌いとはっきり言う事ができなかった。  その後、真人は神奈に筒姫と宇津田姫の捜索を手伝ってもらおうと神域で神奈がいそうな場所を捜してみたが見つからず、また黙って一人で現世に行っていたとしたら宛もなく捜し出すのは不可能なので、まずは自分にできる事は何かと考え、一人で現世に筒姫と宇津田姫の情報を調べに行ってみる事にした。 「……四季神ですか?」  真人はまず四季神に関する情報を聞こうと神奈川神社庁の社務所にいる乙舳の元を訪ねると、これまでの経緯を説明した。 「ええ、夏の女神である筒姫と冬の女神である宇津田姫を捜してほしいと」 「また、珍しい神さまが来たものですね」  そう言いながら、乙舳は本棚から一冊の本を取り出してきて開く。 「仰る通り、四季神は民間信仰(みんかんしんこう)から生まれた神様です。資料には……」  民間信仰。  民間信仰とは、古代から地域住民の日常生活の中で信じられ伝統的に形成された信仰をさす。  崇拝対象は様々だが歴史的にみれば中心的な信仰は原始時代に発生した自然崇拝と祖先崇拝が核となっているため開祖や教典などは存在しない。  農耕社会の中で次第に変貌をとげつつ伝承されたものである。  日本の民間信仰の基本となるものに、祖先崇拝を中心とする氏神への信仰があるが、これはもともと同族神、屋敷神を原型とするものと考えられ、後に神道と習合して産土神、鎮守神のような村落神に変質していったもののようである。  これらの信仰は日本全国に見られ、現在にいたるまで神道や仏教に習合されるなど、変化を続け伝承され続けている。  乙舳は開いた本を真人に見えるように置き、本の内容を説明していく。  佐保姫は日本の春の女神である。  元は佐保山の神霊とされていた。  五行説では春は東の方角にあたり、平城京の東に佐保山(現在の奈良県法華寺町法華町)があるために、そこに宿る神霊佐保姫を春の女神と呼ぶようになった。  白く柔らかな春霞の衣をまとう若々しい女性と考えられている。  竜田山の神霊で秋の女神竜田姫と対を成す女神。  竜田姫が裁縫や染めものを得意とする神であるため、対となる佐保姫も染めものや機織を司る女神と位置づけられ古くから信仰を集めている。  古来その絶景で名高い竜田山の紅葉は竜田姫が染め、佐保山を取り巻く薄衣のような春霞は佐保姫が織り出すものと和歌に歌われる。  竜田姫は日本の秋の女神である。  立田姫と表記される事もある。別称・龍田比売神。  竜田山の神霊で元々は風神。  秋の季語。  五行説では西は秋に通じ、平城京の西に位置する竜田山(現在の奈良県生駒郡三郷町の西方)の神霊が秋の女神としての神格を持ったもの。  龍田比古龍田比売神社(たつたひこたつたひめのかみじんじゃ)に祭られる龍田比古神(たつたひこのかみ)が夫神であり、鮮やかな緋色や黄金の秋の草木の錦を纏った妙齢の女性として想像される。  竜が裁つに音が似ているため裁縫の神としても信仰される。  また竜田山を彩る紅葉の美しさから、紅葉を赤く染める女神として染色が得意ともされた。 『源氏物語』『帚木』の有名な雨夜の品定めの場面には左馬頭のかつての妻が染色が巧みであったことを龍田姫になぞらえている。  当時、染めものが得意である事は良き妻の条件の最たるものだった。  四季神の中で竜田姫だけは物語などによく登場するので名前だけなら一般に知られている。  乙舳は本棚から四季神について書かれた本を開きながら説明する。 「しかし、まさか夏の暑さと冬の寒さを抑えてもらうために南北を逆にしていたとは、筒姫と宇津田姫の由来は筒川と打田山だろうとは考えられていましたが、五行説から東の佐保山を佐保姫、西の竜田山を竜田姫と名付けたと考えると筒川と打田山の位置が南北逆になり矛盾してしまうので、他の様々な説が考えられ、その中にはあえて逆にしたのではないかという説もあったにはあったのですが……」  そこまで言うと乙舳は黙って何かを考え始める。 「……それで、その筒姫と宇津田姫の居場所なのですが、何か居場所を特定できるような情報はないかと思ったんですが」  乙舳の様子を見て、このままだと話がずれていきそうな気がした真人はここに来た目的を伝える。 「居場所……ですか、難しいですね。お聞きになった通り信仰も途絶えてしまって、祀っている神社もありませんから……。確か神奈さまが利用している社は市内にある二ヶ所だけなんですよね?」  真人が知っている神奈が神域と現世の出入りに利用している社は、真人たちも使っている社と神奈の友人である少女が住む神社の境内にある社の二ヶ所しかない。 「神奈がその二ヶ所だけを使ってるのかはよくわかってません。こちらと神域を繋ぐ社は全国に無数にあり神域にも同じ数だけあるらしいのですが、こちらにある社のほとんどは風化してしまっているらしく。その二ヶ所を特に使っているという事くらいしか」  神域に繋がる社は全国に無数にあるが、そのほとんどは使うものもいないため、誰かに管理される事もなく風化してしまい使えなくなってしまっているらしい。  また、神域側はそれぞれの神の領域内にあるため神奈以外、立ち入る事は許されていない。 「……例えばですが、四季神などの特定の神様を信仰する民間信仰などではなく、その山や川などの自然を信仰の対象とする自然崇拝(しぜんすうはい)というのがあるのですが、その対象とされていて、あまり人が立ち入らないような場所でしたら特定の神様がいない神域ですので、そういった神様が隠れ住むには良い環境かもしれませんね」  自然崇拝。  自然崇拝とは、自然物・自然現象を神格化する信仰。 『自然への崇拝』ではなく、『自然』という概念ができる以前の崇拝形態である。  自然崇拝は世界各地に見られ、また各地の神話にも自然物・現象を神格化した神が登場する事から、古くは普遍的であったと思われる。  代表的な対象は天空、大地、山、海、太陽、月、星(星辰崇拝(せいしんすうはい))、雷、雨、風などの気象、樹木、森林、動物(特に熊、狼などの猛獣)、水、火、岩石などがあり、これらの内、共通の属性を持つ複数のものを一体として神格化する崇拝もある。  神道では、山や川などを御神体とする山岳信仰や水信仰の神社も多く、これらへの自然崇拝を色濃く残している。 「信仰の対象とされてる山や川って、例えば富士山とかですか?」 「そうですね。ですが、ご存じの通り、富士山など信仰の対象として有名なところは人の出入りが多いので、もっと人の出入りが少ない例えば過去に信仰されていたところで、今はもう信仰が途絶えてしまっていて、神奈さまが利用してる社から近いところに隠れ住んで居られるのではないかと。残念ながら信仰が途絶えた正確な信仰の場所まではこちらではわかりかねますが」 「そもそも信仰が途絶えてしまっても神域は残るものなんですか?」 「真人さんたちが暮らしている神域がどういうところなのかはわかりませんが、現世では神域とは神社の境内や自然崇拝の対象とされた禁足地などで、特に禁足地は信仰が途絶えた後も人が出入りしないため神域としての状態もそのまま維持されているのではないかと」  神域とは、神社の境内または神が宿る場所(依り代)のこと。  日本では特に神道の事を指す。  古神道である神籬(ひもろぎ)磐座(いわくら)信仰は、神の依り代であるとともに、神籬の『籬』は、(かき)の意味であり、磐座は磐境(いわさか)ともいい神域との境界を意味する。  そして、その『鎮守の森』や神籬や磐座としての森林や山・海・川や岩・木などは、神域と現世の端境(はざかい)を示し、結界としての役割も果たしていて、禁足地である場所も多くある。  沖ノ島などは社や森だけでなく島全体が神域となっていて禁足地になっている。  また古来より郊外の集落につながる道の辻などに配置された道祖神(どうそじん)庚申塔(こうしんとう)、祠、地蔵などの石仏は、神域との結界の役割をしていたともいわれる。 「わかりました。宇迦なら何処か過去に信仰されていたところを知っているかも知れないので聞いてみます。ありがとうございました」  真人は宇迦に過去に信仰されていた場所を知らないか聞くためすぐに神域に戻ってきた。 「申し訳ありません。私も人間の自然崇拝の対象までは把握しておりません」  真人に聞かれた宇迦は不思議そうな表情をして答える。 「そうか……、いや、乙舳さんから特定の神がいなくて、あまり人が立ち入らない自然崇拝の場所だったら信仰を失って居場所のない神が隠れて住むのによい環境だと聞いたんだが」  その宇迦の表情を見て真人は質問の意図を説明する。 「そういう事でしたら私よりも神奈さまの方が詳しいかと、先ほど、お戻りになられたようですから聞いてみてはいかがですか?」  宇迦に言われ真人が家の中に神奈がいないか捜していると庭から物音が聞こえる。  庭に行ってみると、いつものように戯れついてくる獅子神と犬神に何の抵抗もせずにされるがまま揉みくちゃにされている神奈の姿があった。 「神奈、ちょっといいか?」  真人の声に気づいた神奈が二匹の体に触れると、途端に二匹はおとなしくなり神奈は二匹の間から出てくると乱れた服も直さず無言で居間へ向かって歩いていく。 「楽しんでたのに悪いな」  真人は獅子神と犬神の二匹に声をかけるが、二匹は真人を一瞥しただけで、そのまま目を閉じて動かなくなり真人も神奈の後を追って居間に向かった。  居間に着くと先に着いていた神奈は台所で作業をしていた御饌に乱れた服を直されていた。  真人が自分の定位置に座ると、丁度、乱れた服を直し終わった神奈が近づいてくる。 「神奈は現世との出入りに使っている社の近くで過去に自然崇拝の対象にされていたような場所って知らないか?」  真人が聞くと神奈は質問の意味がわからないのか、呆然と真人を見つめたまま何も答えない。 「えーと、……どう説明したらいいんだ」 「神奈さま、現世の出入り口の近くに精霊が隠れ住んでいるようなところはございませんか?」  真人たちの様子を見ていた宇迦が真人に変わって神奈に聞く。 「……精霊の隠れている場所なら数ヶ所ありますが、私もすべての場所に立ち入った事はないので正確な事はわかりません」  神奈が答えるが真人は自然ではなく精霊という宇迦の言葉に疑問を抱き宇迦の顔を見る。 「人間が自然を崇拝するようになったのは、おそらくたまたま精霊の力を見て、それを自然の不思議な力だと思い込んだのではないかと」 「精霊が見えないから自然を崇拝する事になったわけか。それでその隠れている場所というのはどこなんだ?」 「社の近くの森にいくつか人や他の生物が立ち入らないように結界が張られた場所があります」 「乙舳さんの説明にあった禁足地みたいなものか」  真人はすぐに神奈と御饌を連れ、神奈に案内されながら三人で現世の社近くにある結界が張られた森を何ヵ所か調べていく、その結界は神域で神々の領域を隔てている壁に比べると薄く、神奈が神楽を舞わなくても手をかざすだけで水面に触れたように中央から波紋が広がり、そのまま抜ける事が出来た。  しかし、結界の中をしばらく調べてると力の弱い現世の精霊がいるだけなのか神奈は真人の顔を見て首を横に振る。  次の結界が張られた森へ来ると、その森は不思議と近くにいるだけで季節外れな暖かさだった。  神奈に案内されるまま、無言で森の中に入っていく。  人が踏み均した道から獣道へ。  やがて獣道もなくなり、しばらく進むと神奈は立ち止まり真人たちに振り返る。 「……ん?」  真人は振り返った神奈の足元に小さな古い祠がある事に気づいた。 「ここの結界は私も入った事はないので中がどうなっているかわかりません」  その神奈の言葉に真人と御饌が頷いて返事をすると神奈は同じように結界に手をかざす。  結界の中央から波紋が広がり神奈が先に入ると、真人と御饌も続けて結界を抜け中に入っていく。  結界を抜け中に入ると、見た目に変化はないが、中は入る前に比べて明らかに暖かく上着を着ていると汗をかいてしまうほどで、まるで真夏の森の中を歩いているようだった。  しばらく森を調べていると、周囲の茂みから何やら物音が聞こえてくる。  真人たちが慌ててその物音を警戒する。  すると、物音がすぐそばまで近づいてきたところで御饌が真人たちを庇うように前に出た次の瞬間、茂みの中から二メートルはあろうかという、なんとも大きな熊が姿を現した。 「……なっ!」  真人が驚きのあまり声を上げると熊はその声に反応するように大きな声で威嚇しながらゆっくりと真人たちに近づいてくる。  御饌が真人を守ろうと前に出ると熊は御饌を警戒しているのか、その場で止まり目や鼻をしきりに動かし御饌の様子を窺っていた。  御饌と熊が対峙していると神奈がおもむろに両者の間に入り熊の前に立つ。 「神奈!」  いくら神奈でも危険だと真人が声を上げながら御饌と二人で駆け寄ろうすると、熊は突然おとなしくなり、警戒を解くと顎から腹までを地面につけ腹這いになり神奈に向かってひれ伏してみせた。  その様子を見た真人と御饌は状況が理解できずに立ち尽くしていると。 。 「この子は精霊です」 神奈はそう言うとひれ伏した熊に近づきその頭を優しく撫でてやる。 「精霊……? 本物の熊じゃないって事か?」  真人は神奈の後ろから恐る恐る熊の顔を見てみると、その表情は神奈に撫でられて喜んでいるように見える。 「結界の中に入る侵入者を排除しに来たようです」 「……わかるのか?」 「現世の精霊は神域の精霊に比べて力が弱く知性もないので明確な意思の疎通はできませんが、この子がここに現れた時に侵入者を排除しようという感情が感じられましたので、私たちに敵意がない事を示す事で敵じゃないとわかってもらいました」 「という事は、ここには他の森とは違う何かがあるのか?」  他の結界は中に入っても侵入者を排除しようとするものはいなかった。  つまりここには侵入者を排除しなければならない何かがあるという事だろう。 「この子からそれを読み取る事はできませんが、そうさせるものがあるのは確かでしょう」  ここに捜している女神の一人がいるのは間違いなさそうだ。  そしてその一人はこの季節外れの暖かさから予想すると……。  精霊である熊をその場に残し、結界の中をしばらく調べていると、遠くから動物の鳴き声らしい音が聞こえてくる。  鳴き声のする方に近づいていくと、鳥や兎、栗鼠や狸などの多くの動物たちが集まっているかと思うと、その動物たちに囲まれるように一人の女性が佇んでいる姿が見えた。  真人たちがその女性に気をとられていると、真人たち側にいた動物たちが真人たちの気配に気づき鳴き声を上げて騒ぎ立てる。 「誰⁉」  騒ぐ動物たちに気づいた女性は真人たちの姿を確認すると身構えて警戒する。 「まさか人間? どうやって結界を!」 女性は驚きながらも、すぐに動物たちを庇うように一番前に出てくる。 「俺は神域の管理をしている真人といいます。こちらは神域の守人の神奈と稲荷神の御饌です」 「……神奈さま⁉」  真人が神奈の名前を告げると女性は再び驚いて反応する。 「四季神の筒姫ですよね? 佐保姫と竜田姫からの依頼であなたを捜しに来ました」  真人の説明に筒姫は警戒を緩め身構えた姿勢を元に戻すが、まだ真人たちの事が信用できないのか、その場からは動こうとはしなかった。 「貴女がもし本当に神奈さまだというなら私たちを助けて下さい! 私たちは信仰を失いこれからどうすればよいかもわかりません」 「それは私には無理です」 「何故です⁉ 神域の神々を統べる貴女ならそれくらいの事は……」 「ただの守人に過ぎない私にそんな力はありません」  筒姫は必死に訴えるが神奈は表情一つ変えず無情に突き放す。 「……そんな、それじゃ私たちはこれからどうすれば」  神奈の返事に筒姫は地面に膝をついてうなだれる。 「あの……、俺は人間ですが今の人間は当時の人間と考え方も違いますし、夏の暑さが気候の所為だという事や夏には様々な恩恵がある事もわかってます。神社庁に掛け合って祀ってもらって、あなたの事を少しずつ知ってもらえば時間はかかるかもしれませんが信仰は取り戻せるはずです」  筒姫が膝をついたまま真人の言葉に一切反応せずに黙り続けていると、そんな筒姫の様子を心配して周りの動物たちが筒姫の元に集まっていく。 「……わかりました。もうそれしか方法がないなら、今は神域の管理人だという貴方の言葉を信じます。ですが、もしそれが嘘や偽りだとわかったら私はすぐに去らせてもらいます」  筒姫は心配する動物たちの様子に気づくと、すぐに我に返り、そんな動物たちに心配をかけないよう笑いかけ気丈に振る舞いながら真人に答える。  筒姫はここの動物たちをそのまま放っては行けないと言うので、動物たちが無事に暮らしていけるよう済ませてから佐保姫と竜田姫の元に向かう事を真人たちと約束すると、真人たちは先に結界を出る事にした。  真人たちが結界を出る頃には日もすっかり傾き、その日はそのまま宇津田姫の捜索をするのは難しいと判断し宇津田姫の捜索は明日にして、その日は神域の家に帰る事にした。  翌日。  神域の家の玄関で真人は神奈と御饌を連れて宇津田姫の捜索に出掛けようとしていた。 「じゃ、行ってくる」  真人が玄関の外に出て見送りに付いてきた宇迦に声をかけていると。 「……真人さま」  宇迦は真人の言葉に笑顔で応えるがすぐに真剣な表情に変わり真人の後方に視線を送る。  真人が宇迦の視線を追って振り返ると佐保姫と竜田姫が立っていた。  真人と目が合うと二人は丁寧に頭を下げ真人たちのそばまでやって来る。 「筒姫を見つけていただきありがとうございました」  そばまで来ると再び佐保姫は頭を下げて礼を言う。 「いえ、そんなたいした事はしてませんから」  真人が言うと佐保姫は笑顔を返しそばにいる神奈を見る。 「お初にお目にかかります、神奈さま。私は佐保姫、こちらは竜田姫と申します」  佐保姫はそう言って竜田姫と揃って神奈に頭を下げる。  しかし、神奈はそんな二人を見つめたまま何も反応をする事はなかった。 「すいません。神奈はあまり感情を表す事がないので、でも筒姫が約束通り二人の元へ行ってくれてよかったです」 「ええ、本当は一緒に連れてきて本人から改めてお礼を言わせたかったのですが、酷く疲弊していまして連れて来る事が出来ずに申し訳ありません」  佐保姫と竜田姫は真人に向かって頭を下げる。 「いえ、動物たちをそのまま放っては行けないと言うので、動物たちの事を済ませてからお二人の元へ向かうよう伝えたのですが、もしかしたら少し急かしてしまったのかも知れません。それに居場所がわかったのは神奈のお陰で、俺は一緒に行っただけで本当にたいした事はしてませんから」  言いながら真人が神奈を見ると、話に興味がないのか神奈はただ呆然とその場に立ち尽くしていた。 「……これからもう一人の宇津田姫を捜しに行ってきます」 「よろしくお願い致します」  そう言って佐保姫と竜田姫は再び頭を下げると去って行った。 「信仰をなくした影響は思った以上に大きいようですね」  後ろで真人と佐保姫の会話を聞いていた宇迦はそう言いながら真剣な表情をする。 「どういう事だ?」 「通常、神はどんなに疲弊しても動けなくなるなんて事はありませんが、人々の信仰から生まれた神はその信仰を失えば最悪存在が消えてしまう事もあります」  宇迦の言葉に真人は急かされるように宇津田姫の捜索に向かった。  真人は筒姫と同じ様に宇津田姫もどこかの山に結界を張って過ごしているのではないかと考え、まだ調べていない社近くにある森を数日かけて捜してみたが、それらしい結界すらまったく見つける事はできなかった。  真人は宇迦の言葉に妙な胸騒ぎを覚え、一刻も早く宇津田姫を見つけようと、再び一人で神奈川神社庁の社務所にいる乙舳に話を聞きに来ていた。 「難しいですね。前にも言った通り信仰も途絶えてしまっていて祀っている神社もありませんから……、ただ、佐保姫の言うとおり宇津田姫が気が弱く大人しい性格なら、森など誰かに見つかる可能性のある場所ではなく、どこか誰にも見つからないようなところに隠れているのかもしれませんね」 「誰にも見つからないところって、身を隠す事のできる社や祠ですか?」 「そうですね。信仰を失って力が弱まっているなら他の神様の社や祠に住み着いても領域を侵さない限り追い出される事もないでしょう」  真人は乙舳の助言で捜索場所を森から市内の社や祠に変更して捜索するが、どこの社や祠を捜しても宇津田姫が隠れている様子はなく、ただ日にちだけが経過していった。  数日後。  その日も真人は神奈と御饌を連れ神社庁の情報を便りに中心街から少し外れた人気のない箇所の社や祠を廻りながら宇津田姫を捜索していた。 「おい、あんた。そこで何してる⁉」 「えっ?」  突然、背後から大声で怒鳴られ真人が振り返ると、すぐ近くにある家の門柱前に立った中年の男性が真人を怪訝そうな顔で見つめていた。 「あー……、いや」  その男性の険しい顔を見て真人は思わずたじろぐ。 「……実は神社や祠を巡ってまして、ここら辺に祠が一ヶ所あるはずなんですが」  真人は片手に持っていた地図を見せながら説明するが、男性はまだ何か真人の事を疑っているのか、何も言わずに怪訝そうな顔のまま真人をまるで不審者を見るように睨んでくる。 「はぁ……、祠ならないよ。昔は確かに古い祠があったけど、いつの間にか見かけなくなってしまったよ」  不審者じゃない事を理解してくれたのか男性は溜め息をつくと普通の顔に戻り説明してくれる。 「その祠のあった場所を教えていただけませんか?」 「さあ、あったのは俺が小さい頃だから」 「そうですか……」  そう言うと真人は持っていた地図を覗き込み、再度、祠の場所を確認する。 「……ちょっと待ってな」  真人の様子を見た男性はそう言って敷地内の家の中に入っていくと、すぐに自分の祖母らしき老女を連れて戻ってきた。 「ばあちゃんなら知ってるかと思ったけど、忘れちまったみたいで、ばあちゃんもどこを探しても場所が見つからないらしい」  男性に言われその老女を見ると初めは普通の表情で真人を見ていた老女は途中から何かに気づいたかと思うと急に嬉しそうに笑顔になる。 「……そうですか。わざわざありがとうございました」  真人は少し考えてから何かに納得すると笑顔でお礼を言って男性と老女に背を向けて歩きだす。  急に歩き出した真人に御饌は慌てて老女に笑顔でお辞儀をすると先を行く真人に追い付こうと小走りで追いかけていく。 「着物の似合う綺麗な人だったね~」  そう言うと老女は真人たちに向かって手を合わせ拝み始める。 「はあ? 何言ってんだよ、ばあちゃん。どう見たって普通の男じゃないか。それに突然拝んだりして、とうとう呆けが始まったのか?」 「はあ~、……あんたもまだまだだね」 老女は呆れたように溜め息を漏らすとそのまま家に戻っていった。 「えっ……、何?」  残された男性は老女が何を言ってるのか理解できず家に戻る老女の背中に問いかけた。  真人は中年の男性と老女の二人から見えないところまで来ると立ち止まった。 「……神奈」 「はい」 「近くに何か感じるか?」  真人に聞かれた神奈もその場で立ち止まるとしばらくの沈黙の後。 「……特には」  神奈は立ち止まった時の状態のまま真人の顔も見ずに答える。 「う~ん、どこを探しても場所が見つからないと言うから筒姫のように結界を張っていると思ったんだけどな」  真人が考えていると横で御饌が身ぶり手振りで神奈に何かを伝えようとしていた。 「……」  それに気づいた真人は二人のやり取りが終わるのを黙って見守る。 「……近づくものを迷わせる(まじな)いがあると」 「迷わせる呪い?」 「はい。結界は侵入者を拒むものですがその呪いは近づく者の方向感覚を狂わせます」 「そんなものがあるのか?」  そこまで細かい事を伝えるやり取りがあったようには思えなかったが、真人が聞きながら御饌を見ると御饌は黙って頷く。 「その呪いを破る事はできるのか?」 「破る必要はありません。自分たちに結界を張って呪いを無効にすれば迷う事はありません」  神奈がそう言って御饌が胸の前で手を合わせると三人を囲うように透明な壁の結界を現れる。  真人がその結界に内側から触れながら驚いたように御饌を見ると、御饌はそんな真人を見て照れるように微笑んだ。  真人の先導で三人は地図に記された祠のある空き地に向かっていた。  先程までどうしても迷ってたどり着けなかった空き地が結界のお陰で迷う事なく視界の先に見えてくる。  ――だが、空き地に行こうと近づいていくと、突然、空き地の奥から季節外れの冷気が流れてくる。  筒姫の結界に入った時に真夏のように暖かかったのと逆に、空き地からは真冬のような冷たい空気が流れてきてた。  空き地にたどり着くと、そこは地面や草木がすべて凍りつき足元を見えなくするほど絶えず冷気が漂っていた。 「あちらです」  そんな寒さもものともせず神奈が空き地の一角を指し示す。  真人が神奈の指し示す箇所をよく見てみると、そこから冷気が出ているのか特に濃い冷気に覆われている中にうっすらとだが古い小さな祠があるのが見える。 「あそこに宇津田姫がいるのか?」  真人がそう言って祠に近づいた途端、祠から黒い穢れが発生したかと思うと祠から強い風が吹き付け、その風に乗って冷気と穢れが一斉に真人たちに吹き付ける。 「何だ⁉」  真人が突然の事態に状況が理解できないでいると、祠の後方の地中から巨大な氷柱が現れ、穢れはその氷柱の中に氷漬けにされた白い着物を着た女性から発生しているのが見えた。 「あれは、まさか宇津田姫か⁉ でも、なぜ穢れが⁉」 「恐らく自分が穢れに落ちかけている事を自覚して自ら眠りについたのでしょう」  真人の疑問に神奈が答える。  すると、氷柱の両脇に強い冷気と黒い穢れが合わさった竜巻が発生し、その竜巻から白い着物と黒い着物を着た白髪の二人の女性が現れる。 「まさか、神使の白姫と黒姫か⁉」  真人が驚いていると宇津田姫から発生する穢れが白姫と黒姫に流れだす。  白姫と黒姫の二人が奇声を発し禍々しい顔に変わると、突如、空は灰色の分厚い雲に覆われ、白姫がその雲に向かって片手をかざすと辺りに強風が吹き荒れ空からは雪が降り始めると、すぐに辺りは猛吹雪へと変わり真人たちは吹雪に視界を遮られてしまった。  真人を中心に御饌と神奈がそれを守るように周囲を警戒していると、吹雪の中から何やら水音が聞こえてきた次の瞬間、三人めがけて水の刃が襲いかかる。  ――だが、水音の聞こえた方向を警戒していた御饌がとっさにその水の刃を爪で防ぐ。 「俺たちを排除しようとしてるのか⁉」  真人は状況を理解しようと周囲を見渡すが吹雪に視界を遮られている所為で何も確認する事ができない。  すると今度は頭上から水音が聞こえたかと思うと、すぐに水の針が三人に向かって降り注いできた。  水音の聞こえた頭上を警戒していた御饌が同じように爪で針を防ぐが、針が小さすぎたため、すべてを防ぎきれず御饌の手に何本か刺さってしまい、手に刺さった針はすぐに元の水へと戻って消えると、針が刺さった箇所から血が滴り落ちる。 「……御饌! 言霊で白姫と黒姫の動きを封じる事はできるか?」  御饌の手から滴る血を見た真人が御神札を取り出しながら言うと、真人の考えを理解した御饌は少し躊躇うが、すぐに頷き言霊である呪を放つ。  それは呪と言うにはあまりにも綺麗な声で、まるで詩でも謡うかのように聞いた事のない言葉を言い放つと、吹雪の勢いは弱まり、飛んでくる水の攻撃が止むと水音も聞こえなくなった。 「……神奈、白姫と黒姫の居場所がわかるか?」  吹雪の勢いは弱まったが視界が晴れるほどではなく、白姫と黒姫の姿を確認する事ができない。  真人は穢れを察知する事ができる神奈ならこの吹雪の中でも白姫と黒姫の居場所がわかると考えた。 「……あちらに強い穢れ、それより少し弱い穢れがそちらとこちらに二つあります」  強い穢れとは恐らく宇津田姫の事だろう。  という事は他の二つが白姫と黒姫に違いない。  問題はどちらが白姫でどちらが黒姫か、吹雪を発生させたのが白姫ならば、恐らく水の刃や針で攻撃をしてきたのは黒姫だろう。  ならば先に黒姫の攻撃を封じた方が動きやすい。  神奈が指し示した少し弱い穢れの内、一つは吹雪で視界が奪われる前に白姫がいた場所と変わっていない、だったら狙うのは視界が奪われる前は誰もいなかった場所にいるもう一つ。  真人は狙いを決めると、持っていた御神札をその場所に向かって両手で突き出すように構える。  すると吹雪で遮られた先から黒い穢れが御神札に吸い込まれ、真人の身体を黒く侵食していく。 「……神奈!」  真人が穢れに侵食される痛みを我慢しながら神奈の名を呼ぶと、吹雪で激しく揺れる草木から神奈を中心に精霊が光の靄となって集まり段々と数人の人の形を成していく。  人の形になった精霊は横笛や鼓などの楽器を持ち、神奈が立ち上がると一斉に演奏を始める。  演奏に合わせて神奈がしばらく舞い続けると真人の身体の穢れによって黒く侵食された箇所が次第にゆっくりと浄化されていく。  吹雪の先から吸い込まれる穢れが減ってくると真人は御神札を視界が奪われる前に白姫がいた場所に向ける。  すると、再び黒い穢れが真人の身体を黒く侵食していき、すぐに神奈の舞いによって穢れに侵食された箇所が浄化されていく。  再び吸い込まれる穢れが減ってくると吹雪の勢いは衰え次第に視界が晴れていく。  視界が完全に晴れ、穢れを祓われた白姫と黒姫は通常の顔に戻ると落ち着き身動きせずにその場に立ち尽くしていた。  もう白姫と黒姫が自分たちに危害を加えてくる様子がない事を確認すると神奈はゆっくりと舞いを終えその場に正座すると、それに合わせて演奏もゆっくりとおさまっていく。  そして演奏がおさまると、神奈は再び立ち上がり、先程と違う神楽を舞い出す。  すると、通常の顔へと戻りその場に立ち尽くしていた白姫と黒姫が淡い光に包まれていく。 「……後は宇津田姫の穢れを祓えば……!」  しかし、白姫と黒姫が光に包まれる光景を横目で見ながら真人が宇津田姫に視線を移すと、突然、宇津田姫から新たな穢れが発生し再び白姫と黒姫に流れ始める。  「なっ!」 すると白姫と黒姫は再び奇声を発し禍々しい顔に変わっていく。 「……くそっ、どうすれば」  真人がそう言いながら周囲を見渡すと御饌は言霊を発し続けたため、喉を痛めてしまい片手で喉を抑えなから苦しそうな表情をしていて、自分もこれ以上、穢れに身体を侵食される痛みに耐えられそうもなかった。  そうしている内にも宇津田姫から新たな穢れが白姫と黒姫に流れ続け、再び空が灰色の分厚い雲に覆われ始めたかと思った直後、突然、佐保姫と竜田姫と筒姫がその場に姿を現す。  突然の状況に真人は何が起きているのか理解できず、その場に立ち尽くしていると佐保姫と竜田姫と筒姫の三人は宇津田姫と真人たちの間に入る。  三人がそれぞれ宇津田姫に向かって両手を差し出すと、空き地の中に春の桜、夏の青葉、秋の紅葉と美しい季節の植物が一斉に彩っていく。 「……すごい」  そのあまりに神秘的な光景に真人は目を奪われ思わず呟いた。  ――だが、季節外れな時期に植物を成長させるのは相当な力を消費するのか、佐保姫と竜田姫と筒姫はすぐに苦しそうな表情に変わる。  植物が氷漬けにされた宇津田姫の周りを囲っていくと宇津田姫の表情のない顔から一筋の涙がこぼれ、宇津田姫から発生していた穢れが弱まっていく。  それに気づいた真人はすぐに御神札を構え再び宇津田姫の穢れを御神札で吸い込んでいく。  吸い込まれる穢れが減ってくると氷柱は砕け、中から宇津田姫が解放される。 氷柱から解放された宇津田姫がそのまま地面に倒れ込んでいくと佐保姫と竜田姫と筒姫が駆け寄り宇津田姫を地面に倒れる手前で抱き止める。  すると白姫と黒姫は再び通常の顔へと戻り淡い光に包まれ消えていく。  三人が宇津田姫の様子を窺うと生きてはいるようだが、やはり疲弊しているのか宇津田姫が目を覚ます様子はなかった。 「何とお礼を言ったらいいか、本当にありがとうございました」  三人で目を覚まさず眠り続ける宇津田姫を抱えながら佐保姫が真人たちに礼を言う。 「いつか目覚めましたら宇津田姫を連れて改めてお礼を言いに伺います」 「いえ、それよりも早く宇津田姫を安全な場所へ」  真人は信仰を失い疲弊している宇津田姫が今にも消えてしまうのではないかと不安になっていた。  そんな様子の真人に三人は無言で頭を下げるとその場を去っていった。  後日。  真人は乙舳に筒姫と宇津田姫を祀る神社を用意できないか相談するため神奈川神社庁の社務所まで来ていた。 「神社を建てる事は簡単です。勧請(かんじょう)という筒姫と宇津田姫の様に他で祀られていない神様を建立(こんりゅう)した神社にお迎えし鳥居を建て、依り代となる御神体を祀れば立派な神社になります。ですが、宗教法人として認められるには宗教活動の実績が必要なので、それまでその神社は独自に活動を行わなくてはならず、筒姫や宇津田姫の様にあまり知られていない神様では難しいかもしれません。その地域の人々に受け入れられればいいですが、不審に思われれば最悪、信仰を得るどころか逆に筒姫と宇津田姫を貶めてしまう事にもなりかねません」 「何か他に方法はありませんか?」  真人はこのままでは筒姫と宇津田姫が消えてしまうのではと不安だった。 「それならば配神(はいしん)としてその神社の主神(しゅしん)とゆかりのある神様として共に祀ってもらうのはどうでしょう?同じ四季神である佐保姫様と竜田姫様の神社や他の四季神に(ゆかり)がある神様の神社の境内に小さい社を建てて祀ってもらう事はできるはずです」 「その方が地域の人たちも受け入れやすいですし、いいかもしれませんね。お願いできますか?」  その後、いくつかの神社に二つの小さな社が建立される。  その社は神社の神と縁がある神という事から参拝者の中で少しずつ話題になり信仰を集めていった。  その小さな社には筒姫と宇津田姫の名前があった。
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